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番外編2-1 これから




 数日前からどうもおかしい、とティアファナは疑惑に確信を持った。


様々な理由を考え当たりもつけてみはしたのだが、「様子が変だ」という事以外は全くわからなかった。


 まずいつもどこかそわそわと落ち着かない。


じっとしていられないのか、ケニスは先日には時間が出来たと言って家に帰って来た挙句ティアファナを街へと連れ出してあれやこれやと何でも買い与えたがった。


以前はそうした時期もあったのだが、今ではすっかりそんな事もなくなっていたというのに。


 それからティアファナへの構いたがりがここ数日凄まじくなっている。


馬車への乗り降りには抱き上げようとし、歩く時も離さぬようしっかりと腰を抱き寄せ、隙あらば頬や唇に口付けて来る始末だ。


嬉しくないとは言わないが、「変」だった。


 結婚して以来新しく出来た既婚の友人達にそれとなく相談してみたものの、あまり色好い返答は貰えない。


誰も彼も異口同音に「夫が構いたがるのは何か後ろ暗いところがあるからだ」と言うのだ。


ならばとティアファナはもっと彼の動向を詳しく観察してみた。


しかしそもそもケニスには隠し事にかまけている暇などないのだ。


お互いの父親同士が事業提携し、この頃はケニスもブレントと仕事場を同じくしている事が多いと言う。


それに家には毎日そう遅くもならずに帰って来ている上、時間が出来たら今度ブレントに会いがてら仕事場にもおいでとさえ言った。


後ろめたい事をしているような人間がそんな事を言い出すだろうか?


それともそうだからこそなのか、判断をするにはまだまだ経験が足りないとティアファナは小さく溜息をつく。


「どうしたんだい、ティア。体調でも悪いんじゃ――」


「いいえ、違いますっ」


 ティアファナは今置かれている自分の状況を思い出し、むしろこうだからこそ余計に訳がわからないのだと思った。


横抱きにされるような格好で彼の膝の上に上げられている状況でもなければ、まだわかるというものだ。


「少し、目が疲れてしまったかな、と」


「根を詰めすぎるのはよくないよ。本なら俺が読んであげようか」


「い、いいえ、大丈夫です」


 そうかと残念そうに呟いたケニスはティアファナの頭をひと撫でして再び手にしていた書類に目を通し始める。


それを横目で窺ってティアファナは再び溜息をつきそうになるのを慌てて押し殺した。


 先日思い切って本人に理由を確かめてみたのだが、無自覚なのか無意識なのか、ケニスはティアファナの疑問にただ首を捻るばかりだった。


そして本人曰く「仕事が予定通り運びそうだから少し浮かれているのかもしれない」らしいが、かなり無理があるように思える。


かといって隠れて何かをしているような素振りもなく、全くティアファナは混乱するばかりだ。


 思い当たる事は全て考えた。


ティアファナの誕生日は先日終えたばかりで、その時にもこれでもかと贈り物をされ始終甘やかされている。


こっそりとブレントに仕事の様子を聞けば、確かに予定外の事はないが今のところ落ち着いていて大きな予定はないそうだ。


全く以って訳がわからない。


これだけ甘やかされ構われて首を捻っている妻は恐らく世界を探しても自分だけではないだろうかとさえ思う。


「ティア?やっぱり疲れてでもいるんじゃ――」


「本当に平気ですっ」


 首を振ると両頬が大きな手に挟まれてそっと持ち上げられる。


暫くじっとティアファナの目を覗き込んでいたかと思うと、ケニスは突如微笑んでキスを落として来た。


「浮かれている」のは間違いがなさそうだった。


しかしやはりその理由が思い当たらない。


何でも知りたいと思う欲求を持て余し、ティアファナは少しばかり情けない気持ちでケニスの胸に凭れた。


「何か気に掛かる事でも?」


 そう言ったケニスを見上げ、頷く。


「貴方の事です」


「俺?……ああ、何も心配要らないと言ってるだろう?万事順調だ」


「本当に?」


「勿論」


 大きく頷き額に唇で触れて来たケニスの言葉を信じ、ティアファナは考え過ぎまいと自分に言い聞かせた。


確かにここ数日彼の態度が落ち着かないと言っても、浮かれているのだと思えば納得出来ない事もない……ような気がしなくもない。


ただ少しそれに加えて時折上の空だったり指や足を小刻みに打ち鳴らしたり夜はあまり眠れていないらしいくらいだ。


それが気に掛かって仕方がないと言えばそうなのだが。


「でもあまり眠れていないようですけど」


 ティアファナが気付いたのはここ数日の内の三度ほどだが、もしかしたらもっと以前からなのかもしれない。


「ああ、抜け出したのに気付いていたのか。でもそれなら俺が部屋にいたのも知っているね?」


「はい。お仕事の事、気に掛かっていらっしゃるんですか?」


 ケニスがベッドを出る気配でうっすらと目を覚ました時には、その言葉通り彼が机に向かって何かの書類を前にぼんやりとしていたのを思い出す。


どう声をかけていいものか迷っている内に眠りについてしまうのが常だったが。


「仕事ではないけど、早く書状が届かないものかなと思ってね」


 仕事ではない書状とは一体何の事なのかと尋ねようとして、ケニスが宙を見ながら微笑んでいるのに気が付いた。


そしてそれを追っていたティアファナに彼も気付き、その微笑みを浮かべたまま愛しげに髪を撫でる。


「待ち遠しくて仕方がないんだ。なんだか子供の頃に戻ったみたいだな」


「子供の頃に?」


「そう、誕生日なんかにプレゼントは何が貰えるだろうって」


 その言葉にティアファナは漸く思い至った。


ケニスにとってその書状とは、何か嬉しい知らせなのだろう。


それを待ち侘びていたのなら今までの行動にも言葉にも説明がつく。


「ケニスは子供の頃何が欲しかったですか?」


「そうだな、一番覚えがあるのは枕かな」


「枕?」


 思わずティアファナは足の下に敷いていたクッションを見下ろす。


子供が欲しがるような物だろうかと思うも、ケニスはそれに笑って頷いた。


「あれは……十二歳になったくらいの事だったか。あの頃母上が特に口喧しくてね」


 苦笑しながら言った彼にティアファナは首を捻る。


言葉は悪いように見えるが、実際今子供の頃を振り返るとそれが懐かしいとさえ感じてしまう。


それに自分自身としてはあまりあれこれと怒られたなどという記憶はないので、あの楽しい義母が出来て本当に嬉しく思ったものだ。


「母上が娘を欲しがっていたのは知っているだろう?あの頃はもうそれの最高潮だったんだ」


 不運な事にケニス以降義理の両親に子供は出来なかったとの事だった。


本当に娘がいたならさぞかし義母は可愛がったに違いないと、今の自分を顧みて頷く。


「で、俺はと言うと十二歳という思春期を迎えていた。もう母上の可愛いケニー坊やじゃなくなったんだ」


「ああ……男の子は却ってそういうものかもしれませんね」


 父や兄に会うと、専らそんな話で締め括られる。


それはもう何度も何度も「お前が娘で本当によかった」と。


「毎日毎日言われるんだ、どうしてお前はそうなのどうして女の子じゃなかったのああ女の子を産みたかった!」


 天を仰いで見せたケニスに目を丸くしてからティアファナはくすくすと笑う。


勿論彼も本気でそんな事を信じた訳でもないし、義母とてそうだろう。


昔から仲がよかったのだと思うと微笑ましくなる。


本当にそんな事を思って不仲だったのなら、尚更口になどしないものだ。


「お蔭で俺はあの頃かなりの不眠症に悩まされたという訳だ。何せ夢の中まで母上の妄想話の中に出て来るピンクのドレスやアクセサリーが追って来るんだから」


「それで枕なんですね」


 ケニスは大袈裟に溜息をつきながら頷いた。


「父上に枕を強請った時には医者を呼ばれかける始末で、全く大変だったんだよ」


 それはそうかもしれないとティアファナは笑い声を上げる。


例えどれだけ大人びていようとも十二歳は子供そのものだ、そんな小さな我が子が一番欲しい物を枕と答えたら心配にもなるだろう。


「そういえばお義父様、もう少しでお帰りになられるんですよね?」


「うん、母上が何を言ってやろうかと身構えている様を見ると少し気の毒な気もするけどね。でも大体あの人に何を言ったって聞きやしないんだ」


 数度会ったきりの義父を思い出し、ティアファナは少し苦笑するに留める。


悪い意味ではなくとても朗らかな人だが、それ故か実にマイペースで人の話を聞かないところがあるように思えるのだ。


「まあ母上のような人を相手にするにはあのくらいでないともたないだろうけど」


「とてもいいご両親だと思います。それにお義母様だってご無沙汰していらっしゃるんですから、積もる話もあると思いますよ」


「積もり過ぎてきっとがちがちに固まっているんだ」


 ティアファナがまた笑い出すと、ケニスはそれに目を細めてそっと額同士を合わせた。


「あまり仰々しいのは好きじゃない人だし、積もりに積もった話もあるだろうから、早々に二人きりにしてあげよう」


「そうですね」


 尋ねるようにケニスの顔がまた少し近付き、ティアファナはそれに応えて目を閉じる。


すぐに重ねられた唇は撫でるように触れて何度も啄ばむ。


角度を変えて深く覆われると、自然と自分の唇も開き潜り込んで来た舌を受け入れた。


何度も何度も経験した事だというのにいつも同じように鼓動は跳ね体温が上がるのがわかった。


キスの合間に髪を優しく梳かれ力が抜けてしまう。


 唇を離したケニスはティアファナの呼吸が整うよう深く胸に抱き寄せた後言った。


「君は何か欲しい物があった?」


 その言葉に蘇る記憶がある。


「一度だけ……本当に小さな頃にどうしてもと言ってしまった事があって、父や兄をとても困らせたんです」


「ディーン殿が君を困らせる姿なら大いに想像出来るけどね」


 実際ある意味兄にはよく困らせられていたとティアファナは笑う。


「母様に会いたいとお願いをしてしまったんです」


「それは……」


 言葉を詰まらせたケニスに対し苦笑して頷いた。


今思い返せば小さな子供の頃だったとはいえなんと無茶を言ったものだろう。


 ケニスとはまた違った意味かもしれないが、あの時の事はよく憶えている。


何かの絵本がきっかけだった、その中に一番最初に輝く星に願い事をすると何でも叶うと書いてあったのだ。


その物語の中でさえそれが本当の事として書かれていたのかは忘れてしまったが、ティアファナはそれを見て一目散に外へと駆け出した。


当時遊び友達の領域を出ていなかったアナは、突然姿を消したティアファナに驚き泣きながら探し回ったらしい。


そしてあっという間に家中の大騒動となり大捜索となった。


結局庭の隅でティアファナを見つけたのはブレントとディーンだった。


流石に一人歩きをした娘を叱ろうとやって来たブレントに幼いティアファナは言ったのだ。


「父様、私、母様に会えるようにお願いをしていたの。父様も兄様も一緒にお星様にお願いして。私、母様にどうしてもお会いしたいの」と、ただ無邪気に。


「今思い出しても顔から火が出そうです」


「可愛らしい願いじゃないか。まあ、大人にとってはそうもいかないが」


 腰に回されたケニスの手に自分のそれを重ねて溜息をつく。


「なんとなくはわかっていたんです、当時も。母様は亡くなっていて、もう会える事はないんだと。でもそんな無茶な願いだからこそ叶えてくれると思ったんでしょうね」


「お二人はどうされたんだい?」


「ああだこうだと私を誤魔化す為に説明をしてくれたんです。でも二人共心底困った顔をして泣きそうになっているんですよ。それで、諦めて終わりです」


 そして幼いながらも、死というものがこれほど周囲に影響を与えるものだと知った。


あの時諦めた娘の顔を見て何か言いたげにしながらも口を閉ざした父の顔をティアファナは一生忘れないだろうと思う。


そんな顔をさせるのなら会えなくても我慢しなければならない、皆がきっとそうして過ごしているのだろうと考える事が出来た。


ティアファナはそう話し、ふと肩を落とす。


「でも暫くは怖くなってしまって。小鳥を買ってくれるという兄の言葉に、死を想像して大泣きした事もありました」


 ケニスの片方の腕が上がってティアファナの肩を撫で頬に手が触れる。


「そういえば、前に俺が動物を飼いたいかと聞いたら妙な顔をしていた」


「そうでしょう?時々恥ずかしい事と一緒に思い出すんです。それにやっぱり自分で育てるよりは、傍で見ている方が安心します。今は小鳥でさえも色々な病気にかかるのですって」


 友人の一人が飼っている小鳥が人間の年寄りのように神経を痛め動きが鈍くなったのだと話す。


それを聞いてティアファナはどんな動物も同じ生き物だと改めて感じると共に、落ち込んでいた友人を見て自分まで一緒になって落ち込んでしまった。


「でもきっと君は一度手をかけてしまったらこれ以上なく愛情を注ぐだろうな」


「そうかもしれませんね。いつ失うかと恐れているだけでは、沢山の思い出だって作れませんから」


 そう言ったティアファナはケニスを見上げ、そっと背筋を伸ばして唇を重ねる。


目を丸くした彼が少し可笑しくて微笑んだ。


「貴方を好きになって、私は色んな事を知りました」


「それは俺もだよ」


 お互いが満足げに頷いたのにくすくすと笑いが零れ、そのままもう一度口付ける。


緩く唇を開き舌が絡むと、隙間から濡れた息が溢れた。


かと思うとその息を奪うように強く唇を吸われ、思わずティアファナがケニスの肩にしがみ付けば、触れたままの彼が微かに笑ったのを感じる。


うっすらと目を開いたティアファナはそのままケニスを少し睨み首に腕を巻き付けた。


そして強く自分から唇を押し付けて未だ口内で蠢く彼の舌を軽く噛む。


再び少しだけ唇を離してケニスは微笑んだ。


「色んな君を知る度に俺はいつも驚かされる」


「私だって、いつまでも子供じゃないんですよ?」


 それに教えてくれたのは貴方です、と囁いたティアファナにまた何度もキスが降って来た。


「そうだね……でも君を子供だなんて思った事はないよ」


「そうですか?」


「君は俺の奥さんだからね」


 ほらと言って抱き上げられたかと思うと、そのままソファに倒され覆い被さられる。


額に流れた一筋の髪を手で脇に避け、ケニスはティアファナを見て微笑んだ。


「子供にこんな事はしないだろう?」


 言うなりくすぐるように音を立てて首筋に吸い付かれ、その感触にティアファナは少し掠れた声で笑った。


「そうだな、子供に対してするなら、こうだ」


「きゃ、ふふっ……あははっ」


「俺は子供もなかなかあやすのが上手いんだよ」


 脇をくすぐるケニスにティアファナは身を捩って大きく笑い声を上げる。


それを追いかけて腕を伸ばして来たケニスに深く抱き締められた。


「もう、お腹が痛いです」


「じゃあそれも治してあげようか」


 言うなりティアファナの腹の中央に手を当て円を描くように撫でるケニスにまた笑いが零れてしまう。


「それもくすぐったいですよ」


「でおこれは慣れてもらわないとな。いずれ俺が毎日こうする日が来るんだから」


 目を瞬かせたティアファナはその言葉の意味に思い至り、上気させた頬を益々赤くした。


「毎日するんですか?」


「勿論。リトルレディにも早く父親と認めて貰いたいからね」


 それに思わず噴き出す。


「女の子だって決まっているんですか?」


「どうしてかな、そういう気がしてならないんだ。この間ブレント殿の話を聞いた所為かもしれない」


「父様の?」


 どうやら先日のティアファナの誕生日パーティーの折りに二人でそんな話になったらしい。


未だ妻の自慢を憚らずしているブレントに勿論ケニスも負けていなかった事をティアファナは知る由もなかったが。


「ああ、待ち遠しい」


 ケニスはそう囁いてティアファナの腹に顔を埋める。


それを見下ろしながら彼の髪をゆっくりと撫でた。


「今からこうなんじゃ、実際子供が出来たらと思うと地に足が着きそうにないな」


「私も、待ち遠しいです」


 ケニスはティアファナの手を取りそこへ口付けた唇を、体を起こしてそっと上に近付けた。


「ティアファナ、俺は生涯、君を大切にする」


「私もです」


「勿論、リトルレディも、それから他の子達も」


「……一体何人の子供が出来るんですか?」


 くすくすと笑ったティアファナにキスを落としたケニスは神妙な顔で言った。


「俺達の愛が育めるだけ」





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