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番外編1-2

 渋るジョニーが徐々にその表情を変化させていくのを固唾を呑んで見守る。 


そしてどれくらい互いにそうしていたのか、ジョニーが僅かに息を吐き出した。


「わかりました。但し、とにかく、一旦お見せするだけですよ?」


「ありがとう!感謝するよ、ジョニー」


「坊ちゃんの奥様がお気に召すような物であればいいんですがね」


 そう言い残して奥へ消えたジョニーに大概察せられてしまったと羞恥を禁じ得ない。


どこかそわそわと落ち着かなくなって、俺はカップに無意味に手を伸ばした後立ち上がって脇にあった本棚に手をかけた。


一冊の本を引き出すとここの様々な布地の独特な匂いが本にも染み込んでいるのかふわりと漂う。


ページを捲り文字を目で追うだけで、冷静さを取り戻そうとしている自分がどこか滑稽だった。


 本を棚に戻そうと顔を上げると、本棚のすぐ横にある小さな窓が目に入る。


行き交う馬車や人々の波に思わず見入った。


これだけこの狭い世界にさえ人が溢れているというのに、その中からティアファナを見付け出せた事が今更ながらとても低い確率のような気がする。


けれどどれだけの人込みの中であろうと今や俺の唯一はあっさり見つけられる確信もあった。


 そう、ほら、すぐに見付けられる。


淡いグリーンのドレスを着たティアファナ、今朝とは違う装いだがとてもよく似合っている。


それに揃いの帽子の下で微笑むその花のような笑顔ときたら……、隣の男とて瞬きも出来ない可憐さだ。


周囲が色褪せてしまうほど彼女自身がああも輝いて――……ん?


「ティアファナ!?」


 咄嗟に振り上げた拳が窓枠に当たりガラスがビシッという音を立てたがそんなものはもう耳には届かなかった。


拳を突き放すようにしてその場から駆け出し、店の外に飛び出して周囲を見渡す。


一つ馬車が通りを横切って行くと、すぐにあのグリーンのドレスの後姿が目に飛び込んで来た。


石畳に蹴躓きそうになり押し退けた人々から文句を浴びせられながらも真っ直ぐに走る。


「ティア!――ティアファナッ!」


 恥も外聞もなく喉が裂けるかという勢いで叫ぶと、ティアファナはやっと足を止め帽子に手をかけてつばを上げると辺りを見回す。


そしてティアファナがこちらを向いた瞬間に俺も漸く足を止めた。


こんな風に走ったのは一体いつぶりだと一瞬思うも、俺を認めたティアファナがその大きな瞳を瞬かせ隣の男を窺うように見上げたのに、全てが吹き飛んでかっと一気に頭に血が上った。


素早く視線をその男へとやれば、さっきは気付かなかったが知った顔だった。


きっとこんな事態になると俺が想定していたなら、俺が一番見たくなかった顔だろう。


「ロビン=ワット=ガイラー……」


 噛み潰すようにその名を告げると、ガイラーは僅かに片眉を上げたきり表情を隠し、さっと社交場で俺も見覚えのある顔に切り替えた。


恐らくそれも俺が読み取ると思っての事だろう、「社交界の若き花形」「誠実の貴公子」と呼ばれる俺とは正反対のこの男は案外食わせ者かもしれない。


「お久しぶりです、バークレー殿。いつ以来でしょうか」


「そんな事はいい。私の妻と一体ここで何をしている?」


 そして再び、今度はゆっくりと片眉を上げたガイラーは見せ付けるように微笑んだ。


「今日は姉が体調を崩してしまったので、私が姉の代理です。ティア……ミセス・バークレーがお探しの物があるとかで、私がご案内を」


「ケニス、私がお願いをしたのです」


 宥めようと言ったつもりだろうティアファナの言葉にでさえただ火を点けられただけだった。


ティアファナが彼の姉と交流を持っていた事は知っている、そして先日には彼女から手紙が来ていた事も。


ただティアファナの隣にこの男が並んでいる事が気に入らないだけだともわかっている、けれど止まらない。


道行く人々の好奇心の視線を跳ね返すように俺はガイラーを睨み付けた。


「供も連れずティアファナを?」


「いえ――」


「ケニス、それも私がお願いをしたのです。アナには近くで待っていて貰っています」


 彼女は説明をしているだけだ、それなのにどうしてこの男を庇うような言葉に聞こえるんだろう?


つい昨日まで俺には微笑みしか向けられていなかったはずの顔が、まるで結婚当初の俺のように冷たくさえ見えた。


――ああ、俺が仕出かした悪夢を、今度は俺自身が見ているのか?


「ケニスッ!?」


 絹を裂くようなティアファナの悲鳴も、まるで悪夢の証拠だと言われている気分だった。


ざわついた周囲の声が聞こえなくなっていく、射抜くような俺の目を観察するようなガイラーの目が不快だ。


ガイラーの胸倉を掴み上げた俺の拳を引き剥がすようにティアファナが俺の腕にしがみ付く。


けれど駄目だ、そんな生易しい力じゃ、到底この拳は収まりがつかない。


「ケニス、止めて下さい!」


 どうして俺は始終こんな事ばかり繰り返しているんだろうと、状況にも関わらず自嘲したくなる。


可愛いティアファナにこんな泣きそうな声を出させて、……やはり俺はちっとも変わっていないのかもしれない。


「俺の妻を一人で連れ出したいのなら、俺の申し出を受ける事だ」


「何の申し出を?」


「け――」


 決闘だ、――しかしそう言う前に俺の空いた片腕の隙間から滑り込んで来たティアファナに強く胸を突き返される。


咄嗟に手を離しよろめいた俺に、その宝石のように綺麗な瞳が射抜くようにして俺も見上げた。


怒ったティアファナを見たのは初めてだと、やはり回らない頭で俺は考えた。


「いいですか、ケニス。これ以上ガイラー様に無礼はさせません。オーレリア様がわざわざお店に口を利いて下さったのです、それに場所がわかり辛いからとガイラー様に案内までさせてしまって。お礼を申し上げるべきなのですよ」


 声はそう大きくないというにも関わらず、彼女の声はいつもの柔らかさを微塵も感じさせないほど凛としていた。


俺が二の句を継げずにいるとティアファナはガイラーを振り返って頭を下げる。


「大変申し訳ありません。夫がご無礼を――」


「構いませんよ。奥方がよく知りもしない男を街を歩いていて動揺なさったのでしょう。少々驚いただけです、……私の知るバークレー殿とはすっかり別人のようでしたので」


 俺を一瞥し彼女に向かって微笑んだガイラーに俺は奥歯を噛み締めた。


何が誠実の貴公子だ!


「とにかく、そういう訳ですから。これから買い物に行って参ります。セバスチャンに言付けを頼んでおいたのですが……どうやらお聞きにならなかったようですね」


 ふと息をついて緩く首を振る彼女に、そういえば今朝セバスチャンが何やら言っていた気もする、だがちっとも耳に入っていなかった事を思い出した。


「それでは行って参ります。参りましょう、ガイラー様」


「ええ。バークレー殿、貴方も知っての通り私は護身術には多少の心得がありますから、道中はお任せ下さい。。……それでは」


 振り返りもせずすっと背筋と延ばしたティアファナとそのお隣に寄り添うガイラーがこの場から立ち去るのを、俺は何も言えないままで見送った。


一体何を言えるというのか、言えたとして同じ言葉しか出て来ない。


ティアファナがガイラーとどうにかなるとは思わない、彼女はそんな風に誰かを、自分を軽く扱ったりはしない。


それでも俺に対してはどうだろうか。


こんな場所で理不尽な理屈を述べ、怒りに身を任せた夫に対しては?


 突き刺さる人々の視線をもう鬱陶しいとも思わず、俺はまるで弛んだ布地の上を歩いているような覚束無さのままジョニーの店に戻る。


そして再び椅子に座るとジョニーが目を丸くしているのも構わずに深く項垂れた。


こんな事を仕出かして、ティアファナを喜ばせる以前の問題じゃないか。


「一体どうなさったんです?」


「俺は、……俺は、どうしたら妻に相応しい男になれるだろう」


 父にも洩らした事のない、幼い時には彼にだけたった一度同じような弱音を吐いた。


あの頃は貴族でない自分に酷く劣等感を抱いていた、周囲にいた子供の殆どが貴族だったのから仕方もない。


そして今と同じように彼に打ち明けた。


その時ジョニーに諭された、俺は貴族でも商人の息子でもなく、「俺」でしかあり得ないのだと。


 俺はジョニーが口を開く前に顔を上げ自嘲した。


「全く、俺はいつまで経っても成長がないな。結婚までしたっていうのに」


 彼はすっと白い口髭を撫で、濃い新緑を思わせる瞳を優しげに細める。


ああ、いつかの彼もこうだった。


「とても、愛されておいでなのですね」


 感慨深げに言われた言葉に俺もただ頷いた。


「嘗て、私の妻が申した事によりますと、人は代わり映えのない事には耐えられないものなのだそうです」


 それは何かの本で見た事がある、同じ物を見続けているとそれが何かを正しく認識出来なくなるらしい。


多分彼の奥方が言っていた事と似ているだろう。


「人との関係も同じ事だと、私は思うのですよ。何も変わらない心では、いつか妻を妻とも認識しなくなる」


 そう言ってジョニーは目の前に置いていた小さな小箱をそちら側に向け、更に小さな真鍮製の鍵を使って開けた。


そして蓋を開いたままこちら側に向け直し、俺は促されるままその中を覗き込む。


中には特に変哲もなさそうなブローチや髪飾りにリボン、果ては小石までが入っていた。


「これは?」


「私が妻に贈った物です」


「小石を?」


 何度見てもその辺の道端に転がっていそうな小石だった、到底磨けば宝石が出て来そうな原石ではないだろう。


しかし訝しげな俺に対し、ジョニーは少し誇らしげにして頷く。


「私は……そう、実は私もね、若い頃は以前の坊ちゃんのようだったんですよ。いや比べるのもおこがましい。お恥ずかしながら、親にも見限られるような放蕩者だった」


 今の彼からは想像も出来ないような話に思わずぎょっとしてしまう。


確か彼は代々続いている店を父親から受け継いでいるはずだ。


彼の言う通りだとすれば、幾ら息子とはいえ店を任せようなどと思うだろうか。


俺の疑問を察したジョニーは苦笑しながら、昔を懐かしむようにゆっくりと言う。


「まあどうにか妻を得て父にも一から仕事を叩き込まれ、何とかはなりましたがね。しかし長い間、私は妻に代わり映えのしない日常を強いてしまった」


 俺に言うのではなく、綴られた日記を捲り思い出を自分自身に語っているようだった。


小箱に視線を落としながら皺に囲まれたその目が見詰めているのは遠い昔の事なのだろう。


「私は朝から晩まで仕事仕事で……けれども彼女は毎日手を変え品を変え私の楽しませ癒そうとしてくれた。そして気付いたんです、私自身がそうした妻を当たり前のものと思い、妻を妻とも認識していなかった事が。やっと一人前と言われ父から店を任されるようになった矢先……妻が倒れた事で漸く……本当に漸く気付いたんですよ」


 そしてその目に深い後悔が浮かぶのに俺の胸が酷く痛んだ。


もしティアファナと結婚した当初の状態が今も続いていたらと思うと、その後悔は正しく俺のものだったかもしれない。


今になって彼女がどれだけの苦痛と寂しさに耐えていたか思い知らされた。


碌に目も合わせず、触れ合いもなく、かけた言葉は突き返されて――どれだけ心細かった事だろう。


年を重ねた今希望を潰す術を知っている分、幼い頃迷子を経験した時よりも一層恐ろしい。


「それから妻が亡くなるまでの間、彼女の体調が許す限り共に様々な場所に赴き贈り物をしました。そんな事しか私には考え付かなかった」


 俺と、同じだ。


「今日は何を贈ろう、明日は何を贈ろう。そうして私自身も人生を楽しみ、心がね、変わった事を知りました」


 ジョニーはその小箱が奥方そのものであるかのように大事そうに引き寄せて閉じた蓋を撫でる。


「勿論完璧には行きません、自分の思う通りに世は運ばないものですから。ただ自分の心一つで、如何様にも、変われる事もあるのですよ。いつでもね」


「俺に――変わる事は出来るだろうか?」


 すると彼は皺を押し上げて目を開き、そしてまた顔を皺だらけにして笑った。


「すでに坊ちゃんはお変わりではないですか。そのようなお姿を拝見出来て、この老いぼれも長く生きた甲斐があったというものでございますよ」


「こんな、情けない姿でも?」


「恋をする男の姿は今も昔も情けないものと相場が決まっております。悩み躓き立ち止まり、それでも止められないのが恋というものですよ。悩みもせずこれでいいのだと、人に対してそう思ったのなら……その方はいつか坊ちゃんにとって人ではなく、石像のようなものと化してしまわれるでしょう」


 暫くぼんやりと彼の言葉が頭の中を渦巻いた。


彼女の思いを突き放していた間、そして彼女と思いを通じ合わせた間、俺は少なからずただ現状だけに満足してはいなかったか?


たっぷりとティアファナの愛に浸かっているだけの俺を、彼女こそが代わり映えのしないものと認識したのでは?


「坊ちゃん、悩む事はそれだけ相手を思うからです。好意を持つ相手にほど、自分がどう行動するかどう存在しているのか、悩むものですよ。ご安心なさい、貴方は確かにご立派になられた」


「何故……小石を奥方に?」


 ジョニーは照れ臭そうに白髪を撫で付けて言った。


「あれは、私が妻に……指輪以外に初めてプレゼントしたものなんですよ」


 思わず瞠目してしまった俺にやはり彼はふふと笑って小箱の中から取り出した小石をこちらに向ける。


そしてそれが俺に向けられた角度から見ると何となく花の形を模している事に気付いた。


「何となく花の形に見えるでしょう?私もそう思いましてね、咄嗟にこれを拾って彼女に差し出したんです」


 そんな言葉に驚いたと言うより外はなかった。


先程聞いた話も今の彼を見れば俄かには信じ難い、「咄嗟に」なんて言葉がこれほど不釣合いな人もそういないだろうと思うほど彼の所作は緩やかで余裕がある。


「結婚前に一度も何か贈らなかったのか?」


「ええ。店を任されるようになったと言っても、それまで私は妻の分まで親に養わせているような状態だった。だから無一文だったんです、殆ど。そして妻が病とわかった当初は治療費を捻出するのが精一杯で、妻が病院から出られるようになった日には花も買えず。家に帰りながら妻が散歩をしたいと言い出して、歩きながら私は今までの自分を思い返していました」


 心情は何となく察せられた。


仕方がなかったと自分自身が無意識に口実にしていた状況は、その時になって初めて彼を現実として苛んだ事だろう。


――俺が嘗てそうだったように。


「そんな考え事をしていた所為でしょうね、転んだんです、派手に」


「ジョニーが?」


 声を上げて笑ったジョニーはそのままで頷く。


「そうしましたら、妻が手を差し伸べるんです。記憶にあるよりずっと細くなった手で、未だ血の気のないような顔を心配そうにさせて、大丈夫かと私に問うたんです。声を上げて泣きたいと思ったのは、あれが初めての事でした。居た堪れなくなって、もうとにかく彼女に何かを与えなければいけない気持ちに囚われました。相手を気遣う――今までそんな当たり前の事も妻にしてやれていなかった自分が恥しくて、後ろめたかったんです」


「……わかるよ」


「それで咄嗟に足元に転がっていたこれを差し出したんです。今思い出しても恥しくなるんですがね。けれど妻は喜んでくれました。生花のように枯れる事はないから、一生……大事にしておけると」


 彼が声を震わせたのに、俺も暫く黙り込んでいた。


きっと少し前のティアファナも彼の妻のように何を贈ったとして喜んでくれただろう。


しかし今は果たしてそうだろうかと思わずにはいられない。


もし彼女が俺を夫として認識しなくなっていたのなら、俺自身の贈り物も同じように見えてしまうだろう。


愛する人が贈る小石は宝石にも勝るだろうが、その逆はどうだろうか。


俺の贈り物は彼女の目に色褪せて映りはしないだろうか。


「ああ、すみません。全く、年を取ると時間が緩やかに流れ過ぎる」


 ただその言葉が想像を絶した、その緩やか過ぎる時間を彼は愛する人をこの世からは失ったまま生きている。


けれど彼の胸には全て思い起こすにはそれでも足りないほどの思い出が詰まっているに違いなかった。


「まあそういう事です。多分ですがね、贈る側の気持ちも大事なんですよ。ですから坊ちゃんはきっと奥様のお喜びになられるものを見付けなさるでしょう。坊ちゃんが選びなさった方だ、大丈夫ですよ。ケニス様が悩みに悩んで贈られたものなら必ずお喜びになります」


 ああそうだ、彼女は例え親の敵から贈られた花であろうと、花を憎むような人じゃない。


そしてそこにこそ俺の挽回の好機があるんじゃないか。


「ありがとう」


「私は何もしておりませんよ。そういう訳で、ですから」


「もう譲ってくれとも買い取らせてくれとも言わないよ。やはり見に来てよかった」


「さようでございますか。そうそう、お二人のお子様がお出来になられた時には、是非このジョニーに御用命を。とびきりの仕立てをさせて頂きますからね」


 にこにこと笑みながらのその言葉にはどう返したものか迷って頷くだけにした。


来た時同様手ぶらで外に出て、振り出しに戻ってしまった事に気付く。


それでも彼女に対する自分を存在にあれこれ悩み、そんな自分を疎ましく思っていた何かは消えていた。


開き直りと言えばそうだろう、それでも彼女に対して悩みが尽きない自分自身を肯定出来た事で身が軽くなった気分だった。


それもそうだ、当たり前なのだ、彼女が好きだから俺はどうしようもない事まで考えているんだ。


愛の反対は無関心だと言うが、実際その通りなのだろう。


「自分の心一つ、か」


 雑多な町並みを再び歩きながら噛み締めるように呟く。


心を通じ合わせて以来贈り物は様々して来たが、肝心な時に何一つ思いつかないのは、やはりそれまでが何となく一般例に合わせたものだったからだろうか。


徐々にティアファナの好みは把握出来て来たものの、ここ一番という物が出て来ないのには今更ながら俺自身かなりショックだ。


勿論彼女の何もかもを把握出来るとも思わない、けれどそれにせめて近付きたい。


俺も少しずつでも変わっていけているのだと信じたい。


「贈り物は止めだ」


 自身に言い聞かせるようにして俺はその言葉と共に踵を返す。


そして記憶を探りながら真っ直ぐにある店へと向かった。


「いらっしゃ――え、……え?ダンナ、店をお間違えじゃ……」


「客に向かってなんだその言い草は」


 カランとドアベルが鳴り止まない内に奥から顔を出した中年の小太りな店主がまじまじと人の顔を見る。


確かにこの店に自ら足を運んだ事はない、精々数年も前母に付き合って一度来たくらいだ。


「いやあ、ご結婚なさったとは窺ったんですがね。おめでとうございます。いやしかし、まさかダンナがお一人で来るとは夢にも思いませんで」


「悪かったな」


「いえいえ、へえ、それで今日は何をご入用で?」


「正直、わからない」


「……ダンナ、冷やかしは勘弁して下せえよ」


「わからないからわからないんだ、店主なら説明をしろ」


 ふっくらとした肉に埋もれた小さな目をこれ以上なく丸々とさせた店主は所在無げに首を掻く。


「そりゃあ、構いませんが。……しかし、まさか一通りお揃えで?」


「必要であればそうする」


「へえ、はあ……まさか、ダンナがお使いになるんで?」


「俺が使う事に何か不都合でもあるのか」


「いえいえ!はあ……ダンナがお使いになるんで……」


 呆けたような店主から視線を外して店をぐるりと見渡してもさっぱり用途も価値もわからない。


しかしいちいち何に使う物なのか聞いたところで、その最良に活かせる方法を俺はまず知らなかった。


それに気付いて店主を振り返ると、何故か安堵したような表情でいる。


「お止めになるんで?」


「……買うと言ったら買う、そして俺が使う。それより、奥方がその手の事に詳しかったな?いるなら呼んでくれ。それぞれの説明を聞きながら検討する」


「…………へえ」


 気の抜けた返答をした店主はそのままふらふらと奥の方へ入って行った。


それを見送り俺は一番近い棚に歩み寄り目に付いた物を手に取ってみる。


家でも目にした事があるものだというのに、俺には経験がない分これを何に使うのが最良かもわからない。


 しかし俺は必ず遣り遂げてみせよう。


ティアファナが俺をどう考えているかは今は考えない事だ。


ただ、そう、彼女を喜ばせたい、彼女の笑顔を見たい。


今はそれだけだ。


例えば俺がジョニーの立場であっても、きっと小石を贈る事に躊躇いはなかっただろう。


「まあまあっ、旦那様、いらっしゃいまし!今日は奥様のお使いで?」


 ……とにかく、俺はやるぞ!





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