第二十六章:無臭主義者たちの夜明け
〈脱香〉と名乗る集団の活動は、静かに、だが確実に都市の地下を侵食していった。
彼らのスローガンは明快だった。
「嗅がれるな。語るな。沈黙こそが人間性だ」
無臭=不可視性=自由。
それはかつての支配構造を反転させた新たなファシズムの芽でもあった。
朝永はある晩、議会の非公式ルートを通じて、脱香のリーダーと接触する。
その男の名は《ドクサ》──元・感覚研究所の精神分析官で、香律設計初期に排除された男だった。
「香りは言語以上に残酷だ。お前たちはその刃を、信じすぎた」
彼の言葉は鋭く、かつ静かだった。
ドクサの周囲には、完全防臭スーツを着た男女が沈黙を守っていた。
「私は君に敵意はない。ただ、我々の存在も、記録されるべき香りの一部だということを覚えておけ」
それが、宣戦布告だった。
翌朝、香律中枢塔の送香管が切断された。香りが都市に届かない──それは初めての「嗅覚遮断事態」だった。
ユグ=オルファが即座に動いた。
「彼らは“無臭”という名の武器で、我々の心を腐らせようとしている。だが、香りは必ず染み込む。防げはしない」
議会は分裂状態にあり、対応は後手に回った。
香りの消えた都市は、不気味な静寂に包まれる。
人々は互いの存在を“感じ取る”ことができなくなり、次第にパニックと暴力が広がっていく。
朝永は、ユグ=オルファと共に地下香律回路の再稼働を目指す。
「私たちは、“共鳴”の力を信じすぎたのかもしれない。でも、それしかなかった」
彼の声には迷いがあった。
「迷え、朝永。迷った先でしか、本当の香りは見つからない」
ユグ=オルファは微笑みながら、彼の手を取った。
香りを失った夜、都市は《無臭主義者》と《香律保持者》の静かな戦争の始まりを告げた。




