第二十五章:嗅覚議会の裂け目
香民主議会が設立されてから一週間後、初の「香律紛争」が勃発した。それは香りの共有範囲をめぐる論争だった。
「ある記憶はあまりに暴力的すぎる」
「いや、それを封印することこそ暴力だ」
意見は真っ二つに割れた。香りによる共感社会が、早くも限界に差しかかっていたのだ。
議会内部では、保守派と急進派が激しく対立した。
保守派は「公的香律のガイドライン」制定を求め、急進派は「完全開示と痛覚共有の義務化」を唱えた。
朝永はその中間にいた。
「俺たちは、もう一度“境界”というものを考え直すべきだ。香りは無限に広がる。だが、人間の精神は有限だ」
彼の訴えは響いたが、対立は激化するばかりだった。
一方、ユグ=オルファは沈黙を貫いていた。
彼女は地下の香律保存庫にこもり、記憶香の断片を再編集していた。その表情には焦りが見えた。
「……これはまだ、香りの“革命”にすぎない。本当の変化は、ここからだ」
そんな折、香律中枢塔にて自殺者が出た。
彼は自身の記憶香を公開することを拒み、社会から排除された末の死だった。
都市全体に緊張が走る。
「香りの自由とは、強制されるものなのか?」
SNSには香律に反対するタグが現れ始め、《脱香》と呼ばれる地下運動が拡大した。
彼らは無臭を再び選び取ることで、「存在しないこと」を選択したのだった。
「香りは、人間を救うのか? それとも追い詰めるのか?」
朝永の自問は、やがて議会そのものの分裂へとつながっていく。




