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第二十四章:香りの民主化

 《共感的マゾヒズム》によって再編された都市は、もはや旧来のヒエラルキーに基づいた支配構造ではなく、嗅覚と記憶によって連帯された新たな共同体へと変貌していた。人々は他者の記憶と痛覚を香りを通じて受け取り、同化し、再解釈する。


 朝永の姿は、その中心にあった。香律中枢塔の下層部に仮設された〈香民主議会〉では、ユグ=オルファ、柚月、そして朝永をはじめとした嗅覚関連の高感受者たちが一堂に会していた。


 「新たな香律は、誰の所有物でもない。記憶も、痛みも、快楽も、私たち全員のものです」

 柚月の宣言に、議場が静かに揺れた。


 「……ですが」一人の老調香師が立ち上がった。「香りは、記録される。記録されれば改竄される。香律はいつか、かつての“支配”へと回帰するのではありませんか?」


 朝永は立ち上がった。

 「記録される記憶には、傷がある。だが、その“傷”こそが人間だ。忘れずにいること、痛みを受け入れること。香りの民主化とは、互いの不完全性を受容するプロセスだと思う」


 その言葉に、議場は今度こそ沈黙した。誰もが自身の中の“欠落”を思い出していた。


 柚月が静かに語る。

 「この都市では、もはや“無香”は暴力です。香りとは、存在そのもの。誰もが、他者の香りを知る義務がある」


 それは暴力的な愛の宣言だった。だが、誰も反論しなかった。


 その夜、《香律共有端末》が各家庭に配布された。端末を通じて、誰もが自らの記憶の一部を香りとして公開・共有する社会。

 名前の代わりに、香りで自己を表現する時代が始まった。


 朝永は、自室で一人、弓香の香りを再構成していた。

 かつて自分の欲望と罪の象徴だったその香りが、いまや希望の礎になっている。


 「……君の痛みは、世界を変えた」


 彼の目には、かすかな涙が浮かんでいた。


 都市には、無数の香りが流れ始める。

 それは、個人の記憶であり、愛であり、暴力の再定義であり、そして未来への招待だった。

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