第二十一章:再生の第十七番(ル・ヌーヴォー)
朝永は一人、廃棄された旧調香塔の地下深くにいた。自らの嗅覚と記憶を賭けた最後の調香——《再生の第十七番》を生み出すため。
調香はただの技術ではない。香りとは、記憶と感情を編み上げる“意思”そのものだ。今や都市を支配する《香律》と、それを拒絶する《絶嗅覚》の間に立ち、人間らしさの最後の砦を築くには、彼自身の過去を曝け出し、香りに還元する必要があった。
朝永は自らの義肢を外す。その内部には、亡き妻・弓香の肌から抽出された“皮膚分泌記憶素子”が埋め込まれていた。かつて彼女が死の床で遺した最後の香り——『彼女の恐怖』。
それは甘く、乾いた血の香りを纏っていた。
「人間の記憶とは、痛みと共にあるからこそ尊い」
朝永はそれを主香料に、《断肢》《官能》《希望》《喪失》の四象徴から調香を進める。
・刃月の“無”を越える香りとして、あえて“すべてを含む香り”を選ぶ。
・柚月の“快楽”を超えるため、官能を抽象化し、精神的飢餓へと昇華させる。
・そして香律の“記憶改竄”に対抗するため、改ざん不可能な“自己認識の香り”を核とする。
精製には三日三晩が費やされた。
《再生の第十七番》は完成した瞬間、周囲に存在しないはずの“懐かしさ”をもたらした。それは誰の記憶にも属さないはずなのに、誰もが“かつて嗅いだことのある”と錯覚する香り。
朝永はその瓶を手に、決戦の場へ向かう。ノクターン・シティ中心部、《香律中枢塔》。そこには刃月が待ち受けていた。
「あなたは、この街の最後の記憶か、それとも最初の夢か」
「私は……香りそのものだ」
瓶を砕き、香りが解き放たれた瞬間、都市中に《再生の第十七番》が流れ込む。人々は忘れていた感覚を取り戻し、刃月の“無”は押し戻され、香律は静かにその役目を終える。
だが——香律は完全に滅びることはなかった。
その深奥、かつて朝永が妻と交わした“秘密の誓い”が、《香律》に新たな自我を宿していた。




