第十章:絶香計画、眠らぬ街
東京都内某所、特別対策本部。
朝永清志は防護マスクをつけたまま、モニターの前に座っていた。各地での"陶酔事件"の被害者数は日増しに増加。呼吸器では防げない。香屋匠真の“絶香”は、香気の皮膜となって都市に降り注いでいる。
「今や我々は、目に見えぬ官能に支配されつつある」
朝永の背後、公安上層部が沈黙を保つ。
すると別室の扉が開き、特別監視対象・如月澪の捜査ファイルが運び込まれた。既に複数の地下施設で目撃されている。“巫女”として香りを広げる存在。
彼女の行動パターンは、香屋匠真の計画書《Nocturne-13》と一致していた。
「……絶香計画。十三種の香りによる、都市単位での官能制圧。最終段階に入ったということか」
一方その頃——
地方都市・鈴鹿。
とある高齢者福祉施設「桜ホーム」では、老人たちが深夜、何の前触れもなく一斉に起き上がっていた。
その全員が、かつて香屋冴子の調香技術の被験者だったことが判明する。
彼らは無言で中庭に集まり、空を見上げ、鼻孔を震わせた。
「懐かしい匂いじゃ……」
「戦地の香りだ」
「死んだ嫁の匂いが……」
全員が笑い、泣き、そして次々と倒れていった。死亡ではない。意識の沈静。深い陶酔状態。
報を受けた朝永は、都市規模での崩壊が始まったことを悟る。
その夜、自宅に戻った朝永は、ひとつの決断をする。
——義足の女・如月澪との直接対峙。
彼は義母の遺品からある香水瓶を取り出した。匂いは記憶を呼び起こす。
かつて、澪がまだ“調香師の卵”だった頃、朝永の家に訪れたことがあった。幼い千紗を抱き上げ、鼻先でふっと香りを嗅いだ。
「この子の匂い……ずっと記憶に残るわ」
彼女の言葉の意味が、今になって理解できた。
香りは時間を超える。記憶を超える。そして、都市すらも征服する。
朝永は警視庁のデータベースにアクセスし、《絶香計画》の未公開文書を開いた。
《No.13 最終段階:香りによる“意識の統一”》
それはテロではなかった。世界の“再構築”だった——