殿下と僕とボルチモア先生
「スコット筆頭補佐官!」
「あ、ボルチモア先生!」
「どうしたのですか? その大量の木箱」
コルネ嬢とパスタ料理とワインを楽しみ、宮殿に戻った後。僕は明日に備え、備品室から木箱を執務室へ運ぶことにした。
もう二十二時が近い。
廊下にいるのは警備兵ぐらいかと思ったが、宮廷医のボルチモア医師とバッタリ遭遇した。
「この木箱。分かりませんか? ついにその時が来たんですよ」
「その時……あ、明日は」
「はい。明日は、十月一日。レグルス王太子殿下の縁談話の解禁日です」
僕の言葉にボルチモア医師は「ああ、そうでしたね」としみじみと頷く。
この木箱はレグルス王太子殿下に届けられる求婚状と推薦状を入れるためのもの。王太子の婚約者選びが始まるのだ。妙齢の娘がいる貴族なら、こぞって求婚状と推薦状を送ってくるはず。この沢山の木箱も、すぐに満杯になるはずだった。
「眠る前の陛下の定期健康をチェックをしていました。これから部屋へ戻るだけなので、その木箱、運ぶのを手伝いますよ」
「え、いいのですか!?」
「ええ。……スコット筆頭補佐官、飲んでますよね?」
「そうですね」
「しっかり歩けているようで、実は左右にぐらぐらされています。その上でこの木箱を運んでいると……見ていられません」
これには苦笑し「そうでしたか。それは失礼しました。お力を貸してください」と応じることになる。こうして木箱の半分を持ってもらい、ボルチモア医師と並んで歩き出す。
「レグルス王太子殿下はご自身の婚約と結婚について、以前からの考えを変える気はないのですか?」
「……そうですね。そこは殿下本人が決められない部分もあるので……」
僕の答えを聞き、ボルチモア医師は一瞬黙り込み、そして遠慮がちに口を開く。
「家柄や政治の場への影響力を考えると、公爵家のご令嬢辺りが筆頭候補になってきますよね、殿下の婚約者の」
「ええ、そうだと思います」
「……でも……殿下に相応しいと思える令嬢が……最近ようやく現れたと思っていたのですが」
これにはドキッとしてしまう。
(もしやボルチモア医師は……!)
そこで僕は背筋を伸ばし、なるべくしらふっぽくなるようにして、口を開く。
「実は僕、殿下にはコルネ嬢が相応しいと思っているんです」
「その考えに同意です!」
「本当ですか、ボルチモア先生!」
するとボルチモア医師はこくりと頷く。
「宮廷医として殿下のことは特に注意深く観察しています。というのも殿下は幼い頃より怪我が多く、我慢を先に覚えてしまったのです。痛くても我慢する。よって先回りして、気づいてあげないといけません。足の小指を骨折していた時も、その日は我慢し、翌朝、着替えを手伝った執事が気付いたぐらい。ゆえに殿下の体に不調がないか、常に気にする日々です。その中で、殿下の眼差しの変化に気づきました」
「どんな変化に気づかれたのですか!」
思わず食い気味で尋ねてしまう。
「コルネ嬢が何か他のことに気をとられ、殿下の方を見ていない時。殿下の眼差しはとても柔らかくなります。そしてその視線の先にいるのはコルネ嬢なのです。それはほんの一瞬のこと。でもそれが何度も繰り返されるのです。……愛おしくて仕方ないと伝わってきます」
「……! さすがボルチモア先生です! 分かっていらっしゃる! そうなんです、そうなんですよ! 殿下は間違いなく、コルネ嬢を……想っていると思うんです!」
「ですがその身は王太子。国王陛下に許可をもらうのは難しいと」
「はい。それだけではありません」
そこで僕は先ほどコルネ嬢とパスタ料理を食べ、ワインを飲み、そこで話したことをボルチモア医師に聞かせた。
「殿下はコルネ嬢のことが好きだと思う。後にも先にもそんなふうに殿下が気持ちを動かされる女性はコルネ嬢しかいないと。婚約者候補に名乗りを上げて欲しい、何なら推薦状を書くと言ったのに」
「もしかしてコルネ嬢から『結構です! 私は殿下の侍女で、それ以上ではないのですから! 酔っ払いも大概にしてください!』とでも言われましたか?」
「驚きました。その通りです。……もしかしてボルチモア先生、お店にいましたか?」
「いえいえ、宮殿の敷地内から一歩も出ていませんよ。ただ、殿下を観察するのと同じぐらい、コルネ嬢のことも注視していました。それにコルネ嬢のアイデアの件で共に動く機会も多かったので……。自然とコルネ嬢の性格も掴んでいると言うか……」
これにはもう「なるほど」だった。
僕だってコルネ嬢と一緒にいる時間は長く、彼女の性格を掴んでいるつもりでいた。だが彼女から「ノー」の答えしか引き出せないなんて……。
しょんぼりする僕をボルチモア医師が励ましてくれる。
「何かきっかけがあれば、お二人はお互いの気持ちに気がつくと思います。特にコルネ嬢は間違いなく、ご自身が殿下を想っていることに気づいていません。侍女だから当たり前。殿下のためにすることは、侍女として、して当たり前……と思っているはず。でもその当たり前、当たり前ではないですからね。間違いなく、好きという気持ちが根底にあると思います」
「なるほど。そうですよね。きっかけ。きっかけ……かぁ」
「ええ。殿下もコルネ嬢も。お二人とも恋愛上手というわけではないですよね。何と言うか不器用な二人に見えます」
「ああ、それはそうですね……」
「ただ殿下は強い意志の持ち主です。こうと決めたら、必ず成し遂げるお方。殿下の恋心に本気の火がつけば――。きっと。きっと殿下はコルネ嬢と婚約されると思います」
ボルチモア医師の「殿下の恋心に本気の火がつけば――」の「火がつけば」が、いろいろな意味で現実になることを……この時の僕は知る由もなかった。
お読みいただき、ありがとうございます!
本当にいろいろな意味でこの後
火が……!