スタミナが足りない
あれは……今から数週間前。
警棒を手に入れ、朝の訓練にも身が入っている時のことだ。
『……ジーク、休憩!』
『うん? もうダメか? リエットはスタミナがまだ足りないなぁ』
『! そう言われても。でもただのメイドよりは、体力あると思いますけど!』
メイド服姿の私は、ジークの特訓に汗が噴き出していた。
(もう夏はとっくの昔に終わったのに! こんなに汗をかくなんて!)
一方のアクアブルーのセットアップ姿のジークは、あくまで涼やかだった。
『まあ、並みのメイドより体力がある。それは認める。それに諜報部の女性でリエットみたいな武闘派は、ほんの一握りしかいない。その中でリエットは……ダントツだ。一番であると認めよう』
『! ならば』『だが』
そこでジークは裏庭のベンチに私と並んで座り、吹く風を汗一つかいていない顔で受け、秀麗に微笑む。
『僕のスタミナはモンスター級と言われている』
『……はあ。……自慢、ですか?』
『いや、リエットに関わることだ』
『私に関わる……?』
そこでジークが赤銅色の瞳を細め、真剣な表情になる。それを見たら、私も自然と真面目な顔になってしまう。
『多分、僕はベッドでもすごいことになる。リエットの今の体力では、すぐに気絶だろう』
『……そ、それって……』
『まあ、結婚式までには今の倍ぐらいのスタミナはつくか。この僕が直々にほぼ毎日鍛えているからな』
ジークが何を言っているのか。それを理解するのに数十秒かかった。なぜならまったく、これっぽちも想像したことのない話をジークが始めたからだ!
『なっ……何を勝手なことを言ってやがるんですかね!? 殺されたいんですか!?』
『リエットの腕の中で死ねるなら本望だ』
『じゃあ、今すぐそうして差し上げます』
素早く警棒を手に持ち、ひと振りすると、ジークは『待て、待て!』と両手を自身の胸の前で広げる。
『リエット、限界だったんじゃないのか!?』
『完全に限界になったら、いざとなった時、困るじゃないですか! 余力を残した上での休憩です!』
その瞬間。
いきなりふわりと抱きしめられ、爽やかなミントの香りに包まれる。
『成長したなぁ、リエット! これまではがむしゃらだった。でも今はかなり冷静に行動できている。そろそろ実践任務につけそうだ。うん、素晴らしい!』
思いっきりはたいてやりたいのに、褒められてはそれもしにくい。
それに……何だろう。
こうして抱きしめられるのが……嫌ではないことに戸惑いがある。
(なんなのかしら? この胸がキュンとする感じは!)
棒立ちする私に対し、ご機嫌のジークは話を続ける。
『日に日に成長しているリエットに、教えておくことがある』
『……何ですか?』
不本意ながら、ジークの腕の中で話を聞くことになる。
『リエットは、僕のことを心から愛していると思う』
『今すぐあの世に送ってやりましょうか!?』
『まあ、待て。これからいいことを言うから』
『ろくなことを言わないと思います! 放してください(怒)』『もしも僕が敵の手に落ちることがあったら』『!?』『ミラーの副長官で優秀なジーク様が、敵の手に落ちるなんてことはないと思うが、もしもの話だ。その時は……』
そこで晩秋らしい涼しい風が吹き抜ける。
『切り捨てろ』
『えっ……』
『任務が優先だ。ミラーの副長官だろうと関係ない。諜報部では仲間の命より、任務が最優先になる』
『なっ……そんな』
驚く私にはジークは淡々とした表情で告げる。
『非情に思うか? でもそれが現実だ。諜報部の任務は単独で動く方が少ない。チームプレーだ。一つのミッションに大勢が関わる。もしその任務を遂行する中で、誰かにアクシデントがあったとする。その誰かを救う行動が、ミッションを破綻させる可能性があるんだ。大勢の、他の仲間の命も、危険にさらすことになる』
『でも、そんな、本当にみんなが危険になるかなんて、わからないじゃないですか!』
『それはそうだ。でもリスクはゼロじゃないんだ。大勢の命と一人の命を天秤にかけてはいけない。結果としてうまくいったとしても、それは綱渡りだったのかもしれないんだ』
ジークが言わんとすることはわかる。以前の……修道院にいた私なら、すんなり受け入れたかもしれない。
(でも今は……違う。私には守りたい人が沢山いる。救いたいと思ってしまう人が沢山いるのだ。切り捨てるなんて……できない! それにジークは……口は縫い付けておきたいが、彼は……私には必要な存在だ。彼だけが毎日、いつも、私のことを考えてくれている。両親よりも誰よりも、私のことを……わかろうとしてくれているのだ)
だから、つい食い下がってしまう。
『それでも』
『それでも、はない。そこで「イエス、サー」と言える人間だけが、実践任務に就く』
清々しい朝の宮殿の裏庭。鳥の鳴き声が聞こえる中、ジークと睨み合いになる。
(……わかる。わかっているわ! ジークが言っていることは、ミラーの副長官としての最善。でも……)
沈黙を破り、ジークが口を開く。
『たとえリエットが、どれだけ僕を愛していたとしても。僕が敵の手に落ちたら、気にせず任務を遂行しろ』
バターブロンドのジークの柔らかそうな髪が、吹く風にサラサラと揺れる。
(ずるいな、と思う。こんな秀麗な顔で、非情な決断を命じるなんて)
いつものくだらない冗談も、冗談になっていない。本来なら噛みつく言葉にも反応できなかった。
(ジークがやられるのを良しとする。それが本当に最善なの?)
もしもジークが、を想像すると、胸が苦しい。
(……っ、なんで? 口うるさいジークがいなくなったら、せいせいするはずよ!)
頭ではそう結論づけるが、胸が……胸は苦しい。
(落ち着いて、私。もしもを今、考える必要はない。それにジークは……)
『……わかりました。ジークなら煮ても焼いても死ななそうなんで、敵の手に落ちても、見なかったことにします。粛々と任務を遂行です』
『まあ、これでもミラーの副長官だ。ちょっとやそっとのことでは、くたばらないからな』
あの日は最後、笑い話にしていた。でも、もしかすると、今日のことを見越していたのだろうか――。
ジークは抵抗することなく、カジノの用心棒たちに連行されていく。でもそれは……。
(私を逃がすため、なのでは? もしここで武力行使したら、只者ではないとバレる。なんなら諜報部の人間とわかってしまう。そうなれば私には屈強の追っ手がかかる……)
――『切り捨てろ』
ジークはそう言っていた。それなのに自分自身を切り捨てさせ、私のことを切り捨てるつもりはないのだ、彼は。
(だったら私も。私もジークを切り捨てはしない。でも今は一旦、引くしかない。上客リストの場所はわかった。今はカジノが行われているフロアに戻り、潜入しているみんなに合図だ)
連行されるジークに背を向け、私は廊下を足早に歩き出した。
お読みいただき、ありがとうございます!
オルリック嬢とジークの絆って、筆者の想像以上に深い!
















