彼女の安堵
アイスブレイクが終わり、私はあの時、少女にどうやって刺されるに至ったのか。事を荒らげないためにどんな行動をとったのか。その全てを話すことになった。
「なるほど。直前まであの少女はナイフを隠していたのですね、花の入った籠に」
「はい。そうです。……それであの少女は?」
「少女はまだ十歳になったばかり。父親は船員で、交易船に乗り込むと数年は家に戻りません。つい先日船出したばかりなので、しばらくは戻らないでしょう。母親は体が弱く、家でお針子仕事の内職をしていました。少女はいたって健康で、街で花売りをしていたそうです」
アルラーク隊長の話を聞く限り、少女がナイフを手にコルネ伯爵へ向かおうとした理由が全く思いつかない。
「……王都にいる平和な平民そのものに思えますが……なぜ少女はあのような行動を? 本人は何か話していましたか?」
「あなたを刺してしまったことにショックを受け、しばらくは何も話せない状態でした。ですが『助けて! 私が失敗したから、おかあちゃんが殺される』と言い出したのです」
「!? それはつまり……」
そこでアルラーク隊長は整った顔を苦々しく歪める。
「少女は街中で花を売っていた時、一人の紳士に声をかけられました。身なりのいい、上質な服を着た紳士だったそうです。その紳士は籠ごと花を買い取ってくれたそうです」
「! そうなのですね。親切な紳士ですね」
「いえ、本性を隠していただけです。連日、その紳士は少女の元へ訪れ、籠ごと花を買い取った。それが十日間ほど続き、少女はすっかり紳士に心を許し、彼を……自身の家に連れて行ったのです」
少女は母親にその紳士を紹介し、お茶の一杯でも出したかったようなのだ。
「母親と会った時も紳士はスマートな対応だったようです。よって母親も紳士を疑うことがない。それどころか母親が体が弱いと知ると、滋養に効くという薬草を煎じた薬までプレゼントしてくれたそうです。そういった薬は高価なので、平民では手に入りません。少女と母親は大喜びでした」
ところが知り合って一カ月ほど経った時、紳士は牙を剥く。
「紳士と思った男の正体は、いずれかの国のスパイでした。彼は少女の母親を攫い、彼女を脅したのです。『婚約式に合わせ、大聖堂にコルネ伯爵がやって来る。普段、近づくことが出来ないが、その時は平民でも彼女のそばに行けるはず。このナイフでコルネ伯爵を傷つけろ。殺す必要はない。傷つければいい。そうしたら母親は生きて帰してやる。だが失敗したり、この計画を誰かに漏らしたら、棺桶に入った母親を迎えることになる』と言われたそうなのです」
「な……なんてあくどい方法なのですか!? そんなことを十歳の少女にさせるなんて……!」
「子どもであれば、コルネ伯爵に近づこうとしても、疑われにくいと思ったのでしょう」
そうだとしてもあくどすぎる。あの時の悲壮な表情の少女の姿が浮かぶ。
「あの少女は泣きながらナイフを握っていました。少女にそんなことをさせるなんて……」
「ええ、そうなんです。スパイ組織では子どものスパイも擁しています。もし本気でコルネ伯爵を傷つけるつもりなら、組織の人間を使えばいいわけです。そうしなかったのは、ただ騒ぎを起こせればよかっただけではないかと。婚約式に血なまぐさい出来事が起これば……。アトリア王国の未来である殿下の歴史に汚点を残せます」
「なんて卑劣な……」
「ええ。でもそうはならなずに済みました、ルベール嬢のおかげで。婚約式はつつがなく執り行われている最中です」
実は宮殿の北門を出た辺りでも、爆破事件が起きているという。ただそちらは平民数名に怪我人が出ているが、軽傷で済んでいる。そしてこの爆破は婚約式に直接関わることではない。ゆえになんとか婚約式で流血事件が起きる事態は回避できているが、そのために王都警備隊、護衛騎士、警備兵はまさに全身全霊で任務に当たっていた。
「少女の母親はどうなったのです? 発見されたのですか?」
「はい」
「どこにいたのですか?」
「少女は街はずれに住んでおり、その近くには広大な畑が広がっています。その畑には納屋がいくつか設置されているのですが、そこで発見されました」
発見された母親は飲まず食わずで衰弱していたが、命に別状はないという。すぐに王都警備隊の診療所に運ばれ、手当てを受けたという。
「少女の母親が無事で良かったです……。それでスパイの正体や足取りは……?」
「それは分かりません。少女に聞いた話から人相書きを作り、行方を追っていますが……。スパイが足をつくようなことはしないですし、逆に足がつくような物を残していたら、それは罠でしょう。その謎の紳士が見つかると言うと……」
「きっと見つからないのですね」
これは実に悔しい。幼い少女に犯罪の片棒を担がせ、自身はとんずらだなんて。
そこで私は重要なことに気が付き、尋ねる。
「あの少女は……何らかの罪に問われることになるのですか!?」
本来十歳の少女が犯罪に巻き込まれたり、脅されて加担してしまった場合。未成年ゆえに罪に問われることはない。だが傷つけようとした相手が王族やその婚約者であると話が変わってくるのではないか。
「ああ、その点なら安心してください。少女は未成年であり、母親を攫われ、脅されていたのです。情状酌量の余地が大いにあります。それにコルネ伯爵も婚約式が終わった後、この件について報告を受けるでしょうが、厳罰を求めるとは思えません」
「はい。それに関しては私も保証できます。コルネ伯爵は少女を許し、むしろ同情し……」
もしかすると心優しいコルネ伯爵のこと。指示に失敗した幼い少女と母親に、そのスパイが報復するかもしれないと、自身が保護することを申し出るかもしれない。宮殿の下女として雇うと言い出す可能性が高いとアルラーク隊長に伝えると……。
「実はあの少女が、殿下や伯爵を一目見ようとする群衆の最前列にいられたのには、理由があります」
「え、そうなのですか?」
「はい。あの少女……名前はアンは、王都警備隊の隊員の間ではよく知られていました。ゆえにまだ背が低いということと、顔見知りの隊員のおかげで、最前列に行くことが出来たのです。もしかするとスパイはそうなることを見越して、アンを脅したのかもしれません」
これにはさらにスパイの卑劣さが浮き彫りになり、私は歯ぎしりしたい気持ちになる。
同時に。
なぜ警備隊の間でアンは知られていたのか。気になってしまう。
「隊員の皆さんはなぜ少女のことを……アンのことを知っていたのですか?」
「身の安全のため、アンはいつも王都警備隊の屯所の近くで花の売り子をしていたのです。それなら変な人に絡まれても、すぐに助けを求められる。今回は母親が攫われ、自分が通報したら、何が起きる分からない。ゆえに警備隊を頼ることはなかったのですが……。もしアンが助けを求めたら、動いた隊員は大勢いると思います。彼女はいつも売れ残った花を隊員にプレゼントしていたのです」
「なるほど。賢い少女だったのですね」
「はい。今回の件を受け、アンは保護対象になります。コルネ伯爵も下女として雇うことを考えるかもしれませんが、王都警備隊としてもアンを雑用係に雇うといいのではと話が出ています」
これを聞いた私は「よかった」と安堵する。
アンは一人ぼっちではなかった。身近に助けてくれる大人がいたのだ。
そこで「ゴーン、ゴーン」と重厚な鐘の音が聞こえる。
「どうやら無事、婚約式が終わったようですね」
アルラーク隊長が優しく微笑んだ。
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次話で気になる婚約式の様子を描きます!
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