盗賊団の脅威
マルチェロが王都を出発してから一週間が過ぎた。セレスティアは王女としての公務に励んでいたが、心には大きな穴が開いたような空虚感があった。
「殿下」レオナルドが執務室に入ってきた。「緊急の報告があります」
「何だ?」セレスティアが書類から顔を上げた。
「各地から盗賊の被害報告が相次いでいます」レオナルドが深刻な表情で報告した。「特に、フィレンツィアからマリーナビアンカにかけての街道で被害が集中しています」
セレスティアは驚いた。自分が旅した馴染みのある場所だった。
「どのような被害だ?」
「商人を狙った強盗、村への襲撃、そして...」レオナルドが言葉を選んだ。「村娘の誘拐も報告されています」
「何だと?」セレスティアが立ち上がった。「それは許せない」
「盗賊団の名前は『黒狼団』。リーダーはヴィットーリオ・ネーロという男です」レオナルドが続けた。「約50名の規模で、非常に組織的に活動しているようです」
「なぜ今まで野放しにされていたのだ?」
「最近になって急激に活動が活発化したようです」レオナルドが説明した。「それまでは小規模な窃盗程度だったのですが...」
セレスティアは考え込んだ。フィレンツィアには親切にしてくれたビアンカがいる。マリーナビアンカにはクラウディアたち菓子職人がいる。彼らが危険にさらされているかもしれない。
「詳しい状況を調べに行こう」セレスティアが決断した。
「私もお供いたします」レオナルドが即座に答えた。「殿下の剣術の腕なら、盗賊程度では問題ないでしょう。それに、民の苦境を直接確認することは重要です」
「ありがとう、レオナルド」セレスティアが微笑んだ。「君がいてくれると心強い」
「ただし、十分な護衛は連れて行きましょう」レオナルドが付け加えた。「相手が組織的に動いているなら、用心に越したことはありません」
「当然だ」
翌日、セレスティアは20名の騎士と共に王都を出発した。護衛の規模は最小限に抑えたが、レオナルドの主張で精鋭が選ばれていた。
「まず、フィレンツィアの状況を確認しよう」セレスティアが愛馬フィオーラにまたがりながら言った。「ビアンカたちが無事かどうか心配だ」
「はい」レオナルドが頷いた。
二日間の行程でフィレンツィアに到着すると、町は以前とは様子が変わっていた。警備が厳重になり、商人たちの表情も緊張していた。
「セリア!」
モンティーニのパン屋から、ビアンカが駆け出してきた。しかし、セレスティアの後ろに続く騎士たちの姿を見て、突然足を止めた。
「あ、あの...セリアさん?」ビアンカが困惑しながら呟いた。「なぜ騎士の方々が...」
「ビアンカ」セレスティアが馬から降りた。「実は、君に隠していたことがある」
「隠していたこと?」
「私の本当の名前は、セレスティア・ルミナール。ルミナール王国の第三王女だ」
ビアンカは呆然とした。しばらく口をぽかんと開けたまま、言葉が出ない。
「お、王女...様?」ビアンカがようやく絞り出した。「まさか...セリアさんが...」
「本当だ」セレスティアが微笑んだ。「でも、君には今まで通りセリアと呼んでもらいたい。私たちは友達だからな」
ビアンカの目に涙が浮かんだ。「そんな...王女様と私が友達だなんて...」
「身分など関係ない」セレスティアが優しく言った。「君は私にパン作りを教えてくれた。一緒に朝市を回ってくれた。それが何よりも大切な思い出だ」
「セリア...」ビアンカが感動して涙を流した。
「無事で良かった」セレスティアがビアンカを抱きしめた。
「ありがとうございます」ビアンカが涙を浮かべた。「でも、町は大変なことになっています」
パン屋に入ると、ピエトロも心配そうな表情で迎えた。
「王女様、よくお越しくださいました」ピエトロが深く頭を下げた。「町の皆、不安で仕方ありません」
「どのような状況なのだ?」セレスティアが尋ねた。
「黒狼団が三日前にも街道で商人を襲いました」ビアンカが説明した。「それに、近くの村から若い女性が何人も連れ去られているという噂も...」
「許せない」セレスティアの拳が握られた。
「町の守備隊も警戒を強めていますが、相手の数が多すぎて」ピエトロが困った表情を見せた。「商人たちも、一人では街道を通れない状況です」
その時、パン屋の扉が勢いよく開いた。
「大変だ!」
入ってきたのは、息を切らした若い男性だった。町の住民らしい。
「黒狼団が、マリーナビアンカを襲撃しているそうです!」
セレスティアは血の気が引いた。マリーナビアンカには、クラウディアたち菓子職人がいる。
「詳しく教えてくれ」セレスティアが急いで尋ねた。
「商人から聞いた話ですが、昨日の夕方から大勢の盗賊が町に押し入って...」男性が震え声で続けた。「金品を奪い、若い女性を連れ去っているそうです」
「すぐに向かおう」セレスティアがレオナルドに言った。
「お待ちください」レオナルドが制止した。「まず状況を正確に把握すべきです。罠の可能性もあります」
「でも、人々が苦しんでいるのだぞ」
「だからこそ、慎重に行動すべきです」レオナルドが真剣に言った。「我々がマリーナビアンカに向かった隙に、盗賊がここフィレンツィアを襲撃する可能性もあります。まずは正確な情報を得て、適切な戦力配置を決めましょう」
セレスティアは歯がゆい思いをしたが、レオナルドの言葉にも一理あった。
「では、どうする?」
「まず偵察隊を送ります」レオナルドが提案した。「正確な情報を得てから、作戦を立てましょう」
セレスティアは頷いた。感情的になっても、良い結果は得られない。
偵察隊が派遣され、夕方には詳しい報告が届いた。
「マリーナビアンカは確かに襲撃されていました」偵察隊の隊長が報告した。「しかし、盗賊たちは既に撤退しています」
「被害の程度は?」セレスティアが心配そうに尋ねた。
「金品の略奪と、5名の若い女性の誘拐が確認されました」隊長が続けた。「幸い、死者は出ていないようです」
「クラウディアは...?」
「菓子職人の女性のことでしたら、無事です。ただし、店は荒らされていました」
セレスティアは安堵したが、同時に怒りも湧いてきた。
「盗賊たちの行き先は分かるか?」
「西の森に向かったようです。おそらく、そこに拠点があると思われます」
レオナルドが地図を広げた。
「この森は『ダークウッド』と呼ばれています」レオナルドが指差した。「昔から盗賊や無法者の隠れ家として有名な場所です」
「そこに向かおう」セレスティアが決断した。
「殿下、それは危険すぎます」レオナルドが強く反対した。「森の中は地形が複雑で、敵の本拠地です。20名の騎士では不十分です」
「では、どうすれば良いのだ?」セレスティアが苛立った。「このまま見過ごすのか?」
「増援を要請します」レオナルドが提案した。「王都から100名程度の部隊を呼び寄せれば...」
「それでは時間がかかりすぎる」セレスティアが反駁した。「その間に、誘拐された女性たちがどうなるか...」
レオナルドは困った。確かに、時間が経てば経つほど状況は悪化するだろう。
その時、パン屋の奥からピエトロが口を開いた。
「王女様、一つ提案があります」
「何だ?」
「この町には、元傭兵や退役軍人が何人もいます」ピエトロが説明した。「彼らに協力を求めれば、十分な戦力になるかもしれません」
「民間人を巻き込むわけにはいかない」レオナルドが反対した。
「でも、黙って見過ごすこともできません」ビアンカが涙声で言った。「連れ去られた女性の中には、私の友人もいるんです」
セレスティアは深く考えた。確かに、民間人を危険にさらすべきではない。しかし、このまま何もしなければ、より多くの人が苦しむことになる。
「分かった」セレスティアが決断した。「ただし、強制はしない。協力を求めるが、断る自由もある」
「殿下...」レオナルドが心配そうに見つめた。
「レオナルド、私は王女だ」セレスティアが真剣に言った。「民を守るのが、王族の責務だ」
翌朝、町の広場に多くの住民が集まった。セレスティアが事情を説明すると、予想以上に多くの男性が協力を申し出た。
「俺の娘も、いつ連れ去られるか分からない」
「商売も成り立たない。このままでは町が死んでしまう」
「王女様が先頭に立ってくれるなら、俺たちも戦う」
最終的に、30名の志願者が集まった。元傭兵、退役軍人、そして若い商人や職人たち。
「ありがとう、皆」セレスティアが深く頭を下げた。「必ず、無事に家族のもとに帰そう」
レオナルドが作戦を説明した。
「敵は約50名、我々は合計50名です」レオナルドが地図を指差した。「数的には互角ですが、敵は地の利があります」
「どのような作戦だ?」元傭兵の一人が尋ねた。
「二手に分かれます」レオナルドが続けた。「まず、陽動部隊が正面から攻撃を仕掛けます。敵の注意を引いている間に、救出部隊が側面から侵入し、人質を救出します」
「危険な作戦だな」別の男性が呟いた。
「確かに危険だ」セレスティアが認めた。「だから、無理だと思ったら撤退してくれ。命より大切なものはない」
「王女様がそこまで言ってくださるなら」志願者の一人が立ち上がった。「俺たちも命をかけます」
「そうだ!」「一緒に戦おう!」
住民たちの士気は高かった。
昼頃、一行はダークウッドに向けて出発した。50名の混成部隊は、見た目こそ不揃いだったが、団結力は強かった。
森に入ると、すぐに緊張感が高まった。木々が密生し、見通しが悪い。鳥の鳴き声も聞こえず、不気味な静寂が支配していた。
「静かすぎる」元傭兵の一人が呟いた。「見張りがいるはずなのに...」
その時、突然矢が飛んできた。
「伏せろ!」レオナルドが叫んだ。
「待ち伏せだ!」
木陰から盗賊たちが現れた。黒い服を着た男たちが、弓と剣を構えている。
「ようこそ、ダークウッドへ」
森の奥から、威厳のある声が響いた。現れたのは30代半ばの男性で、黒い髪に鋭い目をしている。おそらく、黒狼団のリーダー、ヴィットーリオ・ネーロだろう。
「ホッホッホ、まさか王女様自らお越しいただけるとは」ヴィットーリオが皮肉っぽく笑った。「光栄ですね」
「貴様がヴィットーリオ・ネーロか」セレスティアが剣を抜いた。「無辜の民を苦しめる悪党め」
「ホッホッホ、悪党ですか?」ヴィットーリオが眉をひそめた。「私たちは、貴族に苦しめられている民を解放しているのです」
「詭弁を弄するな」
「詭弁?」ヴィットーリオの目が怒りに燃えた。「貴族たちは民から搾取し、贅沢な暮らしをしている。私たちは、その富を民に還元しているだけです」
「人を誘拐して何が正義だ」セレスティアが反駁した。
「誘拐ですか?ホッホッホ」ヴィットーリオが首を振った。「彼女たちは私たちの仲間になることを選んだのです。貧しい村で一生を終えるより、自由な生活を求めて」
「嘘をつくな」
「信じないなら、確かめてみることです」ヴィットーリオが手を上げた。
森の奥から、数名の女性が現れた。しかし、彼女たちは予想に反して、恐怖に怯えた様子ではなかった。
「私たちは、自分の意志でここにいます」その中の一人が言った。「村では働き口もなく、結婚相手も見つからない。ここでは、自由に生きることができます」
セレスティアは困惑した。状況が思っていたのと違う。
「しかし、商人への襲撃は事実だろう」レオナルドが厳しく言った。
「確かにそうです」ヴィットーリオが認めた。「しかし、私たちが狙うのは金持ちの商人だけです。貧しい人間からは何も奪いません」
「それでも犯罪だ」セレスティアが主張した。
「ホッホッホ、犯罪ですか?」ヴィットーリオが嘲笑った。「その法律は、誰のために作られたものですか?貴族のためでしょう?」
セレスティアは言葉に詰まった。確かに、現在の法律体系は貴族に有利に作られている面がある。
「王女様」ヴィットーリオが真剣な表情になった。「あなたは民の生活を本当に理解していますか?」
「私は...」
「あなたが旅をしていることは知っています」ヴィットーリオが続けた。「しかし、それは観光です。本当の貧困、本当の絶望を見たことがありますか?」
セレスティアは動揺した。確かに、自分の旅は比較的安全で、深刻な貧困を目の当たりにしたことはなかった。
「だからといって、盗賊行為が正当化されるわけではない」セレスティアが反論した。
「では、どうすれば良いのですか?」ヴィットーリオが問いかけた。「法に従って貧困に苦しみ続けろと?」
「法を変えれば良い」セレスティアが答えた。
「法を変える?ホッホッホ」ヴィットーリオが苦笑いした。「貴族の方々が、自分たちに不利な法律を作ると思いますか?」
セレスティアは返答に困った。確かに、既得権益を持つ貴族たちが、自ら不利な法律を作る可能性は低い。
「しかし」セレスティアが何とか言葉を絞り出した。「略奪や誘拐では根本的な解決にはならない」
「根本的な解決ですか?ホッホッホ」ヴィットーリオが眉を上げた。「では、何百年も続いてきた不平等を、他にどうやって解決しろと言うのです?私たちは誰も殺していません。必要最小限の力しか使っていません」
確かに、これまでの報告でも死者は出ていなかった。
「それでも...」セレスティアが言いかけた時、後方から叫び声が聞こえた。
「助けて!」
振り返ると、森の奥で火の手が上がっている。
「何だ?」レオナルドが驚いた。
「村が襲われています!」駆けつけた男性が息を切らして報告した。「黒狼団が村を襲撃しています!金品を奪い、家に火を放って...」
ヴィットーリオの表情が変わった。「何ですと?私たちの仕業ではありません」
「黒狼団を名乗って...まさか」ヴィットーリオが推理した。「赤蛇団...あの卑劣な連中め」
セレスティアは困惑した。状況がますます複雑になっている。
「とにかく、村を救わなければ」セレスティアが決断した。
「待ちなさい」ヴィットーリオが呼び止めた。「私たちも協力しましょう」
「何?」
「赤蛇団は私たちの名前を汚している」ヴィットーリオが真剣に言った。「それに、無辜の村人を傷つけるのは私たちの信念に反します」
レオナルドは警戒した。「信用できるのか?」
「今は共通の敵がいます」ヴィットーリオが答えた。「一時的な休戦はいかがでしょうか?」
セレスティアは迷った。しかし、村人の命が危険にさらされている今、あらゆる戦力が必要だった。
「分かった」セレスティアが決断した。「ただし、この件が終わったら、君たちとは改めて話し合いをする」
「ホッホッホ、いいでしょう」ヴィットーリオが頷いた。
奇妙な同盟が成立した。王女率いる正規軍と、盗賊団の共同作戦。しかし、村人を救うという共通の目的があった。
「急ごう」セレスティアが叫んだ。「村人を救うのだ」
一行は炎上する村に向かって駆け出した。新たな戦いが始まろうとしていた。
しかし、セレスティアの心には複雑な感情が渦巻いていた。ヴィットーリオの言葉は、確かに一理あった。貧困や不平等の問題は、単純な善悪では割り切れない。
王女として、これまで見えていなかった現実と向き合うことになったのだ。




