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第九話

『最後のゲーム』は今から十年ほど前に、この国の有名な舞台作家が手掛けた脚本だ。主人公オズワルドは、器量よし、家柄よし、騎士として出世も約束された将来有望な若者。しかし唯一の欠点として好みの女性を見つけると、ところかまわず口説こうとする悪癖あくへきを持っていた。口説かれた女性は最初、オズワルドの魅力に惑わされ彼の誘いを受けてしまう。しかし、彼女たちはいずれも最終的に彼の元を去り、その恋は実らない。ある者は怒り、ある者は彼に同情の念を向け、ある者は奇異の目を向けて彼を振ってしまう。

 失恋するとオズワルドは決まって故郷の墓の前に足を運んだ。墓の前で失恋に嘆き悲しむオズワルド。そしてある日、墓を訪れた彼の前に一人のおきなが姿を現す。翁は失意の彼にこう言うのだ。


「君はいつまでこんなことを続けるつもりだ?」


 翁がそう問いかけた瞬間、オズワルドは全ての記憶を取りもどす。そして、偽りではない、確かな思い出の中に、オズワルドは一人大切な存在を見出した。


 ――リタ。


 オズワルドが故郷に残したかけがえのない幼馴染。

「君が本当に愛している人はどこにいるんだ」と翁は問う。その言葉を聞いたオズワルドはまるで夢から覚めたように愕然がくぜんとする。そこで彼がどうして手当たり次第に女性を口説き、そして失恋した後墓へと足を運ぶのか、その理由が明かされる。



 リタは、幼い頃からオズワルドと共に悪戯いたずらを働いては供に笑いあった悪友だった。オズワルドはそんな彼女に密かな恋心を抱いていた。親友であり、幼馴染であり、妹分であり、そして誰よりもかけがえのない存在であったリタ。そんな彼女がある日オズワルドにこんな提案をした。


「貴方は魅力的な人だから、貴方が誘惑すればどんな女性も一瞬でとりこになってしまうんでしょうね。ねぇ、オズワルド、ゲームをしない? 貴方はこれから魅力的だと思った女性を誘惑するの。その人が貴方に本当に恋をしたら、賭けは私の勝ち。貴方はその人と幸せになってどこか遠い国で末永く暮らすの」


 オズワルドは何故リタがこんな提案をするのかわからない。そして同時に憤りを感じた。


「僕が本当に愛しているのは君だけだ」


 時を同じくしてオズワルドは洗礼を受け騎士に昇格した。小さな所領を授けられたオズワルドは、すぐに隣国との戦争に駆り出され故郷を離れなければいけなくなる。故郷を発つ前に、彼はリタに思いを打ち明けた。だが、


「私ではだめよ。オズワルド」


 リタはオズワルドの想いを拒んだ。この時すでに、リタは家が決めた相手と結婚させられる事が決まっていた。失恋に打ちひしがれたまま、オズワルドは戦地へとおもむき、そして――激しい戦いの末命を落とした。



「え」


 ロザリーが語るオズワルドの物語に、ルートヴィッヒは眉を寄せる。


「死んだ?」

「ああ、だからこの舞台はそもそも死んだオズワルドが見る幻影みたいなものだったんだ」

「お、おい待て。あれってそういう話だったのか?」


 話の途中でルートヴィッヒが青い顔をして遮ってくるので、ロザリーはちょっと面白くなって得意げに笑った。


「そうだぞ。自身が死んだことも知らぬままゲームを続け、真実の愛を探し彷徨さまよい歩く、一人の亡霊騎士の話だ」

「まじかよ……、ただの恋愛喜劇かと思ってた」

「この話、結構いろんなところで上演されてるから知ってる人は知ってるぞ」


 ルートヴィッヒはどうやら舞台界隈にはあまり縁がなさそうだった。ロザリーは再び話を続けた。

 オズワルドが女性を口説くのは生前リタと話した『ゲーム』を無意識に続けていたからだ。ゲームに挑み、負け続ける事でオズワルドにはリタしかいないと、リタに証明するために。そしてそれを報告するために、オズワルドはリタの元を訪れる。オズワルドが足を運んでいたのはリタの墓だったのだ。幾度かの失恋の後、ようやくオズワルドは自身が死んでもう百年近くがたっている事に気が付いた。当然リタもとうの昔にいなくなっている。だが、オズワルドはそれでもリタを諦められない。悲しみに打ちひしがれるオズワルドは、彼を目覚めさせた翁にもう一度出会う。


「どうかリタと、もう一度会いたい。会うためにはどうすればいい?」


 オズワルドのその願いはかなう事がない。リタはもうこの世にはおらず、オズワルドもまたいつまでも現世に留まれない。

 打つ手のない彼にその翁は一つの提案をした。



「提案?」

「そう、それがこの舞台最大の仕掛け。――そうだ」


 そこでふとロザリーは名案が浮かんだと手を打った。


「ルッツ、明日の千秋楽公演に、エゴール様とアヴリル嬢を招待できないだろうか?」

「二人を? お前の舞台を見せるのか?」

「ああ、そこで仕掛けたいことがある」


 と、ロザリーはルートヴィッヒに舞台の仕掛けを話した。


 ◆

 太陽がまぶしい。南部の温暖な気候はいつもなら歓迎できるが、今のエゴールにとってそれは無様な自分を責め立てる業火のようだった。


「はあ……」


 深いため息が漏れる。幼い頃から侯爵家の跡取りとして英才教育を施され、順風満帆に生きてきた自分が、こんな高く分厚い壁にぶち当たるなんて想像もしていなかった。


「……」


 エゴールは情けない表情を隠しもせず、隣を歩く玲瓏れいろうな女性を盗み見た。


「……あー、アヴリル嬢。昨日はよく眠れましたか? 長旅でお疲れだったでしょう」

「ええ」

「かくいう私もここに来た日は泥の様に眠ってしまいました。何分南部の空気は温暖で湿度も高いもので――」

「……」


 全くと言っていいほど弾まない会話は途切れ、二人の間に重たい沈黙が流れる。

 気まずい。

 これまでエルメルト侯爵家の跡取りとして、財務長官の父を支える官僚の卵として、様々な交渉の場を渡り歩いてきたエゴールであったが、


れた女一人満足に楽しませられないなんて、俺は何て無力なんだ……!)


 昨日も初めての見合いは目も当てられないほどひどくて、結局途中から乱入してきたフロレンツィアが仲を取り持ってくれなければ、碌に言葉すら交わせなかった。あの時は酷い二日酔いのせいだと自分に言い聞かせていたが、今日は違う。完全に言い逃れできない。


(とはいえ、アヴリル嬢も何というか……少々風変りなお方だ)


 アヴリルは元来人との会話を好まない方なのかもしれない。昨日もフロレンツィアの会話を静かに聞くだけで、彼女は自分の事をほとんどといっていいほど話さなかった。

 静かで高貴な深淵のご令嬢。勝気で騒がしい妹とは対照的で、エゴールもどう接していいか困惑するばかりだ。

 重くよどんだ空気をまとったまま、二人は晴天の賑やかな街を歩く。徐々に人込みは激しくなり、ざわざわとした喧騒けんそうに飲み込まれると、さすがのアヴリルも少しだけ眉を寄せた。


「ここは……、随分と人が集まっていますわね。何かあるのですか?」


 エゴールはここぞとばかりに大きく頷いた。今日、アヴリルと屋敷から連れ出し町へと繰り出したのは、明確な目的があったのだ。


「ええ。実はこの広場でこれから劇が行われるのです。何を隠そう、ロザリー――私の妹が座長を務める劇団のものでして」

「妹さん……?」

「ええ、昨日の晩餐会には姿を見せませんでしたが、ルートヴィッヒ辺境伯の奥方となった辺境伯夫人ですよ」

「ああ、そう言えば以前出席した披露宴の――」


 アヴリルはエゴールとの初めて出会いともなった、ルートヴィッヒ邸での宴を思い出したようで、エゴールはそのまま話を進める。


「妹は元々有名な舞台役者だったのです。それで今回久しぶりに劇団を立ち上げて公演を行って……、それでその、今日の舞台をぜひ貴女と私の二人で見に来てほしいと誘われて」


 昨夜、ロザリーとルートヴィッヒがわざわざエゴールの元を訪れ、その計画を伝えに来た。曰く、二人の仲を取り持つための作戦があるのだと。一応エゴールが何をするべきかは教えられているのだが、具体的な詳細は知らせてもらってはいない。躊躇ためらいもあったが、もう一人では到底アヴリルとの関係を改善できないと踏んだエゴールは藁にも縋る想いで二人の提案を受け入れたのだ。


「それで、演目は何なのですか?」

「え、演目……ですか?」


 知らせずにつれてきて気分を害したかと思ったら、アヴリルは思いの外興味深そうに観客に交じって舞台の方を覗いていた。意外な反応に、エゴールも少しずつ緊張がほぐれていく。


「確か、『最後のゲーム』という話だったかと。今日はその千秋楽で――」

「えっ」


 途端、アヴリルの目が太陽の光を受けてきらりと輝いた。その輝きにどきりとした瞬間、周囲からわっと歓声が上がる。


「辺境伯夫人だわ!」

「オズワルド様……! 今日も麗しい……!」


 周囲の――特に女性陣から黄色い声と眼差しが飛び交う。壇上に上がったのは、銀色の甲冑に身を包んだすらりとした青年騎士――を演じるロザリーだ。


(あれが……ロザリーの舞台上の姿か)


 正直エゴールは初めて相まみえる。『サン=ヴェロッチェ』の花形役者、完全無欠の聖騎士。そううたわれたロザリーが男性として登壇すると、彼女は一瞬にして広場に集まった観客の視線を掌握した。


(驚いた……、まるで別人じゃないか)


 彼女はもはやロザリーではなかった。その立ち方も、表情も目線も、指先の一片から全て、初めて相まみえる一人の騎士――オズワルドだった。


『ああ、私の心はどうしてこう満たされないのだろう?』


 オズワルドのうれい気に目を伏せるそのはかなげな表情に、観客からため息が漏れた。


『私は愛に飢えている。誰かこんな私を愛してくれる存在が、目の前に現れるのだろうか』


 大げさに空を仰ぎ嘆くその青年の姿に、普段観劇などに微塵も興味のなかったエゴールですら息をのむほどに引き込まれる。だがその横でもっとその舞台に目が釘付けになっている者がいた。――アヴリルだ。

 アヴリルは今までに見たことないほど目を潤ませ、歓喜の表情で舞台を眺めていた。その横顔にエゴールはどきりとしつつ、二人で舞台の行く末を見守る事になった。

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