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第八話

 ◆

 ロザリーが微睡まどろみから覚めると、周囲は真っ暗な闇に包まれていた。柔らかなシーツに包まれた身体は気怠けだるくて、頭の芯がズシリと重い。


「うー……、今、何時……?」


 日は落ちているので昼間ではない事は確かだが、暮れ方なのか夜半過ぎなのかわからない。何とか視線を彷徨さまよわせて手掛かりを探ろうとすると、


「まだ夜の八時くらいだよ」


 すぐ傍で答えを教えてくれる者がいた。彼はロザリーの隣で同じように寝そべって、ロザリーの顔を愛おし気に覗き込んでいた。

 暗闇に浮かび上がる美しい藍色の瞳が、楽しそうに細められている。その憎たらしくも胸を締め付けられる笑顔に、ロザリーは一瞬虚を突かれ、そして、


「ルー、トヴィッヒ、様」

「なんで『様』なんだよ」


 その男は悪魔のように愉しそうに口を歪めて、


「ベッドの中ではルッツと呼べって言っただろ」


 耳元で悪戯に囁かれて、ロザリーは一気に覚醒した。そして、気を失う直前の事を思い出して、頬が急激に熱を持つのがわかり、思わずシーツに顔を埋める。

 シーツのまゆの向こうで、男が面白そうに笑っているのが聞こえて、羞恥と共に怒りが込み上げてきた。


「お、お前な……! 性格悪いぞ!」

「あはは、悪いな。育ちが良くないもんで」

「育ちとか関係あるか! よくもあんな――」


 ロザリーは必死に抗議しようとするものの、その内容を告げようとすればするほど、眠る前にこの男にされたあれやこれやが脳裏に蘇って頭が真っ白になる。


(確かに『今日残りの時間を私と過ごしたい』って、そう言った事は間違いはない。間違いはないんだけど……!)


 結局ロザリーはサンルームで懇願された通りルートヴィッヒと今日一日を過ごした。確かに過ごした――ずっとベッドで。

 シーツの中で縮こまっていると、不意にその上から優しく頭を撫でられた。


「まあそうむくれるな。俺は嬉しかったよ――ありがとな」


 なんて優しく言われると、あっという間にロザリーの中で燻っていた怒りの炎は鎮火する。結婚してから自分が馬鹿になったな、と思う事の一つ。ロザリーはこの夫のたった一言で機嫌を損ねるし、そしてたった一言でそれを許してしまう。

 ロザリーは観念して起き上がると、そこにはやっぱり憎たらしくて、そして世界一幸せそうな愛する人の笑顔がある。


「……満足できたか?」

「うーん、六割くらい?」

「まだ足りないのか⁉ あんなにしたのに⁉」

「はは、冗談だよ」


 ルートヴィッヒは今度は子供のように無邪気に笑う。その落差にロザリーは内心「ずるい」と呟いた。


「そうだ。腹減ってないか? 夕食はこっちに持ってきてもらったんだが」


 そう言うとルートヴィッヒは、ベッドから少し離れたテーブルの上に置かれたトレイを持ってきてくれた。夫婦揃って夕食の時間になっても姿を見せないので、使用人が気を使ってか夜食を用意してくれたらしい。なんだかこの屋敷の皆に見透かされているような心地がして、ロザリーは益々いたたまれなさに頭を抱えたのだった。



 服装を整えた後、ロザリーはベッドに腰かけてルートヴィッヒと二人、用意してもらったサンドウィッチを頂いた。食べながらロザリーが眠っている間にあった事をルートヴィッヒに教えてもらう。


「え……、エゴール様のお見合い、上手くいかなかったのか?」

「上手くいかなかった、とは断言できねぇけど。破談になったわけじゃないし」


 そう言いつつも、ルートヴィッヒの表情は険しかった。

 ロザリーたちがサンルームでシルベストレ卿とひと悶着もんちゃくを起こしていたその頃、エゴールは意中の君、アヴリル嬢との面会を行っていた。が、昨日のルートヴィッヒとの失態が思った以上に尾を引いていたらしい。二日酔いの回らない頭では碌な会話にならなかったそうで、


「まぁ、あれは……二日酔いだけが原因じゃねぇと思うけど」

「どういうことだ?」

「あの人、女とまともに話したことあんのかなって」


 ルートヴィッヒの見解ではエゴールは単に女性慣れしていないのではないかという事だった。確かに、ロザリーが抱くエゴールの印象と言えば、厳格で堅物、真面目で有能ではあるが少々不遜な態度が鼻につく。戸籍上兄妹になったとはいえ、その印象は初めて会った時以来変わっていない。


「……確かに、女性と会話している姿ってみたことなかったかも」

「まあ、実際は話せないわけじゃないんだろう。ただ、本気で好きになった相手となると話は別なんだろうな」


 そう考えると、いつもは自信家のエゴールの事がなんだか可愛らしく思えてきた。いや、可愛らしいは失礼だろう。現にエゴールはアヴリル嬢と仲を縮められなくて意気消沈しているそうだから。


「アヴリル嬢はどんな様子だったんだ?」

「彼女は随分と物静かな人でな。反応も薄いというか、俺も出迎える時に、二三話した程度だがどうにも掴みどころがないというか……」


 向こうも向こうで少々風変りな人物らしい。何というか、二人が相まみえた時の空気を想像して、ロザリーは気の毒な気持ちになった。


「まあでも断られることはないだろ。娘が嫌がろうと、あの狸爺が無理やりにでも婚姻に持ち込むさ」

「うーん、でも、やっぱりせっかくなら相手にもエゴール様の事理解してもらいたいな」


 少々態度に難があるとはいえ、エゴールは誠実で家族思いの良い方だ。ロザリーにとって義理の兄となった今ならなおさら、エゴールの人柄の良さを知っているし、相手にもそれを理解してほしいと思う。

 考え込んでいると、サンドウィッチを食べ終えたルートヴィッヒがこちらを覗き込んできた。


「女口説くって言ったらお前の専売特許じゃないか。お前、なんかアドバイスないの?」

「誤解を招くような言い方をするな。私がやっているのはあくまで演技だ」


 でもそうか、とふとロザリーは考え込んで天井を仰ぐ。


「……オズワルドならこういう時どうするだろう?」

「誰だ? オズワルドって?」


 怪訝けげんな顔で尋ねるルートヴィッヒにロザリーも怪訝な顔で返した。


「今劇団で私が演じている『最後のゲーム』の主人公だ。お前も初日の公演見ただろ?」

「……あー、そうだったか」

「覚えてないな……」


 ロザリーが口を尖らせると、ルートヴィッヒも「すまん」と観念して頭を下げた。


「でもお前の演じてる主人公ってあれだろ? 女とあらば見境なく口説く女たらしだろ? やたら歯の浮くような台詞ばっかり吐く奴」


 先刻、台本もびっくりの歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく宣ったお前が言うか、とロザリーは内心で呆れかえったが、とりあえず誤解は正しておこうと咳払いをして話を続けた。


「あの物語は一見するとただの女好きの軟派男が手当たり次第に女を篭絡ろうらくする話に見えるけど、実は真相があるんだ」

「真相?」

「『最後のゲーム』は全十二公演。とある最後の演出で毎回結末が異なる。これは長期の公演を行うにあたって客足を途絶えさせないために、脚本家が仕組んだ仕掛けで――、この話結構有名なんだけど、知らないのか?」

「全然」

「……」


 まあどうせルートヴィッヒは全ての公演を見る事はないだろうと、ロザリーはその仕掛けについて話して聞かせた。

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