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第五話

 ◆

 連日続いていた『サンヴェロッチェ』の舞台は本日休演。今日はロザリーもゆっくりと羽を休めてつかの間の休暇を満喫まんきつすることが出来る。本来なら、いつも忙しくてすれ違うルートヴィッヒを誘って庭を散歩したり、遠駆けに出たり、そんな計画を立てていたのに――。


「……」

「ロザリー、何か眉間にしわよってるけど、……大丈夫」


 ぼうっとしていたロザリーの目の前にフロレンツィアのくりくりとした瞳があった。


「――あ、大丈夫です。お嬢様」


 ロザリーは慌ててなんでもないと首を振る。そして手元に置かれたままの口をつけていないティーカップを持ち上げると、誤魔化ごまかすように紅茶をすするとサンルームの外に目を逸らす。

 庭の一望できるサンルームはロザリーのお気に入りの場所の一つだ。今日は天気もいいし、日差しも柔らかくて気持ちがいい。それなのに、


「もう、ロザリーったらせっかくのデートなのに心ここにあらずって感じ」

「すみません……」

「まあ、いいけど」


 少しご機嫌斜めのフロレンツィアに苦笑を返し、ロザリーは周囲の美しい花壇に目を向ける。ベルクオーレン邸の庭はいつ見ても美しい。いつも庭師が丁寧に手入れをしてくれているそうで、ロザリーがこの屋敷に来てからルートヴィッヒはさらに人手を増やし庭はより広くなり、花の種類も格段に増えた。


『奥様がお花が好きだとおっしゃられていたので、旦那様は特別に庭の手入れを徹底するよう命じられたのですよ』


 使用人からふと聞き入れたその情報に、ロザリーはむずがゆくも嬉しさがこみ上げた事を覚えている。それ以来、ロザリーは息抜きと考えると必ず庭を散歩したり、こうやってサンルームで花を観賞しながらお茶をするのが定番になっていた。そうして庭を眺めているとやっぱり思い出すのは彼の事で、


「……ロザリー」

「……すみません」


 無意識にもう何度目になるかわからないため息をついていたらしい。呆れた様子のフロレンツィアが困った顔をして紅茶を口にした。


「辺境伯も大概にひねくれ者だけど、貴女の方も案外意地っ張りなのよね。いい加減素直になっちゃえばいいのに」

「うう……」


 ロザリーは反論もできずに羞恥に顔を赤らめて黙り込む。フロレンツィアの冷たい視線が痛い。彼女の想いを知っているとなおの事、ルートヴィッヒとの事で思案させている事にいたたまれなさを感じてしまう。

 だが、そんなロザリーに対してフロレンツィアはあっけらかんと言い放った。


「でもよかった。ロザリーが幸せそうで」

「え……?」

「悔しいけど、貴女にそんな顔させるのあいつにしか出来ないのよね」


 そう言うとフロレンツィアは少し悔しそうにそっぽを向く。ロザリーは徐に自分の両頬を摘まんで持ち上げてみた。そういえば以前にもフロレンツィアに似たようなことを嘆かれた覚えがある。


 ――一体私はどんな顔をしてるんだろう。


 自分のことながらよくわからないロザリーは、眉間に皺を寄せたまま頬をマッサージしていると、


「――? あら、誰か来たわ」


 サンルームの扉が開く音がしてロザリーとフロレンツィアは出入り口の方を振り返る。


「おや、これはこれは可愛い先客だ」


 入り口に立っていたのは、恰幅の良い男だった。身なりからして高貴な身分で、ロザリーの記憶にはない。使用人でもなければベルクオーレン家の関係者でもないとなると、


(そういえば、近々来客があるようなことを言っていた、ような……)


 ぼんやりとルートヴィッヒと交わした会話を思い出す。屋敷の訪問客を忘れているなど、夫人としてあるまじき事だ。ロザリーは慌てて現れた紳士に頭を下げる。


「ようこそおいで下さいました。申し訳ありません、ご挨拶が――」

「……」


 だが、その男はロザリーを一瞬垣間見ただけで傍を通り過ぎる。


(……え? 無視された?)


 予想外の事にロザリーが固まっていると、その男はそのまままっすぐにフロレンツィアの方へ向かった。


「フロレンツィア=エルメルト嬢でございますな。いやぁ、お会いできて光栄です」

「……ええと、申し訳ありませんわ。どちら様でいらっしゃいますか?」


 フロレンツィアの表情に僅かばかり不快の色が入り混じった。呆けているロザリーの方をわざとらしく一瞥するフロレンツィアの表情など気にも留めず、その男はフロレンツィアに一礼する。


「ああ、これは失礼した。私はアダム=シルベストレと申します。王国西部のリンゼの町を取り仕切っている者でして」

「まあ、そうでしたの」

「貴女の事は先日ベルクオーレン辺境伯の主催した婚礼の祝宴でもお見掛けしました。その見目麗しさは会場でも一際際立っておりましたからね」


 シルベストレ卿は歯も浮くようなセリフを次々に並べ立てる。はたから見ているロザリーはフロレンツィアの機嫌が見る見るうちに降下していくのが分かった。


「お褒め頂いて光栄ですわ。それで、シルベストレ卿。なぜ貴方がロザリー(・・・・)御姉さまの屋敷に?」


 フロレンツィアはこめかみに青筋を立ててにこりと笑った。シルベストレ卿は彼女の怒りに気づいているのかいないのか、まったく動じることなく笑みを浮かべている。当のロザリーはフロレンツィアがいつ暴挙に出るかとハラハラと見守っていた。


「実は貴女の兄上、エゴール殿が我が娘に縁談を申し込まれましてね。本日はその顔合わせに参った次第でして」

「あら、貴方のお嬢様でしたの。兄が随分と熱を上げていらしたのは」

「おお、ご存じでしたか」

「もちろんですわ。兄は堅物なので私にそのお相手をおっしゃらなかったのですが」


 シルベストレ卿は話の興が乗ってきたのか、ずいぶんと上機嫌だ。


「我がシルベストレ家はベルクオーレン家の遠縁にあたるのです。それゆえ、辺境伯に仲介を頼んだのです」

「まあそうでしたの。貴方のお嬢様との縁談、上手くいくことを願っておりますわ」


 フロレンツィアは声音はどこか冷淡で刺々しい。だがシルベストレ卿は実に満足そうに頷いた。


「サンルームでご歓談とは、とても優美でございますな。植物鑑賞がご趣味で? でしたら今度我が領地に咲く美しい花の苗をご自宅に――」

「いいえ、結構ですわ。私花にはこれっぽっちも興味がありませんので」


 とうとう我慢の限界が訪れたフロレンツィアが、あからさまに不機嫌な態度でシルベストレ卿をさえぎった。そしてロザリーの側に歩み寄ると、こちらに腕を絡めてそれはもう見ているこちらがおののくほど引きつった笑い顔を浮かべる。


「私の、姉が、お花が好きなんですの。ですから、私の、姉に、プレゼントしてくださる?」


 やたらと姉の部分を強調し、フロレンツィアは卿の意識をロザリーに向けさせた。そこでようやく、シルベストレ卿がロザリーを視界に入れる。


(――あ、そうだ。思い出した)


 ロザリーはようやく思い至る。彼とは以前顔を合わせた事がある。と言っても、直接話したことはないが。

 それは一か月前、ロザリーたちの婚礼の際に開かれた祝宴で、ロザリーの事を侮蔑ぶべつの視線で遠巻きに眺めていた者たちがいた。彼はその一人、名前までは存じ上げなかったが、そのあからさまにこちらを見下す態度はその時ロザリーが感じたものと全く同じだった。

 ロザリーが彼らから忌み嫌われている事に関しては、仕方のない事だと思っている。いくらエルメルト家に籍を入れたからと言って、ロザリーは元々貴族でも何でもない、庶民の娘だ。そのあたりの事情など、とっくに貴族たちの間で噂になって広まっていた。

 勿論もちろん事情を知っていてもロザリーの事を祝福してくれる者たちもいた。その一部にはかつてロザリーが『サンヴェロッチェ』で活躍していた時の事を知っている者もおり、ロザリーはそういう人たちと交流を持つ事で忙しかったし、遠巻きに変な目で見られようが実害がなければどうでもいいかとその時は気にしなかったのだが、


「――失礼。私は娼婦にほどこしを与えるほど暇ではないのですよ」

「なっ――んですって⁉」


 シルベストレ卿の暴言に怒りを湧きたてたのは、ロザリー本人ではなくフロレンツィアであった。むしろロザリーはフロレンツィアの怒りようにぎょっとして硬直する。


「撤回していただけるかしら? 私の姉に対してそのような暴言を! これはエルメルト家に対する侮辱でもありますわ!」

「とんでもない。エルメルト家を侮辱するなど! フロレンツィア様の美しさと気高さは常にまぶしくあらせられる。貴女の御父上や兄上も然り。だた――」


 シルベストレ卿の目はロザリーを汚いものを見るような目で睨んだ。


「それは元々エルメルト家の人間ではない。薄汚い庶民の娘だ。私が敬意を払う義理などない」

「そのロザリーを養子にと決めたのはお父様ですわ。ロザリーを侮蔑するという事は、父に対する冒とくとも言えますわよ?」

「貴女の御父上は大層お優しいのでしょう? だから、行き場を失くした下賤げせんの民にも手を差し伸べてくださった」


 ああ言えばこう言う、とフロレンツィアは今にも敬意を取っ払って暴言を吐きそうだ。ロザリーは自身に対する理不尽な罵倒ばとうと分かっていつつも、フロレンツィアが暴走しないかの方が気がかりで必死にフロレンツィアをなだめる。が、


「それに辺境伯夫人は劇団を開いて見世物をしておられるとか。芸人など、観客にびへつらって金を巻き上げる、娼婦と何が違うというのですか?」

「なっ……」


 さすがのロザリーもその意見には黙っていられず反論する。


「お言葉ですが、我々『サンヴェロッチェ』の活動は慈善事業です。民から一銭も金など巻き上げておりません」


 父が経営していた頃ならばともかく、今のロザリーは領主の妻だ。劇団の目的は商売ではなく、この町の皆に娯楽を提供したいから。父の理念である「夢と希望を与える」というその言葉の通り、ロザリーは善意でやっているに過ぎない。


(そもそも父さんだって観覧料なんかろくに取ってなかった)

 経営の杜撰ずさんな父らしいやり方だと思ったが、そのひたむきな精神がたくさんのファンを呼び寄せたのだ。ロザリーはそのことに誇りを持っている。だが、


「ふん。身を売って客をよろこばせているのは同じだろう」


 シルベストレはこちらの訴えなど聞く耳を持たない。端から見下している者の意見などどうでもいいのだという態度に、ロザリーは怒りに震える。そして、


「そもそも辺境伯も得体のしれない奴だ。突然公爵の後継を名乗って現れて、あれはどう見ても妾腹しょうふくの子だ。エルメルト卿も怖気づいたのでしょう。自分の実娘をそんな男の元に嫁がせられるわけはない、と」


 瞬間ロザリーの視界が真っ赤に染まる。自分の事を言われるのはいいが、劇団の事を――そしてルートヴィッヒの事を侮辱されるのは我慢ならない。ここで不躾ぶしつけな態度を取れば、揚げ足を取られますますロザリーの心証は悪くなる。頭ではそうわかっていたが、ロザリーは思わず身を乗り出し目の前の男を殴り飛ばそうとした。

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