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第十一話

 ◆

「――それで、エゴール様の想いを聞き届けたアヴリル嬢が縁談の申し入れを受け入れて、晴れて二人は婚約と相成りました。めでたし、めでたし」


 千秋楽が終わったその日の夜、ロザリーは今回の顛末てんまつをルートヴィッヒと語り合っていた。

 二人バルコニーで並んでブラムヘンの街並みを眺めながら、月明かりの下でロザリーは弾んだ調子で話す。


「まあ、元々アヴリル嬢も突然の縁談話で動揺して、何を話していいかわからなくて緊張していたって事もあったみたいだし、今日の舞台が二人にとっていい機会になったみたいだ」

「そうか、それはよかったな」


 ロザリーの喜びをルートヴィッヒもまた同じように享受してくれる。しかし、と彼は少々呆れた様子で口を歪めた。


「あの後、エゴール殿が嘆いていたぞ。気持ちが通じ合ったのはいいが、それはそれとして、アヴリル嬢、お前の事ばかり饒舌じょうぜつに話すって」

「あー、それは、まあ……」


 実はアヴリル嬢は元々観劇に目がなかったらしく、特に今回の『最後のゲーム』はお気に入りの演目だったらしい。その最終公演に立ち会えた上、憧れのリタ役に指名されたことが彼女にとっては夢の様な出来事だったようで、結果オズワルドに――正確に言うとオズワルドを演じたロザリーにすっかりとりこになってしまった。


「ほ、ほら。好きな人とファンになる人は別っていうか」

「その理屈は分からんでもないが、当分あの二人の間の話題はお前だろうな。フロレンツィアも鬼の形相になってたぞ。夕食のときなんか『ロザリーを一番理解してるのは私だ』とか、よくわからんマウント取りまで始まって」

「あー、そんな事が……」


 そのあたりの顛末は舞台の打ち上げでいなかったロザリーにとって初耳だった。またよくわからないいさかいの種が芽吹いたかもしれないと、ロザリーは肝を冷やす。


「そう言えば、フロレンツィア嬢が観劇に行った時、お前と約束していると言ってたが……、ひょっとしてあいつを指名したのか?」

「うん。演目を伝えたらぜひリタ役になりたいって。……まぁ、指名した途端こっちに抱き着いてきて演技どころじゃなかったんだけど」

「……ああ、目に浮かぶな」


ルートヴィッヒは苦い顔をして呟くので、ロザリーも苦笑いで返した。


「まあとにかく、縁談の事はエゴール殿の努力次第だろう。上手くいくかどうか、俺たちは見守っていけばいいさ」


 これからどれだけアヴリルを惚れさせるか、誠実で実直なエゴールの良さを分かってもらえればきっとそれは難しくないと、ロザリーは確信があった。


「でも、――良かった」


 ふとロザリーがしみじみと告げると、ルートヴィッヒがじっとこちらを見つめてきた。


「私の舞台で二人を繋ぐことが出来て、私――舞台に立てて良かった」


 これまでだって何度も舞台に上がってきた。ロザリーはその度に称賛を受け、時には批判され、そうして多くの人の心を動かす事の喜びを感じる事が出来た。でも、今日の舞台はこれまでのどの舞台よりもずっと、その想いを強く感じる。近しい人たちの縁を繋ぐことが出来た事が、ロザリーにとって何より嬉しかった。

 すると、優し気に目を細めるルートヴィッヒがロザリーの肩を引き寄せた。夜風で少し冷えた身体にはルートヴィッヒの温もりが心地よくて、ロザリーは戸惑いながらも大人しくルートヴィッヒに身体を預ける。


「今更だが、役者復帰おめでとう。これまでよく頑張ったな」

「――うん。ありがとう」


 父が死んで全てを失ったと思っていた。もう二度と舞台に立てないと思っていた。でも、それでも諦めきれずにロザリーはもがいて、そして今日、ようやく自分が帰ってこられたのだと、名実ともに実感が沸いた。

 それはきっとロザリー一人では成しえなかった。周囲の、そしてルートヴィッヒの支えがあったからこそだ。


「……私、このままもっともっと役者として舞台に立ちたい」


 これはきっと最初の一歩。ロザリーはこれから先ももっと、役者として飛躍したい。けれどその一方で、気がかりな事もある。


「でも、辺境伯夫人としての務めも忘れない、つもりだ」


 本来貴族の夫人は、男装で人前に意気揚々と姿を見せたりしない。主人を支え、屋敷を切り盛りし、領民のために尽くす。ロザリーのやっている事は、きっと貴族夫人の行動とは逸脱いつだつしている。寛容なルートヴィッヒは許しても、きっと社交界ではそれをよく思わない者がたくさんいる。昨日のシルベストレ卿の様に、ロザリーを卑下ひげする者も現れる。そしてそのせいでルートヴィッヒの評判に傷がつくかもしれない。ロザリーはそれが何より苦しい。

 だが、そんなロザリーの心配を払しょくするかのようにルートヴィッヒは肩を抱く腕に力を込めた。


「お前はお前らしくいてくれればいい。前に言ったろう? お前のおかげでこの町は前にも増して活気づいている。お前は十分に領主としての役割を果たしてくれているよ」


 他でもないルートヴィッヒがそう言ってくれるのは素直に嬉しかった。でも、


「それでも、出来る限りの事はやる。辺境伯夫人として誰にも認めてもらえるように頑張りたい。だって――」

「……?」

「私、貴方の、妻……だし」


 口に出すと急に恥ずかしくなってうつむくと、ルートヴィッヒが勢いよくロザリーの身体を抱きしめた。


「ちょ、ちょっと――」


 抗議しようとしたら、ルートヴィッヒは盛大なため息をついた。


「可愛すぎる。我慢してるこっちの身にもなってくれ」

「我慢、……してるのか? これで?」

「してるしてる。すっげぇしてる」


 どうにも腑に落ちないロザリーであったが、大人しくロザリーも彼の背に腕を回した。そうすると実感する。役者の道だけじゃない、ロザリーにとって大切なものをロザリーは手に入れる事が出来たのだと。


「ロザリー」


 ルートヴィッヒの掌が、ロザリーの頬を優しく包んだ。


「ガキの頃に一緒に過ごしたあの一か月も、会えなかった間も、――再会した時も、俺にとっては大切な思い出だ。でも、俺はこれから先ももっとお前と思い出をたくさん作りたい」

「ルートヴィッヒ……」

「今日エゴール殿も言ってたしな。年月関係なく、この先二人が共に在れるように尽くすのが愛だって」


 それはきっとロザリーたちにも当てはまる事だと思う。過去の大切な思い出を胸に、もっと多くの思い出をこの先も作っていく。

 だってロザリーたちはこの先も長く共に歩む夫婦なのだから。


「……うん、私も。貴方と共にたくさんの思い出を作っていきたい」


 頬に添えられた掌を優しく握り返す。この温もりがあるだけで、ロザリーはなんだってできそうだ。


「……よし、じゃあ次の公演に向けてまた頑張らないとな」


 元気を貰ったロザリーは次の舞台に向けて意気込みを強くする。だが、そんなロザリーに対し何故かルートヴィッヒは神妙な顔つきになるので、ロザリーは首を傾げた。


「どうかしたか?」

「いや、お前がやる気なのは嬉しいが、……また今日みたいに誰かを口説くお前を見るのはやっぱり複雑だな」

「何度も言ってるが、あれは演技だぞ」

「演技とはいえ、よくもまああんな台詞を恥ずかしげもなく言えるよ。本当にすごいな」

「……あんまり褒められてる気がしないんだが」


 ロザリーだって何も普段から見境なくあんなことをするわけじゃない。そうきっぱりと断言すると、ようやくルートヴィッヒの表情が柔らかくなった。――と思ったら、


「まあ、あれだな。舞台上でどんなに女を魅了しようが、お前の今みたいな顔は俺にしか見られないと思うと悪くはないな」

「今みたいな顔ってどういう顔だ」


 意地悪く笑ったルートヴィッヒは、動揺するロザリーの耳元であやしく囁く。


「俺の事が好きで好きでたまらないっていう女の顔」

「……っ!」

「それは演技だろうと他の奴に見せるなよ。――俺の可愛い奥さん」


 自分でも驚くくらい顔に熱が溜まっていく。ロザリーは多分耳まで真っ赤になっている事だろう。隠そうにも抱きしめられているこの状態では、目の前の意地悪な夫にはすべてみられている。本当にどんなに月日が経とうと、この横暴な一面を持つこの男には敵わない。


「……お前の方がよっぽど恥ずかしい奴だ」


 精一杯の皮肉を呟くと、ルートヴィッヒは心底嬉しそうに笑ってロザリーに深い口づけを贈った。

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