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第十話

 物語は女とみれば見境なく口説く浮気な青年騎士オズワルドが、戦いに明け暮れながらゆく先々で出会う女を口説いては振られていく。いわゆる好色物というやつで、はっきり言えばエゴールの趣味には全く合わない内容だ。だが、興味のない自分ですら舞台上に目を奪われてしまうほど、その魅力は十分に理解できた。

 誰もを惹きつけるうるわしい美貌びぼうたくみな話術。そんなもので愛をささやかれればどんな女も一度はころりと落ちる。だが、オズワルドは少々詰めが甘いところがあり、二股がばれて報復を喰らったり、無神経な事を口走って女を怒らせたりして、結局最後には振られてしまう。その繰り返し。甘い口説き文句が売りの内容でありつつコミカルな展開もあるので、恋愛物が苦手なエゴールでも見ていて飽きない。


 だが物語が後半になるにつれ、徐々にオズワルドの暗く物悲しい真相が明らかになっていく。彼が本当に愛した人はもうこの世におらず、自身も命を落としたことを忘れていた。


『私の愛するリタはもうこの世にはいない』


 騎士はもう何物も触れられない手を掲げて嘆いた。


『私が本当に手に入れたかった愛はもうどこにもないのだ! 私が躊躇ためらっているうちに、そのすべてが無に帰してしまった! ああ、リタ! 私の唯一! 何故君は私にこんなゲームを仕掛けた⁉ 何故君ではだめだったのだ⁉ 何故私ではだめだったのだ⁉』


 騎士の悲痛な叫びが広場に響き渡る。最期まで本当の愛を得られなかった哀れな男に、観衆は緊迫して息をのむ。亡霊の様にただ彷徨い続けていたオズワルドは悲しみと絶望の中で、それを指摘したおきなと言葉を交わす。


『教えてくれ、翁よ。私はどうすればいい? どうすればもう一度、リタに会える? 私もリタももうこの世にいない。彼女と会うには天国に行くしかないのだろう。……だが、今のままでは私は未練の鎖に繋がれて天国に行けない。いや……、仮に現世を離れたとしても、天国に行けるかどうかもわからない。何度も女性たちを悲しい憂き目に合わせた私は、地獄に連れていかれるのかもしれないのだから』


 さめざめと泣くオズワルドに、翁は優しく語り掛ける。


『ならば探すとよかろう。この世に残る、リタの魂を。そしてその者に問うのだ。今一度、お前を愛してくれないか、と』

『リタの、魂……?』

『そうだ。リタの魂もまた、未練の故かこの地に留まり続けている。だからお前が探すとよい。そして、愛の全てを告げるとよい』


 すると翁は何故か、観客の方を向いて両手を広げた。


『さあ見よ、オズワルド。ここには数多あまたの魂を宿した者たちがいる。この中から探すのだ、お前が真に愛する者を――リタの魂を!』


 すると静観していた観客たちがにわかに騒ぎ始めた。


「来たわ……この時が!」

「今日こそ指名してもらうんだからっ」


 何故だか浮足立つ女たち。すると、エゴールの横でじっと鑑賞していたアヴリルも胸元に手を当てぎゅっと祈るようなポーズをとる。


(一体何が始まるというんだ?)


 そんな呆然としたエゴールの前で、オズワルドが立ち上がり――舞台を降りて観客の中に身を躍らせた。

 途端どよめきと歓声が沸き起こる。熱狂する声と、オズワルドを呼ぶ声がこだまして、広場は一層騒がしくなり――、


「――え?」


 オズワルドはまっすぐにこちらに歩み寄ってきた。エゴールの、その隣に呆然と佇むアヴリルの前に。


「えっ」


 アヴリルが肩を強張こわばらせて小さな悲鳴を上げた。その目の前に、愛にあふれた熱烈な視線を彼女に送るオズワルドが立ちふさがって、


『――ああ、貴女だ』


 男のエゴールですら見惚みとれるほど優雅に膝をついて、オズワルドはアヴリルに手を差し伸べる。


『私の愛しき人――願わくはどうか、この手を取ってはくださいませんか?』


 今日一番の黄色い悲鳴が広場にとどろいたのだった。


 ◆

『貴女こそが私の探し求めていた魂――リタ。どうかこの哀れな亡霊に愛を与えてください』


 そう言ってロザリーが立膝をついてルートヴィッヒの手を握りしめるので、ルートヴィッヒは思わず硬直した。

『最後のゲーム』のあらすじを聞き、エゴールとアヴリルの仲を取り持つための作戦を立てていたところで、ロザリーは突然にルートヴィッヒに向かってそんな事を言うものだから、演技とはいえさすがのルートヴィッヒも動揺してしまう。


「……これ、観客にやるのか?」


 なんとか正気を取り戻してロザリーに尋ねると、ロザリーはすぐに役者モードを解いてにこりと笑った。


「そうだよ。この舞台にリタ役はいない。リタはその日オズワルド役の役者が観客の中から一人を選ぶんだ。それは女性とは限らず男性であることもある。彼が探し求めるのは、『愛する者の生まれ変わり』――つまりリタの生まれ変わりだ」


 得意げに説明する妻を横目に、こんなことを他の男にもやる可能性があるのか、と複雑な気持ちになったが、今はとりあえず説明を聞く。


「今までは舞台上で行われていたオズワルドの『愛のたわむれ』を今度は観客を巻き込んで行う。だが、この時すでに観客はオズワルドの真意を知っているし、彼が本当に望むのはリタただ一人である事は理解している」

「じゃあ観客は何て答えたらいいんだ? 断るのか?」

「断ってもいいし、受け入れてもいい」


 どういうことだ、とルートヴィッヒは眉間に皺を寄せる。


「この物語の結末は一つじゃないんだ。その時、観客がどう答えるかで結末は変わる。この時の『リタ』とオズワルドの問答も見せ場の一つ。それによって結末はさらに何通りにもなっていく。悲劇で終わる事もあれば喜劇で終わる事もある。例えば、選ばれた客がオズワルドの心を理解していて、その上で『それは私ではない』と拒絶する。オズワルドはリタに出会えなかったことを落胆し舞台上へ戻る。そしてまた、女を口説いては振られる、の日々を繰り返し、オズワルドは未来永劫この世に彷徨い続ける。逆にあえて彼を救いたいと願い彼を受け入れる事も出来る。オズワルドはリタの生まれ変わりではない別の誰かに同情され、表面上は幸せになるが魂は救われることなく終わる」

「どちらにしてもバッドエンドじゃないか」

「バッドエンドかどうかは受け取る側の主観だよ。この舞台はそう言う仕掛けになってるんだ。でも、実は結末としてはもう一つある。彼の魂を救うたった一つの方法が」


 そこが今回の作戦の肝なんだと、ロザリーは笑った。


「もし、この時オズワルドが選んだ相手がすでに誰かのものであるのならば、当然リタ役をさらおうとするオズワルドに対して声を上げるだろう。……いや、上げなければならないんだ」

「……つまり?」

「もし私が、夫婦やカップルの片割れを選んだら――、それは決闘の合図。そしてこの舞台の千秋楽では大抵がこの結末を選ぶ。この物語の最大の見せ場。愛する人を奪おうとするオズワルドに向かって、――こう叫ぶ」




「この人は私の愛する人だ! 亡霊には渡さない!」


 エゴールが昨晩ロザリーに教えられた通りに叫んだ。正直正解かは半信半疑だったが、一瞬目の前のオズワルドが本当にアヴリルをどこか遠くへ連れ去ってしまうような気がして、エゴールは思わず叫んでしまった。

 観客が一斉にエゴールの方を向いた。手を差し伸べられていたアヴリルも、その大きな目を見開いてこちらを見る。あまりの羞恥しゅうちに腰が引けそうになったが、それよりも早く不敵な笑みを浮かべたオズワルドが立ち上がった。


『ほう、私の愛の邪魔をするか』


 挑発的な視線を向けられ、エゴールは演技と分かっていながらも身構える。二人の男が真っ向から対峙する様子を周囲で観客たちがハラハラと見守っている。


『ならば私と戦え! この亡霊を打倒し、彼女への愛を証明して見せよ!』

「はっ……!?」


 急展開にエゴールが怖気おじけづく間もなく、周囲から割れんばかりの歓声が沸き起こった。いつの間にか、エゴールとオズワルドを取り囲むように観客が円陣を作って、さながら見世物の闘技場の様に対峙する二人を見守っていた。戸惑いは膨らむが、観客の中に手を組んでその行く末を見守るアヴリルの姿を発見すると、


(ああ、彼女が見ている。無様な姿は見せられない)


 エゴールの決意が固まる。エゴールは劇団員から差し出された張りぼての剣を取った。


『我が名はオズワルド=ヴィオランテ。我に相対する貴様は誰だ?』

「俺はエゴール=エルメルト。エルメルト家の嫡男ちゃくなんだ」

『エゴール、貴様はあの娘を心から愛しているのだな?』

「……ああ、勿論だ!」


 周囲からは黄色い声が上がったり、息をのむ声が聞こえたり。それでもエゴールの中にもう羞恥はなかった。今目の前に立ちふさがる亡霊を倒し、アヴリルへの愛を証明する。自分に出来る事はただそれだけだと剣を構える。


『では正々堂々と――勝負!』


 同じく剣を構えたオズワルドが勢いよく切り込んできた。エゴールはその重い斬撃を受け止める。張りぼての剣同士のはずなのに、鉄がこすれ合う音が響いた気がした。


「くっ……!」

『どうした! 防戦一方では私は止められない!』


 エゴールも侯爵家の跡取りとして身体を鍛え、それなりに剣の鍛錬もやってきた。だが、


(くそっ、初めてロザリーと打ち合いをしたがこんなに強いのか?)


 女とは思えない打撃の鋭さと重さ。聖騎士とうたわれた舞台役者の本領を見た気がして、エゴールはその圧に押される。だが、エゴールにも意地がある。激しい斬撃を何とかいなし、決定打を避けていた。


「いいぞー!兄ちゃん!」「そこだ! 打ち込め!」


 いつの間にか周囲のギャラリーも熱の入った歓声を送る。舞台外で行われる男同士の決闘に、広場中が沸いていた。


『私は幼い頃からずっとリタを想い続けてきた』


 驚いたことに、本気の打ち合いをしている時ですら、オズワルドの演技は続いていた。


『リタに認めてもらうために、――私にはリタしかいないのだと証明するために、ずっと『ゲーム』を続けていた。何年――何百年経とうとも、この想いは変わらなかった』

「……っ!」

『私のリタに対する愛は誰にも負けはしない! さあ、貴様はどうだ! 私の愛を超える事が出来るか!』


 オズワルドの一際重い斬撃が上段から繰り出され、エゴールはそれを防ぐものの、衝撃で腕に重いしびれが走る。それでも剣を取り落とすことなくなんとか堪え、エゴールは目の前の敵を見据えた。


「……確かに、俺とアヴリル嬢はまだ出会ったばかりで思い出も多くない」


 エゴールが彼女に一目ぼれして、少しでも自分の事を知ってもらいたいと言葉を交わそうとしている、ただそれだけ。

 本当はアヴリルは乗り気ではないのかもしれない。こんな自分に目をつけられて、面倒に思っているのかもしれない。それを推し量れるほど、二人はまだ何一つお互いの事を知らない。


「――それでも」


 エゴールは奥歯をぐっと噛んで前を見据える。


「年月など関係ない! 俺はこれから彼女に少しでも多く俺の事を知ってもらいたい! この先何年――何十年と彼女と共に在れるように、そのために尽くしていく事が俺の愛だ!」


 エゴールは無我夢中で剣を構えオズワルドに立ち向かう。隙だらけの大ぶりな振り、恐らくオズワルドであれば難なくかわせるはずの一打を、彼はあえて正面から受け止め、


 カンッ


 オズワルドの手から剣が離れ飛んでいった。剣はカラカラと音をたてて地面を滑り、オズワルドの遠く離れたところで止まった。

 膝をついたオズワルドにエゴールが剣を突きつけると、オズワルドは――力の抜けた顔でフッと笑みをこぼす。


『見事だ。私の負けだ』


 その台詞を聞き届けた観客からひときわ大きな歓声が起こる。エゴールの中で、勝ったという実感が遅れて湧いてきた。


(いや、これはそういう筋書きだったのだろうな)


 この舞台の結末がどういうものかをエゴールは知らなかったが、多分オズワルドはわざと剣を手放した。それを観客に悟られぬよう、見事巧みにオズワルドは負けたのだ。


(それはそれで――少々しゃくさわるが)


 だが、この熱狂に水を差すわけにはいかないと、エゴールはぐっと堪え剣を下ろすと、


『認めよう。貴方のあの娘に対する愛は本物だ。私には敵わない。過去にばかり縋りつく私では、――リタ、未来を生きる君を幸せにはできない』


 一変してシンと静まり返る広場で、オズワルドの最期の時が演じられる。


『もう未練はない。私はこの世を去ろう。愛しい人、どうか――その魂が永久に愛に満ち溢れますように』


 そうして舞台上から亡霊騎士の姿が消える。その背中に宿る物悲しさと気高さにそこにいた観客は皆、割れんばかりの拍手を贈っていた。

 途端、緊張の糸が切れてエゴールはがくりと膝をつく。剣を振るっていた手は、脱力して急にぶるぶると震えだして、エゴールは苦笑した。そこに、


「――エゴール様!」


 鈴のような音色の声がエゴールを呼んだ。アヴリルが血相を変えてこちらに駆け寄ってくる。何だが蜃気楼でも見ているみたいだった。


「お怪我はありませんでしたか!?」

「……あ、ああ。大丈夫だ」


 まだ興奮冷めやらぬ広場の中心でエゴールは呆然と答える。舞台が閉幕し、徐々に観客がけていく中で、エゴールとアヴリルはそこを一歩も動けずにいた。


「エゴール様。とても、素敵でした。あのオズワルドに果敢に立ち向かっていかれて」

「――え」

「それに、あんなにも私の事を想ってくださっていたなんて……その、何と答えたらいいか」


 透き通るほど白いアヴリルの頬が今は真っ赤に染まっている。少し気恥しそうにしながら、彼女はエゴールに対し懸命に言葉を紡いでいた。初めて見るアヴリルの姿に、エゴールも同じように赤面し、徐々に冷静になっていく。


「も、申し訳ありません! 無我夢中で、公衆の面前であのような勝手な事を!」

「い、いえ、いいのです! あれがこの演目の正しい終わり方なのですから。でも、――」


 そうしてアヴリルは初めて、エゴールに対して笑顔を見せた。


「……とても、嬉しく思いました。――どうかこれから教えていただけませんか? 貴方の事を」


 花のような可憐な笑みに、今度こそエゴールの意識が吹き飛びそうになった。

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