1 推しに似た後輩
「ねえ、俺と俺、どっちが好きなの?」
黒髪に薄い茶色の瞳のイケメンが何かを堪えるようにしながら、少しだけ口の端を上げてこちらを見下ろしている。結衣は今まさに、推しに両手首を掴まれ、ベッドの上に組み敷かれていた。
◇
「はぁ、今回も最高傑作……!」
結衣は小説を静かに閉じながら、うっとりとした顔で呟いた。読んでいた小説は、乙女ゲームが原作のシナリオ小説だ。今日は最新作が家に届く日だったので定時で上がり、すぐにご飯を食べてお風呂に入り、寝る支度を完璧に済ませてから小説を読み耽っていた。
小説を枕の横に置いてベッドの上に横たわると、肩まで伸びた明るめの茶髪が枕にサラリとかかる。お気に入りの寝間着から伸びるスラリとした手足を目一杯に伸ばしてから、結衣はもう一度小説を手に取った。
「やっぱりルシエル様は素敵だわ!ドストライクすぎるのよね」
嬉しそうに笑いながら、結衣は小説を抱き締める。結衣は原作となる乙女ゲームをプレイしたことがない。この乙女ゲームに夢中になっている職場の後輩にしつこく勧められたためとりあえずシナリオ小説を読み始めたのだが、ルシエルというキャラクターにどハマりし、アニメ化された際にはブルーレイまで購入した。
ルシエルはゲーム内では特別な限定キャラのようで、好感度を上げるのも大変らしい。普段は無愛想で女性に対しても素っ気ないが、ヒロインと打ち解けると徐々に心を許し、ここぞと言うときに頼りになるキャラクターだ。
アニメ化した時には作画が崩れることなくむしろ素晴らしい出来で、ルシエルファンがさらに増えたらしい。声もゲーム同様に低めの響く良い声でルシエルにピッタリだった。
そんなわけで、結衣はルシエルをたった一人の推しとして崇めている。
「えっ、もうこんな時間!早く寝ないとやばいやばい」
ふと時計を見て、結衣は慌てて布団に潜り込んだ。
◇
「この度、営業第一課に移動してきました佐伯類です。よろしくお願いします」
そう挨拶する目の前の男を、結衣は唖然として見つめていた。
(うわあ、すごいイケメン!てゆうか、ルシエル様になんか似てる……!)
サラサラの黒髪に薄い茶色の瞳、背も程よく高く、スーツの似合う少し細身な体つき。どこからどう見てもイケメン認定されるだろうその姿を、他の女性社員も目を輝かせて見つめている。
「佐伯の事務サポートは、佐々木にしてもらう。困ったことがあれば佐々木に聞いてくれ」
「へえっ?あ、はい!佐々木結衣です。よろしくお願いします」
突然上司に指名されて驚くが、結衣はなんとか平静を装い笑顔で挨拶した。結衣の挨拶に、類もペコリとお辞儀をして返す。
(う、女性社員たちの、視線が痛い痛い痛い)
イケメンの事務サポートに任命されるなんて羨ましい、妬ましいといった視線を一身に受けつつ、結衣は笑顔をなんとか貼り付けていた。
◇
類が移動して来てから数日が経った。
結衣は類のイケメン具合に緊張しつつ、あれこれと教えて業務を滞りなくこなしていた。そもそも佐伯も出来がいいのだろう、業務内容をすぐに理解してあっという間に馴染んでいる。
ただ、女性社員の熱い視線が苦手なようで、無駄に話しかけてくる女性社員にはかなりの塩対応だ。そんな態度に女性社員たちは悲しそうにしたり不満そうにしているが、結衣はそんな類を見て心の中で密かに喜んでいた。
(いやぁ、女嫌いで塩対応ってところもルシエル様そっくりなのよね。こんなにイケメンなのに勿体無い気もするけど……これはこれで色々大変なんだろうな)
そんなことを考えながら女性社員へそっけない態度を取る類をじっと見つめていると、その視線に気付いたのだろう、類が結衣を見て眉間に皺を寄せた。
「なんですか?」
(おお、こわっ!でもそんなところもルシエル様っぽくて逆にやばいって思っちゃう私が多分、一番やばい)
そんなこと思ってるなんて口が裂けても言えないので、結衣は苦笑いをしながら口を開く。
「いや、いつも大変そうだなって思って」
「はぁ、まあ。いつものことなんで。……佐々木さんはああいう感じじゃないですよね」
急に自分のことを言われて結衣はキョトンとする。
「へ?ああ、だって仕事だもん。佐伯君は後輩であり仕事上のパートナーみたいなものでしょ。そもそも、仕事に余計な感情は必要ないと思ってるから」
あっけらかんとしていう結衣を見て、類は驚いた顔をした。そして、急に笑い出す。
「ふっ、ハハッ、そうっすね。確かに。佐々木さんがそうだから、俺、仕事しやすいです」
いつもはほとんど真顔で無表情なのに、急に笑顔になった類を見て結衣は心臓が一気に跳ね上がった。
(う、わ……!やばい、いつもは真顔なイケメンの笑顔の破壊力やばい!っ、でも、佐伯君は私が態度を変えないことを心地よく思ってくれてるんだから、これからもそのままでいるべきよね)
「そ、っか。それならよかった」
バクバクと鳴り止まない心臓を誤魔化しながら、結衣はいつも通りの笑顔を類へ向けた。