三話:作戦開始
宮沢は言われた通りに動くしかなく、それがこの状況で最善を尽くすことだと思った。
死体を避けて、廊下へ顔を出す。一見何も変わった様子はない。だが、向かい側の校舎の教室にも血が飛び散っているのが見えると、これは現実で起こっていることだと思ってしまった。
そして隣のクラスを覗き込む、しかしやはり彼のクラス同様、血と死体で教室は地獄と化していた。
様子を伺っていると、かすかに声が聞こえた。
「うぅ…」
うめき声に気づいた彼は教室に駆け込んで叫んだ。
「誰か生きてるのか?」
「こ、ここだぁ…」
遠くで、手を上げて宮沢を呼ぶ声が聞こえた。急いで駆け寄ると、床でうずくまっている男子生徒がいた。
「おい、大丈夫か!」
「あ、あぁ…」
男子生徒は怯えていたが、幸い無傷のようだ。
「歩けるか…とにかくここは危ない…外へ出よう」
男子生徒は頷き、彼に続いて教室を出た。すると後ろから足音がした。振り返ると一人の女子生徒が二人の元へ走って来るのが見えた。彼はそれに気づき女子生徒に向かって大きく手を振った。
「おーい、こっちだ」
「ちょっと、どうなってんのよ!」
女子生徒の方は、叫ぶほどの余裕があるようだ。
「なんで…こんなことになってんのよ」
「知るかよ…だが良くないことが起きてる、とにかくここを離れるぞ!」
宮沢がそう言った途端、運動場の方から人間でも動物でもない叫び声が聞こえた。
その向こうには、真っ黒い巨大な球体が浮かんでいた。よく見ると球体の周りからは蛇のような細長いものが生えており、そのうちの何本からは血のようなものが溢れていた。そしてその周りを白い影が移動しているのが見えた。彼女だ。いつ着替えたのか知らないが、あの白いパーカーを着た彼女が空の上を流星群のように高速移動していた。
それを見て男子生徒と女子生徒はさらに困惑する。
「なんだよあれ…」
「あそこでちらちら見える光は…もしかしてヒーローなの?」
残念ながらあれはヒーローではない、ヒーローを名乗ってる変質者とでも説明しようと思ったが宮沢にはそれを言う気力はなかった。
「…行くぞ」
三人は一階へ降りて下駄箱へ靴を履いた。とりあえず外へ出てみると周囲の異変に気付いた。
街は眠りについているかのように真っ暗で静まり返っている。車の音も人の姿も見当たらない。
正門と時計は宮沢が学校に着いて彼女に別れを告げた時間に止まっていた。あの10分、あの時の10分で時計は止まっていた。嫌な予感がした。こういうファンタジーチックなことを信じる奴ではない彼が思わず頭に浮かんだことを口に出してしまった。
「もしかして…時間が止まってる」
男子生徒と女子生徒は彼に視線を向けた。だがそう考えても不思議ではない。おそらく自分たち以外の全校生徒の頭が一斉に吹っ飛んだこの状況からして、時間が止まってもいても、空で人が高速移動していても驚かず受け入れることができる。
「…二人はここにいろ、俺は…あいつの様子を見に行く」
「…あんた何者なの?」
それに応えることなく彼は彼女の元へ向かった。
運動場の近くにある体育倉庫の倉庫の後ろに隠れ、戦況を確認した。
あの謎の生き物は悲鳴を上げながら、蛇のようなものを振っている。よく見ると球体の真ん中に一回り小さい赤く丸いものがあった。色は違うがそれが何なのか宮沢は分かった。瞳だ。赤い瞳だ。球体は巨大な目玉だ。蛇のようなものが何かは分からないが、今、宮沢の距離から見えるものが巨大な目玉だということは分かった。
敵の正体がわかったても、宮沢はここで密かに彼女を見守ることしかできなかった。彼は空も飛べず、手からビームも出ない、ただの生意気な高校生だ。そんな奴があの目玉に立ち向かったところで一瞬で踏み潰されることが目に見えていた。
すると白い光が蛇のようなものに当たり、それが校舎の方に飛ばされた。
「おい…嘘だろ」
宮沢はその時自分がもう助からないことを悟った。絶望していると後ろから誰かが近づいてくる音がし宮沢は咄嗟に振り返った。誰だか分からなかった。右腕が千切れかけていて、右目は潰れて出血しており、頭からも血が垂れている。そして腹部には、服越しでもわかるほどの大きな穴が空いていた。目の前にいる真っ赤に染まった人影を、宮沢はただ見つめていた。
「うわ、宮沢くん…脅かそうとおもったんだけど…案外反射神経いいんだね」
声で彼女だと気づいた。あの白かったパーカーが真っ赤に染まっていて気づかなかった。
「お前…なのか?」
「うん、いやー大きくても油断しちゃだめだね、攻撃力は凄まじいよ、現にみんなの頭吹っ飛んじゃったし」
彼女は包丁についた血を振り払いながら話し続ける。
「言い忘れてたんだけど、もう一つお願いがあるの」
宮沢は時折目玉がいる方を見ながら彼女の話を聞いていた。
「なんだよ、早く倒せよ…ってかそんなんで戦えるのかよ」
「大丈夫、すぐ治るから」
彼女の右目が治っていることに気づいた。
「倒していいの?」
「なんで俺に聞くんだよ、あいつが全部やったんだろ早く倒せよ!」
「あぁ…そう」
「…お願いってなんだ」
「いや…終わってからまた説明するね」
彼女はその場を飛び出し目玉の元へ向かうと空高く飛び上がった。そして巨大目玉よりも高い所まで飛ぶとまた一瞬で高速移動し、目玉の瞳を横切った。彼女が横切った瞬間、目玉はけたたましい悲鳴を上げながら赤い瞳から大量の血を流し、半壊した校舎の上に倒れ込んだ。
「討伐完了ー!」
彼女の声が校舎に響いた。
グラウンドに着地した彼女は血まみれの包丁を右に持ったまま宮沢の元へ走って来た。
「おまたせー宮沢くーん」
「あいつ…死んだのか?」
「そうだよー、私にかかればこんなの朝飯前でーす!」
彼女は包丁についた血を赤く染まったパーカで拭き始める。
「…それで拭いても意味ねぇだろ」
「ハンカチ…持ってない?」
「あるわけねぇだろ」
「えー、君トイレ行った後ちゃんと手拭いてるのー?」
すると突然、空がピンク色に輝いた。青空が見え、風が吹き出す。この瞬間、彼は自分の肩が軽くなった気がした。
「終わったのか…?」
「うん…まぁ私の仕事はここまでかな…」
宮沢が話しかけようとしたその時、遠くから砂を踏み潰す音が聞こえた。足音の方を向くと、誰かが二人の元へ近づいてくるのが見えた。
「こちらクリック、クリーンライダー現着しました、目標は既に討伐されています」
彼女より一回り小さい少女と、彼より一回り大きいがたいのいい男が近づいてくる。
「目撃者が二人、後…彼女もいます」
少女は右耳に手を当て、時折こちらを睨みながら誰かと話している。
「遅かったね」
彼女を無視し、向こう側の人と話し続ける。
「予定通りでいいんですか……分かりました」
するとがたいのいい男が二人の横を通り過ぎて、正門の方へ向かった。
「あっちは僕が対応します」
「わかった、こっちは任せて」
男がいなくなると、少女は彼に目を向けた。
「宮沢俊さんですね?」
「…そうだ」
「一緒に来てもらいます」
「は?」
「色々混乱してると思いますが、説明している時間はありません。とにかく一緒に来てもらいます」
「なんでだよ!」
突然、彼女が彼の肩に手を置いた。
「…やめて」
「お前もなんなんだよ、もう終わったんたんだろ!」
彼女は俯いたまま何も答えない。
「彼女のお願いはまだある。宮沢さん、あなたはもう一般人ではありません…あなたは選ばれたんです」
「はぁ?」
少女が彼の元へ近づく。
「彼女があなたを選んだ、そしてあなたは彼女の管理者になったんです」
彼は戸惑いながら彼女に目を向ける。
「ついて来てください、拒否権はありません」
後ろにがたいのいい男が立っているのに彼は気づいた。
「…わかった」
「それじゃあ、クリーンライダーこっちに来て。二人も早く」
言われるがまま三人は少女の元へ集まった。そして少女はまた彼女睨んでいる。
「あなたを連れて行くなんて…絶対ないかと思ったわ」
四人は荒れ果てた校舎から消え去った。