08.21.お姉ちゃんだよ
『さあ、あの時の続きをしようじゃないか、マイ・プリンセス』
『キャーーーーッ』
『やめろーっ』
この後、ブラウスのボタンがはじけ飛んで、ウザ男が胸を掴んだ辺りで記憶が戻ったんだと思う。
全身に電気が流れたような感じがしたのはスタン・ブラの所為だと思うんだけど、直ぐに目眩がして……、その後は湧き上がる怒りを押さえながら紳士的に対応したんだっけ。うん、あくまでも紳士的に。警察もそれで納得してくれてるみたいだしね。
予めクラッキングしておいたお陰でウザ男が止めたと思ってた防犯カメラもちゃんと動かせてたし、勿論、過剰防衛っぽい所はカットしておいたからね。まあ、仮に何か起きてたとしてもそれは無理矢理思い出させるようなことをした所為だもん。全てはウザ男の自業自得なのだ。
とはいえ、ちゃんと記憶が戻ったのかどうかは正直自信がない。
記憶を失っていた間に起きたことははっきりと覚えている。
僕は自分が女の子だと思ってて、凜愛姫の事を男の子だと思っていた。元々逆だったってことはすっかり忘れちゃってたから、普通に凜愛姫に……、伊織に惹かれてたし、いろいろと痛い迫り方もしちゃったんだ。
逆に記憶を失う前の事には自信がない。
『うん、全部思い出したよ……少なくとも君の名前と僕達の関係はね』
確かにあの時はそう思ったんだけど、凜愛姫に色々と迫った “私” の影響で記憶が改竄されてるんじゃないかって不安になってきた。
元々男で、変な病気の所為で女の子になったってのは間違いない。凜愛姫はその逆で元々女の子だったってのも間違いない。自信がないのは凜愛姫との関係。
今、こうして二人でいるとドキドキするし、すごく楽しいと思える。でも、それは伊織に惹かれてたからなのか、それより前からだったのかはっきりしないんだ。
だったら、本人に聞いてみるしか無いよね。
「ねえ、このネックレスって」
「うん。私からの誕生日プレゼントだよ。思い出せてない……かな……」
そう。僕が今着けてるのは凜愛姫に貰った方。
「永遠に変わらない愛……」
「それは……、“大切な人の幸せを願う” の方だから。永遠の愛なんて、そんな……」
慌てふためく凜愛姫。
「そっかあ……、そうだよね。そうだ、これ、返しとくね」
こっちは凜愛姫にあげたネックレス。永遠の愛を誓いあってたわけじゃ無かったけど、まあ、それはそれで返しやすというか……
「見つかったんだ♪ 良かったね、透♪」
「うん、武神さんのポケットに入ってたみたい」
リアラの首にネックレスを着けてあげる。
「そう、武神さんの……。ねえ、これは? これはどういう意味……なのかなあ……」
「ええっとー、それは……、思い出せない」
「もう、ずるいよそんなの」
「ごめん……」
「……焦らずに思い出してくれればいいよ。待ってるから、私」
待ってるから……、か。
『だから、その時が来るまで待ってて欲しい』
くあ〜、顔が熱くなってくる。思い出せた気がする、凜愛姫への気持ち。
「ありがとう、凜愛姫」
待っててね、ちゃんと元に戻るまで。
「そうだ、今回のことは二人には内緒ね。もうすぐ出産だから、余計な心配掛けたくないもん」
「私は構わないけど……、透はそれでいいの?」
「十分やり返したしね」
「そっか」
それより、今は期末試験に向けて集中しないと。うん、うん。これ、これ。今はこうして凜愛姫の隣にいられればそれでいい。
「もう学校なんか行かないでず〜っとこうしていたいね」
「出席日数気にしなくてもいいならね?」
「そうだよね〜、こんな風に肌と肌が触れ合っちゃったり〜」
って、自分からやっといてちょっと照れるな……
「もう、透、真面目にやってよ」
「だってえ、やっと凜愛姫のこと思い出したんだもん。少しぐらいいいよね?」
「私がここに来てからずーーーっとそうしてるけど?」
「そうだっけ〜」
これは……、そう、私の影響だよ。僕の意思じゃない……んだから。
◇◇◇
そして、その日は突然訪れた。
物音でふと目が覚め、リビングへと下りていくと、両親が出かける準備をしているじゃないか。
「透か。丁度良かった。父さん達、病院に行ってくるから家の事は頼んだぞ」
「病院って……」
「大分間隔が短くなってきたみたいだからね。楽しみに待っててね」
「僕も行くっ!」
「行ったら直ぐに生まれるって訳じゃないのよ。暫く陣痛室で待つことになるんだけど、あれを聞いちゃったら産むの怖くなっちゃうわよ、透ちゃん」
いや、僕は産むつもりないんだけど……
「カーテンで仕切られてるだけだからね。周りの妊婦さんの苦しそうな声が聞こえてくるわよ?」
「それに、陣痛室に付き添えるのは一人だけだ。透が着いてきても廊下で待ってるだけだぞ」
「こっちはいいから後で凜愛姫を連れてのんびりいらっしゃい」
「うん、わかった」
車で出かける両親を見送ったものの、興奮しちゃって眠るどころじゃ無かった。凜愛姫は朝まで熟睡なんだけどね。
コン コン コン
「凜愛姫、起きて」
コン コン コン コン
「凜愛姫」
「うーん、透。もう少し寝かせて」
「凜愛姫、早く着替えて。朝ご飯食べたら病院行くよっ!」
「びょーいん?」
「うん、うん。生まれるよっ! 姫花が生まれてくるよっ!」
「うそっ、急がなきゃ」
姫花というのは、生まれてくる妹の名前。お義母さん、名前には姫って字を付けたいんだって。「苗字に付いてるのに」って言ったら、「凜愛姫と違って結婚したら変わっちゃうかもしれないでしょ」なんて言われちゃった。
◇◇◇
「透、伊織も、丁度分娩室に入ったところだ。もうすぐ生まれるぞ〜」
「う、うん。緊張するね」
「透が産むわけじゃ無いだろう」
「そうだけどさ」
程なくして分娩室のドアが開いた。
「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」
そう言って出てきたのは、看護師さんだけだった。
「今綺麗にしてますからね。もうすぐ会えますよ」
「有難うございます」
「産声とか聞こえなかったね」
「そういえばさ、父さん立ち会わなくて良かったの?」
「俺は立ち会いたいって言ったんだけど……、春華さんが……」
居ても役に立たないか……
そしていよいよ姫花との対面の時がやって来た。
「おまたせしましたー。お姉ちゃんかな? 抱っこしてみる?」
いや、お兄ちゃんだけどね。
「うええ、どうやって」
なんて心配は無用で、看護師さんが上手いこと抱っこさせてくれる。
「あっ、目、開いた。透の事見てるね」
「姫花、お兄ちゃんだよ♪」
「姫花が混乱するから、そこはお姉ちゃんで良いんじゃない?」
「えっ、うん……、お、お姉ちゃんだよ」
「ふふっ」
「もう、じゃあ、お兄ちゃんに抱っこしてもらおうね、姫花」
「えっと、待って、どうしたら……」
看護師さんを介して凜愛姫も姫花を抱っこして、最後に父さんも抱っこした。