嫌いではない小説に対する不満みたいなもの
ーー太郎は勇者である。いくつもの冒険をし、魔王を倒した。ーー
王道RPG、王道小説、要はストーリーというのは、こういうものである。
ときには太郎でなく次郎だったり、勇者でなく転生者だったり、魔王でなくどこぞの社長や政府だったりすることもあるが、まぁこんなものだろう。
先の一文だけを読んだ後、こんな質問をされたとする。「太郎はどのような人物か」あるいはもっと非常識に、「立ち寄った町で救われた少女はなにを感じたか」
知ったことではない。何故知らないのか?もちろん、それは書かれていないからだ。
だが私が小説を読むとき、自らそういう質問を出しては答えを探している。「主人公は何故彼女を救ったのかーー同情?恋?共感?」そこに明記されていなくても想像をする。
この想像が楽しいのである。
先ほど小説家になろうの中に素晴らしい作品を見つけたので、少しばかり読んでいたのだ。
面白いのだが、想像の余地がない。
主人公は何と思った、だからこうした。それを受けたヒロインはこう思い、そのために何した。・・・面白いのだが、つまらない。・・・このつまらなさは伝わるだろうか?
たかだか1万字の作品を読むのに1ヶ月かかる作品は至高である。極論であるが、たった10文字の一台詞の解釈に1年費やさせたら、その作者は神である。(比喩ではなく)
時に、「i love you」の陳腐な台詞を言わせるがために書かれた作品があるものだ。その一言のために100万200万と文字を重ね、 だのに肝心のそれの後に「彼は彼女を心のそこから愛していたのだ」などとあれば興醒めである。そんな残酷なことをするのであれば、最初からーー太郎がいた。洋子がいた。彼は彼女を愛した。完ーーにしてしまえ。
想像するためには何かもととなるものは必要ではある。だが全てを完璧に描写してしまっては、それでは小説ではなく教科書か何かじゃなかろうか。
いかん。少し怒りながら書いているものだから、落ち着きのない文章だ。だけど、この気持ちわかる?んん、長く書いても仕方ないし、次で最後にしよう。
無意味に削ってもしょうがない。冒頭の一文では体の骨どころか背骨一本ないであろう。間違いなく駄文である。だが、アソコの毛の一本一本まで説明する必要はないし、それをした小説も駄文であると思う。