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仕立て屋王子と魔法のクローゼット  作者: 栗栖ひよ子
第二話 謎の貴族とわたしのためのドレス
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(4)

 * * *


 甘い匂いがする。

 頭がぼうっとして意識がはっきりしなくて、花の蜜に誘われる蝶々のように甘い匂いを辿っていく。

 ピンク色のもやがかかった視界の中、芳香がいっそう濃くなってむせ返りそうになっていると……。


「どうしたの? ケイト」


 セピアの声が後ろから響いた。


「セピアくん。良かった、道に迷っていたところで……っ!?」


 振り向くと、ほぼ半裸のセピアがいた。バスローブのようなものを着てはいるが、はだけているので胸板も太腿も露わになっている。


「な、なんでそんな恰好……!」

「そんなの、ケイトを誘惑するために決まってるじゃん」

「ちょっと待っ」


 力がなさそうと思っていたのに、簡単に押し倒されてしまった。地面がふわふわしていて寝転がっても痛くない。


「寂しいんだよね。大丈夫、僕に任せてくれればすぐに忘れさせてあげるよ」


 セピアが上に覆いかぶさってくる。はねのけようと思ったのに、腕も脚も、器用に拘束されてしまって動けない。

 火照ったようなセピアの顔がだんだんと近付いてくる。


「やめて、待って。心の準備がっ……」

「セピア、何をしているんだ」


 アッシュの声が高いところから降ってきて、セピアの身体がべりっと引きはがされる。


「ちょっと、邪魔しないでよ」

「これは俺の獲物だ」


 なんだか物騒な台詞が聞こえた気がする。

 アッシュがセピアをとん、と押すと、セピアの姿はもやに紛れて消えてしまった。身体を起こそうとする私に手を差し伸べてくれる――が。


「ちょ、ちょっとアッシュさんまで!」


 またしても、半裸だった。ボタンが全開のシャツ、首にひっかけただけの蝶ネクタイ。いつもきっちりフロックコートを着こなしているアッシュだけに、その破壊力はすさまじかった。はだけた胸元が筋肉質だったのは意外な発見だが。……いや、そうじゃなくて!


「なんだ」

「なんでそんな恰好なんですか!」

「君もじゃないか」

「え」


 言われてはじめて、自分の身体を見下ろす。丈の短い、やたらシースルーなキャミソールを一枚着ているだけだった。


「う、嘘っ。なんでっ」

「恥ずかしがることはない。人間、服を脱げばみな裸なのだから」

「それは、そうですけど……。って、だまされませんよ!」


 一瞬納得しかけてしまったのが悔しい。アッシュは熱のこもった目で私を見つめてくる。じりじりと距離をつめてくるので、なんだか怖くなって後ずさる。が、足が何かに当たって進めなくなる。


――壁だった。さっきまでこんなところに壁なんかなかったのに。


「ケイト」


 アッシュが、両手を壁について私の逃げ道をふさぐ。彫刻のような美しい顔が目の前にあって、狭い視界のすべてをアッシュに奪われる。


「他のやつに捕まるな。君は俺の獲物だ」


 つめたい手で、やさしく頬に触れられる。なぜだろう、その手を振り払えなかった。アッシュが痛々しいほどに必死な表情をしていたからだろうか。


 アッシュの顔がだんだんと近付いてくる。このままじゃ――。



「やっぱり、駄目っ!」


 がばっと飛び起きると、ベッドの上だった。昨夜案内してもらった二階の住居。ベッドと鏡台が置いてあるだけの、簡素な寝室である。


「ゆ、夢……?」


 あんないやらしい夢を見るなんて。実際にはキスすら寸止めだったとはいえ、アッシュもセピアも、自分ですら半裸だった。


「もしかして欲求不満……?」


 自分の願望が見せた夢だったとしたら、恥ずかしすぎる。今日はふたりとどうやって顔を合わせたらいいのか。しかも、セピアはともかく、アッシュにあんなことをされても嫌じゃなかった。


 これは由々しき事態だ。いかに好みの美形だったとしても、簡単に唇を許す女になってはいけない。ここが異世界であったとしても、だ。実際にアッシュがあんなことをしてくるとは思わないが。


 カーテンを開けると、朝の光が部屋に射し込んできた。目覚まし時計がないと言われたときには、どうやって起きるのか困ってしまったが、朝陽とともに自然に起きられたみたいだ。携帯もパソコンも、テレビもない生活なのがいいのだろうか。灯りがあたたかみのあるランプだからだろうか。暗くなったら眠って、明るくなったら起きる。そんな人間として当たり前のリズムを、この世界に来てはじめて実感する。

 身体が持っている本能に従うと、こんなに楽なんだな。


 ショッピングモールの閉店まで仕事をしていると、帰るのも遅くなってしまい、睡眠時間も一般的な会社員とはずれてしまっていた。こんなに早起きしたのは久しぶりかもしれない。

 二階にはキッチンや作業室、バスルームもちゃんとあった。お湯をわかしてお風呂に入ってから、簡単な朝食を作ろうと決めた。



 身支度を整え、一階でお茶の用意をしていると三兄弟たちがやって来た。


「おはよう、ケイト! 昨日はよく眠れた?」

「えっ、う、うん」


 セピアの顔を見ると夢のことが思い出されて、しどろもどろになってしまう。


「なんだ、眠れなかったのか。異世界のベッドが合わなかったのか?」

「い、いえ。ちゃんと眠れました。もとの世界でもベッドだったし」


 アッシュが不審な顔でじっと見てくる。あんな夢を見たなんてバレるわけないのだが、すべてを見透かされていそうで怖い。


「……そうか」


 心臓をばくばくさせながらも平気なふりをして見つめ返していたら、納得してくれたようだ。ほっと胸をなでおろす。


「お茶を淹れ終わったらちょっと来てくれ。渡すものがある」


 クラレットにペパーミントティー、アッシュとセピアにダージリンを淹れ終わると、リボンのかかった大きな箱を渡された。


「何ですか、これ」

「開けてみろ」


 蓋を開けると、ドレスが入っていた。落ち着いたピンク色と、白い生地の切り替えになっている。


「これって……」

「君のドレスだ」

「こんなに早く出来上がったんですか?」


 採寸をしたのは昨日だ。まさか一晩で縫ったというのか。


「家にあったサンプルに、君に似合いそうなものがあった。サイズも近かったので軽く直すだけですんだ」

「ありがとうございます。でも、似合いそうって言っても、私にこんな可愛いの……」


 子どもの頃は、ひらひらしたスカートもピンク色も大好きだった。でも大人になってからは、キャラじゃないと言われるのが怖くて甘めのファッションはして来なかった。フレアスカートよりタイトスカート。ワンピースよりサロペット。本当は可愛い服が似合う女の子にずっと憧れていたのに。


「大丈夫だ。俺が作ったんだから、似合うに決まっている」


 アッシュの言葉に、胸の奥がぎゅうっと掴まれた。

「ケイト。アッシュの腕を信じなさいよ」

「そうだよ。アッシュが似合うって言って似合わなかったことなんてないんだから」


 クラレットとセピアの言葉も、背中を押してくれる。


「早く着替えてこい。サイズが大丈夫かどうか見たい」

「……はい」


 子どものころ、おばあちゃんのブティックでお姫様ごっこしていたことを思い出す。ロングスカートを胸まで上げて、ずるずる引きずっていた。

 お母さんは悲鳴をあげたけれど、おばあちゃんは怒ることなく『こうするともっとお姫様みたいになるよ』とコサージュをつけてくれた。あの頃の私が、胸の奥の扉をノックしている。早くこのドレスが着てみたいって。


「ケイト、ひとりで着られる? 手伝いましょうか?」


 採寸室の扉を、クラレットがノックする。ドレスを着終えたのはいいものの、みんなの前に出ていくのが恥ずかしくなっていた。だって、どんな顔をしていいのかわからない。


「大丈夫。着終わった、から……」

「着終わったなら、早く出てこい」


 アッシュがいらいらした声で促す。いつまでも引きこもっているわけにいかないので、おそるおそる扉を開けた。


「へ、変じゃない……?」


 腰からふわりと広がった、花びらのようなドレス。胸元は広く開いていて、おそろいの生地で作ったチョーカーがついている。ピンク色のカーテンを開けたように、スカートの前面は白い生地を覗かせていて、甘いだけじゃない清楚な雰囲気を醸しだしていた。

 リボンも入っていたので、ハーフアップにした髪につけてみた。きつめの顔がやさしく見えて、まるでお嬢様になったような気持ちになる。


「似合っているわよ、ケイト。これなら自信を持ってお店に出せるわ」

「すごく可愛いよ! 貴族の令嬢……ううん、お姫さまみたいだよ」


 ふたりの率直な褒め言葉に顔が熱くなる。


「アッシュさん、は……」

「言っただろう。似合うに決まっていると」


 口の端をあげて、ふっと微笑んでくれた。初めて見るアッシュの笑顔に、なぜだか胸が苦しくなった。


「サイズも問題なさそうだな」


 本当に、吸い付くように身体にぴったりだった。デコルテのラインもいちばんきれいに見えるところを狙っているかのようだし、くびれも強調されている。


「このドレスはコルセットを付けないタイプなのね」

「ああ。ケイトの着ていた服はゆったりしていたし、向こうの世界ではコルセットを付ける習慣がなかったんだろうと思ってな。今回は付けなくても大丈夫なデザインにしてみた」

「ありがたいです。コルセットなんてつけたら、慣れなくて倒れてしまうかも」

「徐々にコルセットをつける練習をしていくとして、今はこれで充分でしょ。上出来よ」


 その場でくるりと回ってみる。スカートにボリュームがあるから物を引っかけないように注意しなければいけないが、思ったほど動きづらくはなかった。ほとんど締め付け感がないからかもしれない。


「ありがとうございます。まるで自分が本当に可愛い女の子になったみたい」


 さっきの笑顔は幻だったのだろうか、と思うくらいすぐに仏頂面に戻ってしまったアッシュにお礼を言う。


「俺のドレスは、着た人の魅力を惹き立てるように作ってある」

「はい。だから私でも女の子らしく見えるんですよね?」


 アッシュが少しむっとした顔になった。


「君はわかっていないようだな。ないものをあるように見せるのではなく、その人の美しい部分が強調されるということだ。君が女性らしく、愛らしく見えるということは、それは君がもともと持っていたものだということだ、ケイト」


 胸の奥がじんわりあたたかくなるのを感じた。こんなに感動したのに、アッシュは言うだけ言ってさっさとお茶の続きに戻ろうとしている。


「そ、それは、褒めてくれているんですか……?」


 アッシュの後姿におそるおそる問いかけた。肩がぴくりと動いて、足が止まる。


「違う。君にドレスについて誤解されたくなかっただけだ」


 振り返らないまま、いつも以上にぴしゃりとした声でアッシュが言う。またあの甘い匂いが漂ってきたのを感じながら、この人の冷たい態度は照れ隠しなのではと気付き始めている自分がいた。



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