(3)
「ウォルさま。生地のことはいいんですか?」
今までじっとしていたアッシュが、私とウォルの間に入るように進み出た。
「ああ、そうだった。ケイト、この真紅の生地でドレスを作ろうと思うんだけど、君はどう思う?」
顔をぱたぱたと手であおいでから、ウォルの示す生地を手に取る。アッシュが壁になってくれているのがありがたい。ひんやりしたオーラのおかげで顔の熱がさめてきた。
「素敵ですね。光沢があって、でも軽くて……。フロッキープリントを裾に入れたら映えそう」
「フロッキープリント? なんだいそれは」
「ええと……、むこうの世界にあった技術なんですけど、毛足の長い生地を植毛して模様を作るんです。そうすると、ふつうのプリントと違って立体的な模様ができるんです。もこもこした影絵みたいな」
「へえ……」
必死に言葉を選んで説明すると、ウォルが感心したように息を漏らした。
「ベルベッドみたいな手触りになるので、この生地みたいな重厚感がある素材に合うんですよ。もとの世界でも秋冬に人気でした」
「アッシュ、今ケイトが言ったようなこと、できる?」
すっと、ウォルの瞳が細くなる。笑顔は崩していないが、アッシュを試しているみたいだった。
「熱を加えて転写するやり方だったら、できると思います。裏に糊を塗った布地を使って、先に模様をくり抜いておきます。アイロンで熱を加えることによって布地に定着させれば、ケイトが言ったような立体的な影絵の模様にすることができると思います」
「さすがだね。さっきの話だけでそこまで考えつくなんて」
アッシュが語ったのは、転写フロッキーと呼ばれるやり方に近かった。フェルトのアイロンプリントのようなものだと思えばわかりやすい。
フロッキープリントのことなんてなにも知らないアッシュが、一瞬でそんな方法を思いつくなんて、やはり彼は天才なのだろう。
「それをやってくれる? お金に糸目はつけないし、時間はかかってもいいよ。新しい技術はこの店にも必要だろう?」
「ありがとうございます。ぜひ、やらせていただきます」
深々とお辞儀するアッシュを、ウォルは含みのある笑顔で見つめていた。穏やかで紳士的な印象だが、それだけじゃない気がする。
「また来るよ。今日は急に来てすまなかったね」
「ウォルさま、一人でお帰りになるのは――」
扉に向かうウォルをクラレットが制する。
「大丈夫、近くに使いの者を待たせているから。じゃあね。ケイトも、また」
アッシュが扉を開けたあと、三人でお辞儀をして見送る。ウォルの姿を認めたかのように従者らしき人が何人も近寄ってきて、そのまま通りに消えてしまった。
ぽうっとしたままお店の中に戻ると、クラレットが緊張を解いたように息を吐きだした。アッシュも胸元をゆるめている。
「ウォルさまって、すごくえらい貴族だったりする……?」
このふたりの様子といい、さっきの従者といい、エリザベスさまのような貴族とは違う雰囲気だ。
「まあ、そんな感じね……。本当はふらふら市井に出て来られるような人じゃないんだけど、あの人はこれが趣味みたいなものだから」
ふうっと長いため息をついたあと、アッシュは前髪をかきあげた。その仕草に見惚れていたら、アッシュがこちらを見た。見惚れていたのがバレてしまう、と思ってあわてて目を逸らしたのだが、アッシュはじっと私を見つめたままだ。
「あ、あの、アッシュさん……?」
「ケイト。さっきは仕方なかったが、ウォルさまがいるときには裏に下がっていろ」
「えっ、どうしてですか?」
「……失礼があったらまずい相手だからだ」
「あら、でもウォルさまはケイトを気に入っていらしたわよ? 今度来たときにいなかったら、追及されるんじゃないかしら」
クラレットの言葉に、アッシュが沈黙する。何かを必死で考えているような表情だった。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私がちゃんとケイトを教育するし、何かあったらフォローに回るから」
「……そうだな。今言ったことは忘れてくれ」
「それより聞いてちょうだい、エリザベスさまのアクセサリーのことなんだけど――」
クラレットがアッシュに報告をしている間に、テーブルの上を片付けることにする。ウォルが使ったティーカップやミルクピッチャーをトレイに載せていると、セピアが店の奥から出てきた。
「あ、二人ともおかえり。出かけている間に役場の人が来たよ。ケイトの住居についてだって」
「ほんと? どうだった?」
前のめりになりながら訊ねたのだが、セピアが申し訳なさそうな顔で口ごもる。
「うん、それがね……。女性が一人で住めるような物件は見つからなかったんだって」
「えっ……」
一瞬で目の前が真っ暗になった。
住む場所がなかったら、ホームレスになってしまう。異世界で野宿? いやいや、それはさすがに惨めすぎる。
「あら、じゃあホテル住まい? 女が泊まれる安宿を探すしかないかしら」
「でも、それじゃあお金がたまらないんじゃないの? 一時的にならいいけどさ」
「そうだよね……。どうしよう……」
働き口は見つかったのに住む場所がないなんて。もとの世界に帰りたい。せまいワンルームのアパートが恋しい。家の鍵は持っているのに帰れない、帰り道もわからない。
やっとホームシックが襲ってきて、目に涙がにじんできた。
「ケイト……。あのさ、僕の部屋でいっしょに」
「なら、ここに住めばいい」
肩を抱こうとしたセピアを遮って、アッシュが私の持っていたトレイを奪った。
「ちょっとアッシュ、何を言い出すの?」
クラレットが目を丸くしてアッシュの腕に触れようとするが、アッシュはそれをすいっと避けて言葉を続けた。
「この店の二階が住居になっている。俺たちの家は別にあるんだが、どうしても作業が終わらないときに泊まり込む用に使っている」
「そこを、使ってもいいんですか? アッシュさんが困るんじゃ」
「かまわないと言っている」
怒った声を出すアッシュに、セピアが疑うような視線を向ける。
「アッシュ、ケイトが来てからおかしくない? まさか狙ってるわけじゃないよね」
「誤解するな。俺はただ番犬のかわりにでもなると思っただけだ」
「ああ、そういうことか」
「まあ、空き巣は心配だったけど……」
合点がいったようにセピアが頷き、クラレットも表情を崩した。
番犬、という言葉にがっくり来たが、ようは泊まり込みの警備員みたいなものだろう。高価な布地やレース、製作途中のドレスもあるから空き巣を心配する気持ちもわかる。
「番犬のかわりでも何でもやります。家賃はどうしたらいいですか?」
「二階の掃除と、早朝の店の掃除。それでいいだろ、クラレット」
「え、それだけでいいんですか?」
驚いた声で聞き返し、クラレットとアッシュを交互に見つめる。住居費が無料だなんて、この上なくありがたい。
「どうせほとんど使っていない部屋だったし、家賃を取りたてるのもねえ。あなたに雑用をやってもらったほうが助かりそう。セピアのかわりにお茶を淹れるとか」
「もちろん。おいしい淹れ方を研究しておくね」
「ケイトって、家事は得意なの?」
セピアが、さりげなく腰に手を回しながら訊いてくる。
「大学時代から一人暮らしだったから、それなりには」
「へえ。今度むこうの料理作ってよ。食べてみたかったんだよね」
「うん、機会があれば」
密着してくるセピアを避け、奪ったトレイを持って店の奥に消えてしまったアッシュを追う。
「ありがとうござます、アッシュさん。助かります」
お礼を言うと、アッシュは一瞥しただけでぷいっと目を逸らしてしまった。
この人の冷たい態度にも慣れてきたかもしれない。優しいのに裏が読めないウォルよりも、冷たいけれど親切さを隠せていないアッシュのほうが可愛げがあるとさえ思ってしまう。
自分が器用なタイプではないからだろうか、相手にも不器用さが見えると安心する。そういえば、今まで付き合った彼氏もそうだった。
――何を、考えているんだろう。
一瞬頭の中によぎった可能性を必死で否定する。いくら好ましいと思ったって、一年でお別れしてしまう人たちだ。恋になることなんて、ない。絶対に。