(2)
* * *
「じゃあ、これを持って」
「うっ、重い」
生地やらレースやらビーズやらを買いこんだクラレットに、荷物を渡される。ずしんと腕が重くなって、ふだんの運動不足が身につまされた。
「なあに、貧弱ねえ。せっかく軽い荷物にしてあげたのに。ちょっと貸しなさい」
重みで沈んでいた腕が、ふっと軽くなる。私より大量の荷物を持っていたはずのクラレットなのに、ひょいと半分の量を奪っていってしまった。見た目が美女でもやっぱり男の人なんだとドキッとする。
「なによ、じろじろ見て」
「あっ、ううん。鍛えてるんだなと思って」
「当たり前でしょ。力仕事をするときもあるし、何より筋肉のないだるだるした身体なんて美意識が許さないもの。ケイトは……、一見細いけれどそれ全部脂肪でしょう。歳をとったあとにたるむから、今から鍛えておいたほうがいいわよ」
「うっ、善処します」
「じゃあ次はアクセサリーを見るわよ。宝石店に行きましょう」
いかめしい黒服が佇む宝石店の入り口に着くと、なぜか裏口に通された。正面の豪奢な扉と違って簡素な作りである。
「どうして正面から入らないの? 業者だから?」
「馬鹿ね。正面の入り口は貴族限定なの。私たちは爵位があると言っても労働者階級だし、実際にお金を出すのはお客さまだから、正面入り口を使うわけにはいかないのよ」
「そうなんだ……」
入るお店は同じなのに、めんどくさい決まりだ。世界史で習った身分制度をちらっと思い出す。貴族とか、階級とか、現代日本にはないものだが大変そうだ。この世界の人は生きづらくはないのだろうか。
お店の中はえんじ色のカーペットが敷かれており、確かに庶民には入りづらい雰囲気だった。きっとお値段も高価なのだろう。
「身分の差って、そんなに激しいの?」
ショーケースの中のネックレスを物色しているクラレットに、小声で尋ねる。
「昔は厳しかったけど、最近はそうでもないわよ。今の国王さまに変わってから、だいぶ改革されたのよ。第二王子が革新的な人でね、労働者階級でも孤児でも、気に入った女性なら気にせず側室にしてしまうから」
「すごい人なんだね」
「まあ、女好きっていう見方もあるけれど、英雄的な扱いをされることのほうが多いわね」
私がアッシュに連れていってもらったお城、あの堅牢な建物の中で王さまや王子さまが生活しているのか。王子さまと言うならアッシュだってそれっぽい雰囲気だが、この世界にいる間に本物の王子さまを一目は見てみたい。
「これにしようかしら。でもシンプルすぎてエリザベスさまには物足りないのよね」
クラレットが、しずく形の真珠がぐるりとついたネックレスと、おそろいのイヤリングの前で悩んでいる。首回り全体を覆うかたちでたくさんの真珠がついているけれど、他のアクセサリーに比べたら確かにおとなしい気がする。
「エリザベスさま用のアクセサリーなの?」
「そうよ。晩餐会用のドレスで、今回のテーマは『明るい湖畔』ですって」
「すてき……」
明るい水色のドレス、明るい湖畔。ドレスを着て水辺に佇むエリザベスさまが目に浮かぶようだ。確かにこれは、ルビーやサファイヤのアクセサリーじゃ駄目だ。真珠でなくては。
「ねえ、このアクセサリーをアレンジするのって駄目なの?」
「できないことはないけれど……。どうするつもり?」
「白い羽飾りをつけたらどうかなって。イヤリングも、羽ときらきらした宝石なんかをつけて、長さを出したらかわいいんじゃないかな。白い羽と真珠を合わせたら、白鳥と水のしずくのようになって素敵だと思ったんだけど」
湖といったら白鳥、のイメージだった。単純な発想だったけれど、悪くないアイディアだと思う。
「白い羽飾り……」
「あ、こっちでは、羽ってあまり使わない?」
「帽子に羽飾りをつけることはあるけれど、アクセサリーにはないわね。……でもそれ、面白そうね」
クラレットが乗ってくれたので、そのアクセサリーを第一候補にして、アレンジを加えることも提案することになった。
「ありがと。あなたのおかげでイメージがまとまったわ」
帰る道すがら、クラレットにお礼を言われた。口調はそっけなかったし、顔は拗ねたように前を向いていたが、少しは認めてくれたのだろうか。
「こちらこそありがとう。私、クラレットのことけっこう好きだよ」
嬉しくなって伝えると、クラレットがぎょっとした顔で振り返った。
「あなた……。そういうのやめたほうがいいわよ」
「え、他の人から見たら女同士なんだからいいじゃない。こっちの世界では駄目なの?」
「そうじゃなくて。……これはアッシュが苦労しそうだわ」
クラレットは、ため息をついて額を押さえている。なぜアッシュが苦労するのだろう。
「どういう意味?」
「こっちのことよ。あなたには淑女のマナーも教え込まないとね」
にやりと笑ったクラレットは、生徒をいたぶる女教師のような顔をしていた。
お店に戻るころには、街はオレンジ色の光に沈んでいた。石畳の道も、石造りの白い建物も、恋したように頬を染めている。お城のむこうに沈む夕陽は幻想的で、異世界に来た心細さも浄化されてしまいそうだ。
「きれい……。なんだか、旅行に来ているみたいな気分になっちゃう」
「一年なんだし、長期の旅行だと思っておけばいいじゃない。そのくらい軽く考えていたほうが楽よ」
「うん、本当にそうだね」
海外旅行なんてしたことがなかったし、ワーキングホリデーのつもりで一年間楽しもう。そのくらいの気持ちでいないと、ここではやっていけない気がする。
「ただいま戻りました――」
お店の扉を開けると、やたらきらきらしたオーラの男性が目に飛び込んできた。
「やあ、こんにちは」
金髪碧眼、白っぽいフロックコートという、まさに王子さまのような出で立ち。同じ美形でも、アッシュの彫刻めいた美貌とは違う華やかさがあった。エレガント、と形容したらいいのだろうか。
「あ、あら……ウォルさま。来ていらっしゃったんですね」
クラレットが、少し緊張したように笑顔を作る。
「贈り物のドレスのことを相談にね。クラレットがいなかったから、アッシュに聞いてもらっていたんだよ」
あまり表には出ないと言っていたアッシュが、ウォルの隣にぴったりくっついている。どうやら、布地の棚を物色していたようだ。セピアは裏で作業しているのだろう。
「ねえ、君。ちょっといいかい?」
手袋をはめた指に、ちょいちょいと手招きされる。
「わ、私ですか?」
「うん。君とは初対面だよね。名前は何ていうの?」
「ケイトです」
「ウォルさま。ケイトは異世界人で、今日からうちの従業員になりました」
ウォルの隣でかしずくように待機していたアッシュが、口を添える。
「へえ、そうなんだ。珍しいね。異世界人ははじめて見るよ」
さりげなく、全身を観察されている。少しもいやらしい感じはしないのだけれど、なぜだかぴりっとする緊張感があった。
「よろしくケイト。私のことは、ウォルとでも呼んでくれればいいよ」
そう言って、ウォルは私の手に口づけをした。
「――っ!?」
「おやおや、真っ赤になっちゃって、初々しいね。気に入ってしまったよ」
口づけされた手の甲からじわじわと熱が広がっていって、頭がパンクしそうだった。こんな王子さまみたいなことを実際にする人がいるなんて。