(4)
「……うーん、駄目ねえ」
セピアとお茶を飲んでいると、クラレットとエリザベスさまの会話が耳に入ってきた。
「いつもピンク系ばかりになってしまうから、今回は水色にしようと思ったんだけれど……。やっぱり、顔色が悪く見えるような気がするわ」
「そうですか? 私はお似合いだと思いましたけど……」
姿見の前で布見本を合わせていたエリザベスさまが、首を横に振った。
「やっぱり、いつものようにピンクにしようかしら。でもお父さまが、同じようなドレスばかり作って、って怒るかもしれないし……」
クラレットがいろいろ提案しているけれど、なかなか決まらないようだ。ふたりとも表情が少し曇ってきている。
ああ、違う。その色じゃなくて、別の色。目の前に似合う色があるのに、お客様もクラレットも気付いていない。
――もったいない。
気付いたときには、勝手に身体が動いていた。セピアの驚く声が聞こえた気がしたけれど、動き出した足は止められなかった。
「あのう、ちょっとすみません」
急にうしろから声をかけた私に、クラレットはぎょっとしていた。
「あんたちょっと。おとなしく待っててって言ったじゃ――」
「すみません。でもちょっとだけいいですか」
クラレットの横をすり抜け、きょとんとした顔で見つめてくるエリザベスさまに微笑む。瑞々しく、可愛らしい印象の人だ。そう、春の花を思わせるような。
「エリザベスさまは髪と目の色が明るい茶色ですし、肌もきれいなベージュです。少し黄みがかった明るい水色を合わせてみてください。例えば……これとか」
サイドテーブルに積んであった布見本を手に取って、エリザベスさまに合わせる。
ちょうど資格を取るために、パーソナルカラーの勉強をしていたところだった。まさかこんな形で役立つなんて思っていなかったけれど。
「……あら? なんだか顔色が良く見えるわ。青系の色は似合わないと思っていたのに」
エリザベスさまの表情が、ぱあっと明るくなる。
「色味を選べば大丈夫ですよ。くすんだ色より、明るくて澄んだ色を選んでみてください。このあたりもお似合いだと思います」
「あら、ほんと。さっきのと迷ってしまうわ」
布見本を合わせながらきゃっきゃとはしゃぐ私たちを、クラレットは信じられないような顔で見ている。
「あなた、新しい売り子さん? 気に入ったわ、次もまた見てくれないかしら。今度はデザインを決めるのよ」
「いえあの、私は……」
嬉しそうな顔で私の手を握るエリザベスさまを見ていたら、申し訳なくてなかなか本当のことが言えなかった。
有栖川さまと店長の言葉が、頭の中でリフレインする。
――うぬぼれるな。エリザベスさまはこの店が好きなだけだし、私はここの従業員ですらない。
「すみません、実は」
意を決してエリザベスさまと向き合った、そのとき……。
「エリザベスさま」
私の声を遮るように、アッシュの声が頭上から響いた。
「まあ、アッシュさん。お店のほうに顔を見せてくれるなんて珍しいのね」
「ご無沙汰しております」
胸に手を当てて恭しくお辞儀をするアッシュ。無表情なのも、人を寄せ付けないオーラもそのままだけど、商売人として礼を尽くしているのは分かる。
「アッシュ!」
ソファの位置から一部始終を静観していたセピアも駆け寄ってくる。それを確認したアッシュはクラレットに目線を送ったあと、私の肩をぐいっと引き寄せた。
「エリザベスさま、俺のほうからご紹介します。この娘は、今日からうちの従業員になったケイトです」
「え」
「嘘でしょ」
言葉を失った三人をよそに、エリザベスさまだけがにこにこしていた。
「まあ、そうだったの。これから仲良くしてちょうだいね」
「異世界人でまだ不慣れなところもありますが、いろいろ勉強させてやってください」
「それでそんな恰好をしていたのね。心細くて大変でしょう? 私で良かったらいつでも力になるわ、ケイトさん」
「あ、ありがとうございます……?」
事態がよくわからないまま、アッシュに促されて頭を下げた。
「ちょっとアッシュ! さっきのはどういうことよ! この子を雇うって、本気なの?」
エリザベスさまが上機嫌で帰った瞬間、クラレットがアッシュに掴みかかった。
「アッシュが女性に親切にするなんてありえない。商売以外では、常にブリザードみたいな冷気を出しているのに! ケイトは僕が口説いていたところなんだから、邪魔しないでよね」
セピアはセピアで問い詰めていたが、驚く箇所はそこなのだろうか。
「親切にしたわけじゃない。うちの店の利益を考えたまでだ」
「この子がなんの利益を生むって言うのよ!」
「さっきの光景を見ただろう。ケイトはクラレットには分からない微妙な色の違いまで見分けていた」
「それは……」
クラレットがぐっと言葉に詰まる。
「色の違い……?」
さっきクラレットは、水色の布をたくさん持ってきていた。ひとつひとつに番号が振ってあったのは分かったが、もしかして……。
「クラレットは色弱なんだ。同じような色味でわずかな違いだと、見分けることができない」
「ちょっと、色弱って言わないで! 私は普通よ。男のほうが女より色を感じる能力が低いから仕方ないのよ」
「え、男って」
クラレットは拗ねたような顔で腕を組んでいる。まさか。
「クラレットは俺の弟だ。スティルハート家の次男」
「えええ……!? どうみても美女としか……」
確かに声が少しハスキーだな、とは思ったけれど……。そういえば、立ち襟のドレスは喉仏を隠しているし、パフスリーブは肩幅、ふわりと広がったスカート部分は腰回りをカバーするようにデザインされている。
「信じられないみたいね。何なら証拠を見せましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です!」
クラレットが眉を吊り上げながらスカートを持ち上げたので、あわてて首を振った。
「僕は三男だよ。兄弟三人でこの店を経営しているんだ」
「両親がいなくなってからは、俺がオーナーということになっている」
アッシュの歳は分からないが、私より少し上くらいだと思う。まだ若いのに三人で経営しているなんて、大変なこともあっただろう。
「作るのも、三人でやってらっしゃるんですか……?」
「ああ。俺がデザインと、メインの縫製担当」
「僕は型紙と、サブのお針子だね」
「……私は売り子と、仕入れを担当しているわ」
ここにかかっているドレスはどれも繊細で、女心を絶妙にくすぐって、クラシカルなドレスによくある野暮ったさはまったく感じなかった。もとの世界の一流ブランドと比べても遜色ないと思う。
これを、アッシュがデザインしたなんて。
「女性の売り子がいたほうがいいとは思っていたんだ。いくらクラレットの女装姿が受け入れられているとは言っても、中身は男だ。採寸で下着姿になるのを恥ずかしがっていた令嬢もいただろう」
「それは、そうだけど……」
「僕は賛成だよ。ケイトの着ている服おもしろいし、今後のデザインの参考になりそう」
セピアはアッシュにまとわりついたあと、私に向かってこっそりウインクしてくれた。
「ケイト。君はどうなんだ。ここで働くことになってもいいのか?」
ブルーグレーの瞳が私を見つめる。問いかけてはいるけれど、その表情は落ち着き払っていて、アッシュにはすでに返事がわかっているように思えた。
どうしよう、胸がドキドキする。誰かに期待されることがこんなに嬉しいものだなんて、忘れていた。
「私――、ここで働きたいです!」
心臓の音をかき消すように上げた自分の声を、ふわふわした気持ちで聞く。
この店は、洋服が好きだという気持ちを思い出させてくれた。外観にも、ドレスにも、ひと目で心を奪われた。
好きなものに囲まれて働きたい。だったら、この店じゃないと駄目だと思えた。
「三対一だ。どうする、クラレット」
アッシュが腕を組みながら、クラレットをじっと見つめる。
「……もうっ、いいわよそれでっ!」
しばし睨みあったあと、クラレットが根負けしたように叫んだ。
「そのかわり教育係は私にまかせてちょうだいね。今のままの姿じゃ、とてもお店に立たせられないわ」
「ああ、わかった」
「美意識が変わるくらい改造してあげるから、覚悟しなさい」
「はい。みなさん、これからよろしくお願いします」
深々と頭を下げる。なんだか、入社式のことを思い出した。緊張よりも楽しみや希望のほうが勝っていたあの頃。
「とりあえず、当面のことを相談しましょ。お給料のこととか」
「そうだな。とりあえず座るか」
「ケイトもおいでよ。紅茶のおかわり淹れてあげる」
お店の奥に消えていったセピアと、ぶつぶつ言いながらソファに移動するクラレット、その後ろをついていくアッシュ。
ここで目が覚めてからずっと、アッシュにはお世話になってばかりだ。私がこの世界ではじめて出会った人。はじめて親切にしてくれた人。確かに冷たい言葉は投げかけられたが、アッシュがいなかったら今頃、路頭に迷っていたかもしれないのだ。
「――あの、アッシュさん」
こそっと、アッシュの袖を引く。
「今日は二回も助けてくださって、ありがとうございました」
笑顔でお礼を言うと、アッシュは一瞬硬直したあと、彫刻のような顔を憎々しげに歪ませた。
「俺に気安く触るな」
「え、だってさっきはそっちから」
言い返したところで、頭がぼうっとしてくる。セピアから漂ってきた甘い匂いを、アッシュからも一瞬だけ感じた気がしたのだが、気のせいだろうか。
「女から触るのとでは意味が違う。いいから早く離れろ」
離れろと言っておきながら、アッシュは自分からさっさと遠ざかってしまう。ものすごくスタイリッシュな早足だ。
何もしなくても助けてくれるのに、歩みよったと思うと突き放される。親切なのか、怖い人なのか。まだ判断がつかなかったけれど、この人をもっと知りたいと思っている自分がいた。
セピアが淹れてくれた紅茶のおかわりを飲みながら、今日一日のことを思い返す。
あれやこれやと相談している美形三兄弟を眺めていると、ああとんでもないところに来てしまった――と、今更ながらに実感がわいてきたのだった。