(5)
「お待たせしました」
アッシュとセピア、そしてウォルの待つホールに、ドレスを召し替えた五十人の女性たちが並ぶ。
その光景は圧巻だった。五十着一度の注文だからと言って決して手を抜かない、思い思いの趣向を凝らしたドレス。仕立て屋スティルハートの集大成がここにあった。
女性たちはみな一様に、穏やかな笑みを浮かべている。当然だ。こんなに素敵なドレスを着て、怒っていられる女性なんてこの世にいないと思う。
「上出来だ」
「みんな、綺麗だね」
アッシュとセピアが、満足そうに微笑む。
ウォルの目がすっと細くなり「ほぉ……」と感嘆の声を漏らしたのを私は聞き逃さなかった。
「思った以上だ。素直に賛辞を贈るよ。君の祖父に爵位を献上した、我が祖父の判断は間違っていないと思えるよ」
意外と素直に褒めてくれたので、ちょっと驚いた。
「……ありがとうございます」
アッシュの返答にも間があったので、きっと同じ気持ちだったのだろう。
「じゃあ、判定に移ろうか」
ウォルが声色を変えて、女性たちに問いかける。
「この中で、自分のドレスが気に入らなかった者がいたら手をあげて欲しい。私に気を遣わないで正直な判断をしてくれ」
音にならないざわめきが広がったが、しばらく経っても、手をあげる人は誰もいなかった。
私たちの間でも沈黙の時間が流れ、そして――。
「……よし!」
アッシュが聞いたことのないような声を出して、ガッツポーズをしている。
「やったあ!」
セピアはぴょんぴょん飛び上がり、クラレットは私の肩をつかんでゆさゆさと揺すった。
「ちょっとケイト、何ぼうっとしているのよ、私たちの勝ちなのよ!」
「……勝ち?」
「そうよ! 五十人全員が、私たちのドレスを気に入ってくれたのよ!」
クラレットの言葉の意味を理解した瞬間、ぶわあっと、涙が一気にあふれてきた。
「ほんとに? ほんとに私たちが勝ったの? 良かった、みんなのドレスが認められて、ほんとに良かったぁ……!」
「馬鹿ね。あなたは私たちじゃなくて、自分の心配だけしていれば良かったのよ」
ふわりと肩を抱いてくれたクラレットの言葉に、余計に涙が止まらなくなった。
ぱちぱちぱちと、拍手が聞こえて顔を上げる。どこかすっきりした顔で、ウォルが健闘を称えてくれていた。
「完敗だね。ケイトのことは潔く諦めるよ。君はどうするんだい? 勝ったほうがケイトを好きにできる約束だけど」
「はい。俺は、ケイトをもとの世界に帰してやりたいと思っています」
その答えに、胸がズキッと痛むのを感じた。勝手だな、私。自分でプロポーズを断っておいて、まだどこか期待しているなんて。
「ふうん。つまらない答えだね」
「すみません。でもその前に、伝えたいことがあります。――ケイト」
ウォルと対峙していたアッシュが私に向き直る。
「は、はい」
「舞踏会のあの日、君は『私のことが好きではないんだろう』と言ったな。責任感だけでプロポーズしたのだろうと」
「はい……」
うつむいた私を見て、アッシュはふう、と深呼吸をした。
「実は君に初めて会った日、祖母に似ていると思って声をかけたんだ。普段だったら面倒なことに首はつっこまないのに、どうしても放っておけなかった」
異世界かぶれだったという、おばあさまの話だ。セピアとクラレットだけでなく、アッシュも『似ている』と思ってくれていたんだ。
私たちが出会うそもそものきっかけは、おばあさまがいたからこそだったんだ。
「それからも君は、予想もつかないことばかり起こしてくれたな。店に新しい風が吹きこむのを感じたし、祖母が亡くなってから初めて、誰かといることが楽しいと思えた」
おかしいな、どうしてだろう。さっきとは違う種類の涙があふれてくる。それは、嬉しいときに出る涙だ。その理由は、これから告げられるアッシュの言葉が、気持ちが、わかってしまったから。
だってあなたの声も表情もこんなに一生懸命で、真っ赤になりながらも頑張って言葉を選んでくれていて、そんなのもう、理由はひとつしかない。
「つまりだ。俺はちゃんと、君のことが好きだ。だからプロポーズした。言葉にするのが苦手だから、まとめるのに時間がかかってしまったが……」
「アッシュさん……」
耳まで赤くなったアッシュの後ろで、ハイタッチしているクラレットとセピアが見える。
「君の気持ちはなんとなくわかっているつもりだが、聞かせて欲しい。俺のことが好きか?」
涙をぬぐって、アッシュに向き合う。きっと私も涙でぐちゃぐちゃなひどい顔をしているけれど、そんなこともう、どうでもいい。
「好きです。ずっとアッシュさんのことが好きでした。甘い匂いも体質も関係なく、あなたをずっと見続けていたから好きになったんです」
「そうか」
アッシュが優しい顔で、両手を大きく広げる。私はその広い胸に、思いきり飛び込んだ。
「やっと、言えた。もう離さない」
「私もです。ずっとこうしたかった」
ぎゅうっと、アッシュの腕の力が強くなる。私も、それに応えるようにアッシュの身体を抱き締める――。
「ちょっと待って」
ウォルがぱん、と手を叩いて、私たちはハッと我に返った。こんなに大勢の人が見ている前で、ラブロマンスを繰り広げてしまったなんて……。
大勢いた女性たちは、私たちを見ないように気を遣って、そそくさとホールを出て行こうとしている。うぅ、申し訳ない。
「せっかくいい雰囲気のところ悪いけれど、アッシュはさっき、ケイトをもとの世界に帰すつもりだと言ったよね」
ウォルの的確なツッコミに、私も「そういえばそうだった」と気付いてアッシュを見上げる。大事なことを忘れて舞い上がってしまったが、これからどうしたらいいのだろう。
もとの世界にも戻りたいけれど、アッシュとも一緒にいたい、なんて、そんなわがまま通じるわけが……。
「はい。もとの世界には帰しますが、ケイトと婚約もします」
「えっ!?」
私の気持ちをそのまま読み取ったようなアッシュの答えに、目を丸くしてしまった。
「嫌か?」
「い、嫌じゃないし嬉しいんですけど、どうするんですか? まさか一生異世界どうしで別居ですか?」
そんな超遠距離恋愛、絶対に無理だ。手紙も出せないし、電話だってつながらないんだから。
「そんなことは俺が耐えられない。考えていたことがあるんだ。……ウォルさま。ケイトを転移魔法でこちらから帰すことができるなら、俺を転移魔法でケイトの世界に送ることもできるんじゃないですか?」
「まあ、可能だよね。今までそんな人はいなかったけれど」
「アッシュさん、ま、まさか」
「俺がケイトの世界に行く。そこで結婚しよう」
ぽかんと、口を開けてしまう。
そんなこと今まで考え付かなかった。だってアッシュにはこの世界でのお店があるし、この国の人みんながアッシュを必要としている。そして誰より、クラレットとセピアが。
「ちょ、ちょっと待って。お店はどうするのよ!?」
「この一週間でわかった。もう、セピアとクラレットに任せても大丈夫だ。セピアは自分でもデザインが書けるのを黙っていただろう? 作業室の机の奥にデザイン画が隠してあることも知っている」
「ああ~、ばれてたか。アッシュのデザインをパターンにするのが好きだったから、今のままでいいと思ってたんだよね。でも、そういうことなら僕があとを引き継ぐよ」
「勝手に決めないでよ! 私、アッシュとケイト、ふたりと同時にお別れしないといけないのよ!?」
クラレットが、涙混じりの声で叫ぶ。
「僕だって嫌だよ。でも、大好きなふたりには幸せになって欲しいよ。できるならお別れなんてしたくないけど、仕方ないじゃん!」
セピアも、必死で泣くのを我慢しているみたいだ。
「アッシュさん……。やっぱり私が、この世界に残ったほうがいいんじゃ」
ふたりの姿を見ていたら、兄弟を離れ離れにさせることなんてできない気がしてきた。
「大丈夫だ、なんとかする。ウォルさま、転移魔法ができるなら、召喚魔法もできるはずですよね?」
「まあ、原理的には不可能じゃないよね。現に向こうの世界からこちらの世界には来れているわけだし」
ウォルが、あっさりとうなずく。
「だそうだ。お前たちがどうしても会いたくなったら、呼び出してくれればいい」
「そんな簡単に……っ! どれだけお金がかかると思ってるのよぉっ!」
クラレットがアッシュの胸をどんどん叩く。アッシュはその腕をつかんで、頭を下げた。
「すまない。これ以外にいい方法が思いつかなかったんだ」
「まったく、あなたって人はいつも唐突なんだから! ……しょうがないわね。お店のことは私たちに任せて。腕のいいお針子も雇わなくちゃね」
「アッシュたちをじゃんじゃん呼び出せるくらい、たくさん稼ぐからね。僕の時代が来たって、国中の人に言わせてやるんだから」
「期待してる」
みんなで涙をふいて、笑い合った。
「ケイト。君の祖母のお店は、俺たちふたりで作ろう」
「はい」
まさか異世界の人といっしょに約束を果たすことになるなんて、天国のおばあちゃんもびっくりするに違いない。
「ウォルさま。最後にひとつだけ聞きたいことがあります」
「何だい?」
愉快そうな顔で私たちを見守っていたウォルに、アッシュが問いかける。
「あなたは、こうなることがわかっていてこの勝負を持ちかけたんじゃないですか? あなたほどの人が、この結末を予想できなかったとは思えない」
ウォルは懐かしい顔でふっと笑った。そう、『仕立て屋スティルハート』でアッシュに難題を投げかけるときに、そっくりの。
「さあ? たとえそうだとしても、君には教えてあげないよ」




