(1)
あのあと。先に帰ってしまった私を心配して、クラレットとセピアが部屋にやってきた。
「ごめんなさい、私おしゃべりが楽しくなっちゃって、あなたたちふたりのことにまったく気付かなくて……!」
クラレットは、私の泣き腫らした目を見て何かを察し、抱き締めてくれた。
「もう……! 本当に、何があったのよ!」
「僕もごめん! 珍しく男子グループの輪に入れたから嬉しくって、羽目を外しちゃって……。気を付けて見ているつもりだったのに」
セピアにも、泣きそうな顔で謝られた。
「アッシュの具合が悪くなって、ケイトが帰ったって聞いてびっくりしたよ。……何があったの?」
「クラレット……。セピアくん……」
「ここまで来て話さない、っていうのはナシよ。ちゃんと全部話してちょうだい」
クラレットに母のような優しい声で促されて、私は一部始終を打ち明けることにした。
三兄弟の体質の話になったときは、
「ああ~、聞いちゃったんだ」
と、ふたりともが気まずい顔をしていた。
「アッシュは自分の力は抑えていたけどさ、僕は女の子といちゃいちゃするときに雰囲気を良くするために使ったりしてたんだよね。なんか、こう改めて聞くと自分が本当にダメな男に思えるよ」
「私は恋愛には使わなかったわよ。でも、接客をスムーズにするために、お客さまに対して使ったことはあったわね。特にお店に出るようになった最初のころは、中身は男性ってことで信用してもらえない部分があったし」
ふたりとも根が真面目なのか、そこまで犯罪じみた使い方はしていないようで安心した。
「そのくらいの使い方なら、もう時効だよ。ふたりは使いたいときに自分で使えたんだね」
クラレットもセピアも、アッシュと違って器用なタイプだし、恋愛にも積極的だからコントロールもしやすかったのだろう。
「うん……。ごめん僕、ケイトに使ったこともあるんだ。最初に出会ったときとか……」
「あたしも。男装したときにちょっと……。出来心だったのよ」
「あのときの甘い匂い、やっぱり気のせいじゃなかったんだね!?」
本当にごめん、とふたりに平謝りされる。あのあといやらしい夢を見たりして大変だったのに。
あのときの誘惑するようなふたりの態度を思い出し、ため息をつく。
「もういいよ、実際の被害はなかったんだし……」
「ごめんなさい。もうだれかに対して使ったりしないわ」
「僕もそうするよ」
プロポーズと、アッシュへの恋心を自覚した話をして、私の一夜の物語は幕を閉じた。
「まあ、あなたがアッシュを好きなことは気付いていたけどね」
と、クラレットがあっさり言う。
「僕も気付いていたよ。気付いていなかったのはアッシュくらいじゃないの?」
とセピアも。
「そんなに私、バレバレだった?」
「けっこうね。だから新年のお祭りでふたりきりにしたり、今回もペアになるように画策していたのにさ」
セピアは私のことが好きだったはずなのに、なぜそんなことを?と思ったのだが、さすがにずうずうしすぎて自分からは言えない。もしかして、もうすでに昔のことになっているのだろうか。
そんな私の姿を見て、セピアはにやっと笑った。
「だって、ケイトとアッシュが恋人同士になってくれれば、ケイトは帰らずにいてくれるでしょう? 時間があるなら僕のほうが有利だよね。アッシュより僕のほうが気が利くし、女性を喜ばせるのは上手いんだから。ケイトがアッシュに愛想を尽かせたときがチャンスだと思ってさ」
まるで、いたずらを計画するような口調だった。
「あなたはほんとに、魔性の男ねえ……」
「クラレットに言われたくないよ」
「私から見たらふたりとも魔性だよ」
ため息をつきながらそう言うと、ふたりともに「心外だ」という顔をされた。
「それで、ケイトはどうするの? アッシュのことが好きだって自覚できたなら、プロポーズを受けてもいいんじゃない? 付き合ってから好きにさせるのだって手段のうちよ」
クラレットが、肉食系女子の目つきでそんなことを言い始める。確かに、結婚してから恋愛するのが普通だった時代もあるけれど。でも……。
「いや、僕はさ、アッシュもケイトのことが好きだと思うんだけどなあ……」
う~ん、とセピアが首をかしげる。
「それは、ないよ。本当に責任感だけで言ってるんだと思う……」
「だとしても、利用しちゃっていいじゃない。この世界のことだって、嫌いじゃないんでしょ?」
「好きだよ。この国も、この国の人も、みんな好き。でも、でもね、私はもとの世界でなにもやり遂げてない……。仕事も、夢も、中途半端なまま残してきちゃった。そんな気持ちのまま、ここにずっといられないよ」
「じゃあ、このまま黙って帰るつもり?」
「……うん」
うなずくと、クラレットの表情が変わった。なんだか、怒ってるみたいだ。
「そう。それなら私は、もう何も言わない」
がたっと音を立てて椅子から立ち上がり、こちらを振り返らずに部屋から出て行ってしまった。
「クラレット!」
セピアの呼び止める声と、扉を閉めるばたん、という音が同時に響く。
残された私たちの間に、重たい沈黙が降り積もった。
「ケイト、気を悪くしないでね。クラレットもさ、ケイトにこのまま残って欲しいんだよ。がっかりしてあんな態度を取っちゃったんじゃないかな」
よいしょ、と椅子に座り直して、セピアが無理に作ったような笑みを浮かべる。
「セピアくん……」
「もちろん僕だってそう思ってるよ。でもさ、故郷に帰りたいって言ってる人を、無理には引きとめられないよね……」
クラレットも、セピアも、こんなに嬉しいことを言ってくれる。私だってみんなと離れたくない。でも、どちらかを選択しなければいけないなら、今まで育った世界や、おばあちゃんとの思い出を捨てるなんてできない。
「ごめん。仕事は最後まで、一生懸命やるから」
「わかった。それまでに、いっぱいいい思い出を作ろうね」
「うん」
気を取り直したようにセピアが笑ってくれたので、ほっとした。
でも、季節はもう、お別れの日までのカウントダウンを始めていたんだ――。
* * *
舞踏会の夜から数か月が過ぎ、夏になった。
汗ばむくらいの陽気で、ドレスも半袖に変わってきている。ロンググローブかショールで日焼けを予防してさらに日傘、というのが貴婦人の基本スタイルみたいだ。日焼け止めがない世界だからどうしても厳重装備になってしまう。
今日の私のドレスは、パフスリーブの立ち襟ブラウスに、花柄のビスチェドレスを重ねたようなデザインのもの。花柄と言っても水彩画のような淡い模様だし、落ち着いた色味なので着やすくて気に入っている。
私がこの世界に来たのが秋のはじまりだったから、この夏がここで過ごす最後の季節になる。
アッシュとは、表向きは今まで通りに接しながら、でも心の内のぎくしゃくしたものは解消されないままここまで来てしまった。
このまま何事もなくあと数か月も過ぎていく、と思っていたのだけど……。
「ケイト。役場の人が来たわよ」
どんなに暑くても汗一つかかないクラレットが、棚整理をしていた私を呼びに来た。こっちは少し動いただけで顔に玉の汗が浮かぶというのに、どういう汗腺の構造をしているんだろう。女優さんは演技中は汗をかかない、と聞いたことがあるが、まさかクラレットもその原理なのだろうか。
「えっ、私に? 何の用だろう」
「転送魔法について打ち合わせしたいって言ってるけど……」
扉近くで待っている役人さんに近寄る。この丸眼鏡と撫でつけた髪を見るのも、初めてこの世界に来た日以来だ。なんだかなつかしい。
「ケイトさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです。暑い中わざわざすみません。知らせてくだされば役場まで出向いたんですけど」
「いえいえ、これも仕事ですから」
ハンカチで汗をぬぐう仕草も、貼りつけた笑顔も、現代日本の公務員と変わらないなあと思った。「お疲れさまです」と心の中でひっそりとねぎらっておく。
「入口でお待たせしてしまって……。ソファにどうぞ。いま、つめたい紅茶を淹れますから」
そう言って店の奥に促したのだが、役人さんは首を振った。
「いえいえ。実はケイトさんに来てほしいところがありまして。転送魔法の場所などをね、直接見て打ち合わせしたいのですよ。だいぶ大がかりになりますからねえ」
「はあ……。そうなんですか」
クラレットに出掛けてもいいか尋ねると、
「この暑さでお客さまの来店も少ないし、いいわよ、行ってきて。ああ、帰りにつめたい飲み物を買ってきてちょうだいね」
と言われた。
「いやあ、本当に暑いですねえ。ケイトさんの世界でも、夏はこのくらい暑いのですか?」
役人さんと並んで歩道を歩く。もとの世界よりも澄んでいるような気がする、夏の陽射しをひしひしと感じていた。
「気温的には同じくらいでしょうか。でも、私の住んでいた国は湿度が高かったので、夏はだいぶ蒸し暑かったですね。この世界のほうが、空気がからっとしているぶん過ごしやすいです」
ビル熱もないし、コンクリートの照り返しもないし、お店にこもっているより外にいたほうが涼しいくらいだ。
「あの、どこに向かっているんですか? 馬車には乗らないんですか?」
辻馬車が通りがかったのに役人さんが拾おうとしないので訊いてみたのだが。
「ああ、とりあえず役場に行ってからと思いまして。経費削減のため、徒歩でのご協力をお願いします」
と有無を言わさないビジネススマイルでお願いされた。歩くんだったら日傘を持って来れば良かったと後悔する。
「わかりました……」
なるべく日陰になるところを選んで歩いていたら、いつの間にかお城の門についていた。王宮舞踏会に行ったときは馬車でお城の扉まで運んでもらったので、歩いて門を通るのも久しぶりだ。
馬車がすれ違えるくらいの頑丈な跳ね橋を渡り、門番の兵士に頭を下げる。そのまま役場に行くのかと思ったのだが、役人さんの足は違う方角に向いていた。
「あの、役場ってこっちですよね。場所が変わったんですか?」
声をかけたのに役人さんはずんずん歩いていってしまう。何かおかしい、と思って走って追いつくと、役人さんは歩きながらトイレを我慢しているような顔をしていた。
「あの、どうかしたんですか?」
まさか本当にトイレに向かっているのか?と思ったのだが、緊張でこわばった表情で振り向かれた。
「ケイトさん。だましてしまってすみません。実は今日お連れしたかったのは役場ではないんです」
「え? どういうことですか」
「とりあえず私に着いて来てもらえませんか。ケイトさんに帰られてしまったら、減給されるかもしれないんです。実は先日、二番目の子どもが生まれたばっかりで……」
今度は泣きそうな顔になっている。忙しい人だなあ。
「は、はあ。別に帰ったりしませんよ。役場じゃないならどこに行くんですか? お城の敷地内に何かほかの建物が?」
「いえ。ここにはお城と役場しかありません。今日はケイトさんを、お城の中まで連れてくるよう、第二王子に仰せつかっているんです」
「――えっ!?」
なぜ王子が、とか、どうしてこんなまどろっこしい方法を、とか、訊きたいことはたくさんあったのだが。
どこに潜んでいたのかわからない黒服たちに取り囲まれて、あれよあれよという間にお城の中まで連れて行かれてしまった。




