(5)
「仕立て屋スティルハートさまから、セピア・スティルハートさま、クラレット・スティルハートさま」
黒服の声がホールに響き渡り、腕を組んだセピアとクラレットが広い階段を降りて行く。
いよいよ次に呼ばれる、と思うとくらりと眩暈がした。
「大丈夫か?」
腕を組んでいたアッシュが、私がふらついたのに気付いて支えてくれる。
「すみません。あまりのきらびやかさに、ちょっと眩暈が……」
気が付くともう、舞踏会の幕は上がり、私たちは舞台裏にいる状況である。
馬車でお城についたあとは、従者に案内されて場内をぐるぐる歩き、気付いたらホールの二階に来ていた。大階段とつながった、ちょっとしたスペースには待合室のようにソファセットがいくつか置いてある。
正直、緊張しすぎて道順も覚えてない。こちらから姿は見えないが、ホールに王族たちが入ってくる声がしたときは、心臓が壊れるかと思った。
まわりにいる貴族たちは慣れているのか、平然とおしゃべりを楽しんでいる。こういう社交界では独身の男女が来るものなのか、若くて華やかな女性が多かった。貴族の中では一番親しいエリザベスさまは、婚約後だからなのか来ていない。
顔見知りのお客さまがちらほらいたりはしたが、呼ばれる順番が私たちより早いのでゆっくり挨拶している時間もない。
あのクラレットでさえ口数が少なくなっていたし、アッシュはもともとあまりしゃべらないし、セピアだけが「大丈夫だよケイト! リラックスリラックス」と励ましてくれたがあまり効果はなかった。
「エリザベスさまの晩餐会に比べると、なんだか若い人が多いですね」
緊張をほぐすためにアッシュに話しかけてみたのだが、
「第二王子の生誕祭を兼ねているからな。側室を吟味するために若い令嬢や、評判の美人が多く呼ばれると聞いたことがある。本当かどうかはわからないが」
「……うわあ」
と、生々しい話を聞かされた。カウントダウンイベントで遠くから見た第二王子。その仮面の中の素顔がたいそうな変態に思える。
「次のおふたり、前へお進みください」
開かれた緞帳のそばで名簿を読み上げていた黒服が、私たちを促す。
「行くぞ」
アッシュの腕に自分の腕を絡めて、ぎくしゃくした動きで階段の踊り場に立つ。急に目の前が開けて、眼下にきらびやかなホールが見えて意識が飛びそうになった。呼ばれていった貴族たちの、倍以上の人数がいる。みんな王族なのだろうか。
「仕立て屋スティルハートさまから、アッシュ・スティルハートさま、サクライ・ケイトさま」
黒服の声にあわせてゆっくりお辞儀をする。そのまま、アッシュに合わせて階段を下りていく。
こんなに緊張する数メートルは、結婚式のバージンロードくらいなのではないか。経験したことはないけれども。
「ケイト。もっと俺に体重をかけていい。裾が長いから下りるときに危ない」
「は、はい」
アッシュががっちりと私を支えてくれるので、思ったよりスムーズに下りられた。なにより、歩幅にしてもリズムにしても、私に合わせてくれているのが嬉しかった。
――ちゃんとエスコート、できるんだな。貴族なんだから当たり前なんだけど。
私を置いてすたすたと歩いてしまうアッシュを今まで見ているから、今日はだいぶ無理しているんじゃないかと思うのだが、本人は涼しい顔だ。仕事とプライベートで人格が変わるスイッチでもついているのだろうか。
転ぶのが怖くて足元しか見ていないが、ホールにいる人の視線が私――の着ているドレスとアッシュに集まっているのがわかる。
上品な、でも興奮と興味を隠しきれていないひそひそ話も。
最後の一段を下りて顔を上げたとき、そこには映画で見た舞踏会そのままの景色が広がっていた。
ぜんぶダイヤモンドでてできているんじゃないかと思うくらいの、きらきら輝くいくつものシャンデリア。髪を結いあげた貴婦人たちと、豪華絢爛なドレス。羽のついた扇。
高い高い天井を見上げると、天使たちが遊んでいた。一瞬本物かと思ったけれど、精巧に描かれた天井画だった。床は、光沢感のある石で複雑なモザイク模様が描かれている。
想像していた『お城のダンスホール』をいざ目の当たりにすると、その迫力に鳥肌が立ってしまった。だって、映画のセットでも美術館でもない。生きている本物の王族たちが、王子さまがこの場所にいるんだ。
クラレットとセピアはすでに、たくさんの貴婦人に囲まれていた。裾をつまんだり、回転したりしながら、ドレスの説明をしているのがわかる。さっきは緊張していたみたいだけれど、今はふだんのクラレットに戻って生き生きしている。というか、商売モードと言うべきか。
私たちの周りにも、そろそろと取り巻くように人が近寄ってきている。
「外国人かしら」
「異世界人って聞いたわよ」
「言葉は通じるのかしら」
という会話を聞く限り、周りの人も戸惑っているようだ。
そのままそっとしておいてください、と言いたいが口に出せるわけもない。
「あなた、話しかけてみなさいよ」
と言われた貴婦人が、私の前に進み出た、そのとき。
カツーン、カツーンと靴の踵を鳴らし、一人の男性が私たちのほうに向かってきた。
「あ……」
まわりの人たちが、あわてて私たちから離れ、道をあける。
「すまないね。彼女に最初に挨拶するのは、私の役目にさせてくれるかな」
宝石のついた王冠と金色の裏地のマント、白くてきらびやかな正装、目から鼻まで覆う奇妙なマスクをつけたその人は、以前遠目で見た第二王子その人だった。
王子が目の前に来たとき、アッシュは膝を折って頭を下げたので、私もそれに倣う。ドレスの裾を持ち上げてアッシュと同じ体勢になる。
こんなポーズ、騎士やお姫さまになったみたいで照れくさいけれど、王族へ謁見するときの正式なスタイルらしい。
「殿下。このたびは舞踏会への招待、まことにありがとうございます」
アッシュが、恭しく首を垂れたまま挨拶を口にする。
「君たちの功績を考えたら当然のことだよ。今まで招待してなかったのがおかしい。ここにいる王族のほとんどのドレスは、君が作ったものだろう?」
王子の声が上から聞こえてきたが、意外とフランクだった。もっと、「くるしゅうない、近う寄れ」とか言われる雰囲気だと思っていた。
「ありがとうございます。もったいないお言葉です。」
「頭の硬い年寄りの中には『貴族の端くれとはいえ、仕立て屋を招待するなんて』と反対する者もいたんだけどね。私の生誕祭だから、わがままをきいてもらったんだ。楽しんでもらえたら嬉しい。――そして、ケイト?」
「は、はい。殿下、ご機嫌麗しゅう」
急に名前を呼ばれたので、声が裏返ってしまう。
おそろしい人じゃないとわかっていても『王族』というだけでびびってしまうのは庶民の性なのか。以前クラレットに聞いたとおり、身分を気にしない革新的な性格のようなのに。
「そんなかしこまらなくていいよ。君に会えるのを楽しみにしていたんだ。一曲踊ってくれないか?」
「えっ」
王子の言葉に驚いて、立ち上がりそうになってしまう。最初のダンスは自分のパートナーと踊って、だんだんペアを交換していくのが決まり……じゃなかったの?
どうしたらいいかわからずにアッシュを見ると、目線で「行け」と言われた。
おそらく、今日この場では第二王子がルールそのものなんだろう。
「はい、ぜひ。喜んで」
「良かった。じゃあ、行こうか」
王子の差し出した手を取ると、待っていたかのように室内楽の演奏が流れ始めた。これはもうオーケストラなんじゃないか、という規模の楽団が端っこで演奏している。指揮者はこちらをちらちらと伺って王子の動向を気にしていた。
「素晴らしいよ。君の、今日のドレス」
ホールの中心まで進み出ると、王子が向き合ってステップを踏み始める。リードが上手いので、ぎこちなくもなんとかついていけている。まわりの人たちも踊り始め、徐々にダンスの輪が広がっていった。
「ありがとうございます。異世界での私の故郷の……民族衣装を模したドレスなんです」
「そうか、君の祖国の……。大胆さと繊細さ、騎士道精神と淑女の心が同居しているような布地だね」
武士も、大和撫子も知らない王子がそう言うのでびっくりしてしまった。
「見たことのない色遣いと柄なのに、不思議と心惹かれるよ。きっと君の店に注文が殺到するだろうね」
「そうなると、ありがたいです」
王子が私の手をつかんで上にあげたので、くるっと一回転する。音楽に合うととても気持ちいい。
「そうそう。上手だよ」
女好きの変態だと思っていたのに、王子とのダンスも会話も、意外にも楽しかった。物腰は柔らかいし、声は優しいし、そしてよく知っている誰かに似ている――気がする。
「君は、もとの世界に帰りたくてお金を貯めているんだって?」
「は、はい。一年くらい働けば、帰れるそうなので」
「そうらしいね。でも――」
王子が言葉を切って私を見つめる。わずかにしか見えない目元に、射抜かれるような気持ちになってしまうのはどうしてなのだろう。露わになった口元は、穏やかな笑みを浮かべているというのに。
「この国の歴史では、君と同じように世界を飛び越えてしまった異世界人が何人か存在する。その中でどれくらいの人がもとの世界に戻ったと思う?」
王子からの急な質問に、戸惑ってしまった。
「え……。ほとんどの人が、戻ったんじゃないですか?」
「いや。実はね、もとの世界に戻ろうとした人のほうが、ほとんどいないんだよ」
「え――」
そういえば、最初に役場に行ったとき、他の異世界人はどうしたのか訊かなかった。だって、帰るのが普通のことだと思っていたから、訊く必要がなかったんだ。
なのにどうしたことだろう、事実は私の予想とまるで違っていた。
「どうして、って顔をしているね。無理もない」
他の人たちはパートナーを交換し始めたのに、王子は私から目を離さない。
「最初はね、みんなケイトと同じように『お金を貯めて戻る』って言っていたんだよ。でもね、一年経つ頃には多くの人が『やっぱりやめる』と言い出すんだ。どうしてだかわかる?」
「う~ん。働いたお金を別のことに使いたくなった、とかですか?」
「半分正解で半分外れかな。答えはね、一年の間に、こっちの世界で大切なものを見つけてしまうからなんだ。やりがいのある仕事だったり、かけがえのない友だったり、愛する人だったり。貯めたお金は結婚式や、新居に使うって人もいたな。そういう意味ではケイトの答えは当たりだね」
何も答えられないまま、ただ漫然とステップを踏むだけの私を、王子がぐいっと引き寄せた。
今までも密着して踊っていたけれど、これではほとんど抱きしめられているようなものだ。近すぎて仮面の中が覗けてしまいそうで、顔が上げられない。
「君にもできたんじゃないの? こっちの世界で、大切なもの」
「仕事も、友達も……できました。私にとって大切なものです、でも……」
仕立て屋スティルハートでの仕事と、もとの世界でのショップの仕事。
三兄弟の顔と家族の顔、おばあちゃんとの思い出が頭の中をぐるぐるまわる。
「君を引きとめるには足りないのかな。じゃあ、愛する人ができたらどうだろう。この世界で大切な人ができたら、君はここにいたいと思うのかな」
「どう……なんでしょう。わからないです……」
「愛する人のために故郷を捨てることを、罪だと思っている?」
王子の言葉が、矢のように心臓を突き刺した。
私が恐れていることを、考えないようにしていることを、そのまま形にして目の前で見せられたみたいだった。
「そんなこと、ないです。そんな決断ができた人は、幸せなんだろうなって思います。今までの人生を丸ごと捨ててもいいくらいの人に出会えたんだから」
「そうだよね。私もそう思うよ」
王子がすっと身体を離したので、また仮面と向き合うことになってしまう。表情が動くはずがないのに、一緒に私を笑っているように見える白い仮面。
「そんなにまで君を帰りたい、と思わせるものは、なに?」
ずっと同じ場所をループしていた曲が、やっとクライマックスに向かっている。
「祖母です。亡くなった祖母の店を、復活させたいんです……。今までそのために、頑張ってきたんだから」
王子の手が離れる。弦楽器の余韻が消え、やっと曲が移り変わったとき。触れるか触れないかの距離にいる彼が、仮面の奥で満足そうに笑ったような気がした。
「今日は会えて良かったよ、ケイト。遠くないうちに、また会えるかもね」
最後に不思議な言葉を残して、王子はホールのどこかに消えてしまった。魔法みたいに。




