(3)
突き刺すようなつめたい空気も、徐々になごんできた春のはじまり。仕立て屋スティルハートに一通の招待状が届いた。
「これって、王室の紋章じゃないの!」
アッシュが差し出した白い封筒を目にすると、クラレットが血相を変えて叫んだ。
「ああ。今朝郵便受けに入っていた」
「王室への献上品は今まで、従者が直接お店に来て注文していったわよね。正式な書状が届くなんて初めてだけど、何かあったのかしら」
「ま、まさか契約を切られるんじゃ」
落ち着かない様子のクラレットとセピアをよそに、アッシュはいつも通りだった。封筒をテーブルの上に置いたあとは、興味を失ったように紅茶を飲んでいる。
「アッシュはなんでそんなに冷静なのよ。心配じゃないの?」
「そうだよ。僕、怖くてこの封筒を開けたくないよ」
セピアは封筒をこわごわ覗き込んでいる。いくら怖くても、封筒はかみつかないと思うんだけど……。
「だいたい想像はつくからな。この形式の封筒は王室への招待状だ。そしてこの時期にそれが届くとしたら、理由はひとつしかない」
カップを置いて顔をあげたアッシュと目が合い、少しだけ体温があがる。
アッシュに対するおかしな変化はそのままだったが、数か月経てば、それを隠して普通にしていられる技術は身についた。最初のころは無駄に避けてしまっていたが、アッシュのことだからたぶん気付いていないだろう。
「この時期って……。まさか」
考え込んでいたクラレットが、はっと気付いたように顔をあげた。
「ああ。第二王子の誕生日だ。それに伴う王宮舞踏会が、もうすぐあるはずだ」
アッシュの答えを聞いたセピアが、ばっと封筒を取って封を開ける。真剣な顔で中に入っていた手紙を読んでいたが、みるみるうちに目が丸くなっていった。
「ほんとだ! 王宮舞踏会への招待状って書いてある!」
クラレットも、セピアから手紙を取り上げて読み始めた。
「今までこんなの届いたことがないのに、いきなりどうしたのかしら。仕立て屋が舞踏会に参加するなんて、前代未聞よ」
「急にどうしたんだろう。しかも『従業員全員でお越しください』って書き方、なんか変じゃない?」
「そうだな。おそらく……」
アッシュが紅茶を置いて私をじっと見つめたので、セピアとクラレットの視線も集中した。
「え、な、なんですか」
「ちょっと待って。まさか“全員”って、そういうことじゃないわよね?」
「俺の予想だとおそらく、そのまさかだ」
クラレットが「ああっ」と言って、ふらりとソファに倒れ込んだ。
「それで今年に限って招待状が……。面倒なことになりそう」
「断るわけにはいかないし、出向くしかないだろうな」
「あのう、どういうことですか? 私も関係あるんですか?」
自分たちだけはわかっているようなふたりの会話に割り込むと、気の毒そうな顔でため息をつかれた。
「ケイト、あなたも出席するのよ。どうやら第二王子は、異世界人に興味があるみたいね」
「私もお城の舞踏会に行くの!? 無理無理、エリザベスさまの晩餐会ですらいっぱいいっぱいだったの見てるでしょ!? もし失敗しちゃったら……」
あのときは『こんな華やかなパーティー初めて!』と浮かれていられたが、王宮舞踏会なんてレベルが違う。考えただけで場違い感が半端ではない。
「仕方ないでしょ、断るほうがもっと怖いんだから。お店をつぶすのなんて訳のない人たちなのよ?」
ぐっ、と言葉に詰まる。私が断ったせいでお店がつぶれてしまったら、それこそ責任が取れない。
「俺たちもフォローする。負担なのはわかるが、出席してくれないか」
めったにないアッシュの頼みごとだ。こんな懇願するような顔をされたら、黙って首を縦に振るしかできない。
「わかりました……。失礼にならないように頑張ってみます……」
戦国時代じゃないんだから、失礼があったからといって打ち首にされるということもあるまい。異世界に来てからというもの、「死にはしないから大丈夫」という考えになってきている気がしておそろしい。
「大丈夫よ。うんと贅沢なドレスを仕立てましょ」
「ダンスの練習だったら、僕が付き合うよ」
クラレットとセピアがなぐさめてくれたが、不安は拭えない。
憎々しげな顔で、クラレットがぼそっとつぶやく。
「あの方、ついにこんな強引な手に出たのね」
それが男バージョンのときの低い声だったので、私はそれがどういう意味なのか、クラレットにたずねることができなかった。
* * *
「ケイト。王族が圧倒されるようなドレスを作るわよ。あなたもアイディアを出してちょうだい」
とクラレットが言い出したのは数日後のこと。
「ど、どうしたのいきなり」
「招待状の返信を、お城から来た従者に渡したのよ。そうしたら、『くれぐれも殿下に恥をかかせないお召し物で来てくださいね。ああ、仕立て屋さんにはいらない心配でしたね』って鼻で笑われたのよ! キィーッ、悔しい! あんな、支給品の制服すらまともに着こなせてない男に何がわかるっていうのよ!」
鼻息を荒くしながらハンカチをかみしめている人を、リアルで初めて見た。
私がその場にいたら言い返してしまいそうだし、クラレットがこんなに怒るのも無理もない。
「こっちの身分を見て明らかに馬鹿にしているわ! 私たちがこの国の流行を牽引している立場だってこと、王族たちにもわからせてやりましょ!」
「でも、どうやって? うちのお店が王室にも献上してるってことは、みんなうちのドレスを着ているってことになって、差が出せないんじゃない?」
「普通だったらそうよ。でも私たちにはケイト、あなたがいるじゃない」
自信満々に私を指し示すクラレットの指を、寄り目で見つめる。
「私?」
「そうよ。異世界のエッセンスを入れた今までにないドレスにすれば、やつらの度肝を抜けるんじゃないかしら。いい宣伝にもなるし」
ついに『やつら』呼ばわりである。クラレットは完全に王族たちを敵とみなしてしまったようだ。
「アッシュとセピアにも話してあるわ。ふたりとも乗り気だから、今日お店を閉めたあとにミーティングをしましょう」
あんまりドレスを派手にして目立ってしまったら困るなあと思ったのだが、そんな私の考えは見越しているのか、クラレットが追撃する。
「夕飯はセピアがレストランでテイクアウトしてくれるみたいよ。ローストビーフ大盛りと、あとなんだったかしら」
食べもので釣れば私は動く、と思われているのがちょっと悔しい。その通りなんだけど。
「わかった……。協力するよ」
そう告げると、クラレットは勝ち誇ったように微笑んだのだった。
お店を閉めるころには、テーブルに並べた料理からおいしそうな匂いが漂ってきていた。
手軽につまめる、小さいサイズのサンドイッチ。山盛りのローストビーフに、マッシュポテトを添えたもの。春野菜と豆のシチュー。ハーブがたくさん入った、鶏肉とじゃがいものトマト煮込み。クリームたっぷりのチョコレートケーキ。
スープは緑・白・赤・黄色の四種類。たぶん枝豆のスープ、ビシソワーズ、ミネストローネ、コーンスープ。ぐるぐるっと渦を巻くように垂らしてあるクリームがまた、食欲をそそる。
「おいしそう……」
つばをごくんと飲みこんでからそうつぶやくと。
「ケイトも一緒に食べるって話したら、ローズがメニューを選んでくれたんだ。ケイトのこと気に入ってるみたいだね」
と、セピアくんが嬉しそうに教えてくれた。
「そうなんだ」
そっけなく返したけど、顔がにやけてしまいそうだ。そこまで親しくなれたなんて、なんだか嬉しい。学生のころ、クラスではじめて仲良しの友達ができたときみたいだ。
「あら、ずいぶんと豪華ね。スープもたくさんあるみたいだし、紅茶は食後のほうが良かったかしら」
ティーセットを運んできたクラレットが、テーブルいっぱいに載った料理を見て考え込む。
「ううん、喉がかわいていたから嬉しい。ありがとう」
「そう? じゃあお料理の隙間に並べちゃいましょうか」
取り皿やカトラリーをあれこれ準備していると、アッシュもやって来た。
「待たせたな。――すごい量だな。食べ切れるのか?」
テーブルの上を見て、呆れた声を出す。
「大丈夫でしょ。四人分ならこのくらいないと、っておかみさんにも言われたし」
「あ、もし余ったら明日の朝ごはんにしてもいい?」
「いいわよ。あらかじめ取り分けておいたら? このサンドイッチなんてちょうどいいんじゃないかしら」
四人そろっても、食べ始めながらあれこれ話していると、なかなか本題に進まない。
「ねえ、そろそろ本題に移ってもいいかしら」
前菜とスープが空になったころを見計らって、クラレットが姿勢を正す。
「今までにないドレスの案なんだけど、私は、異世界にしかないものを取り入れたらいいと思ったの。デザインもそうだけど、生地とか模様とかも違っていそうじゃない」
「そうだな。ケイトの世界ではドレスはどうだったんだ?」
「ドレスっていうと、もっと丈が短くて袖のない、シンプルなものが多かったですね。結婚式に招待されたときくらいしか、庶民に着る機会はありませんでしたけど。あとは、正装って意味合いだと着物もそうなのかなぁ……」
成人式に着た振袖を思い出しながら言うと、三人の声が揃った。
「キモノ?」
「民族衣装みたいなもので、こう、まっすぐな柄の生地を身体に巻き付けて帯で締めるの。柄がすごく華やかで綺麗なんだよ」
「どんなの? ちょっと描いてみてよ」
セピアがスケッチブックと色鉛筆を差し出してくる。絵はそんなに得意ではないのだが、思い出せる限りのパターンをいろいろ描いてみた。
「こんな感じで、赤地に桜の柄があるやつとか……。鶴の柄が大きく入ったものとか……。あとは蝶々とか。ちなみに、着物のデザインはこんな感じ。袖と襟元が特徴的でしょ」
「ふむふむ……。サクラはお花で、ツルは鳥かしら。大きな柄がびっしり入っていて、デザインというより生地が重要な感じなのね」
「そうそう。形はみんな一緒だから、柄で個性を出す感じ」
「柄で、か……」
アッシュが眉を寄せながらスケッチブックをじっと見る。
「それはいいかもしれない。奇抜なデザインにするよりも、スタンダードなドレスの形でインパクトのある柄にしたほうが、受け入れられやすいだろう」
「そうね。たとえばスカート部分の一部だけキモノ柄にしたら素敵じゃない?」
「着物ドレスみたいな感じかな? もとの世界でも最近流行り始めたんだ。襟元とか袖のデザインを残すタイプもあるよ」
「なにそれ、素敵じゃない!」
興奮したクラレットが大きく広がる袖は取り入れたい、だの、舞踏会なら胸元の大きく開いたデザインじゃないといけない、だのと主張し、アッシュはスケッチブックに色鉛筆を走らせている。
アッシュがデザイン画を描くところを初めてみたが、すごい速さだ。クラレットの話を聞きながら、一枚、もう一枚と次々にスケッチを完成させている。
ちらりと横目で覗き込んでみたが、着物の柄が、和風テイストを残したまま薔薇や白鳥の柄に変わっていて、とても驚いた。私の描いたつたないスケッチで、ここまで特徴を把握できたなんて。
「素敵……。アレンジしてあるのに、ちゃんと着物の柄だってわかりますね。色遣いも本当の着物みたい」
「そうか、そう言ってもらえて安心した。ケイトのおかげでまったく新しいドレスに挑戦できそうだ。俺もわくわくしているよ」
アッシュがスケッチの手をとめて応えてくれる。いつもより饒舌なのは、わくわくしているからなのか。
「アッシュの筆の運びがいつもよりさらに速いもんね。インスピレーション刺激されたんでしょ?」
「これは期待できそうね。私とケイト、二着ぶんお願いね。できればあなたたちふたりの正装も、ペアっぽくしたいんだけど」
「胸に刺すチーフの柄をキモノ柄にしたり、いろいろ工夫はできそうだな。やってみる」
そのあと、私たちはおいしい料理に集中したのだが、アッシュはサンドイッチを片手でつまみながらも、スケッチブックから目を離さなかった。