(2)
今年の営業が始まってしばらくしたころ、意外なお客さまがやって来た。
「ねえ、ケイト。さっきからお店の外をうろうろしている女性がいるんだけど……。声をかけたほうがいいのかしら?」
窓の外を見ていたクラレットが、首を傾げながら私にたずねた。
「入ろうかどうか迷っているお客さまなんじゃないの?」
「それが、見た感じ貴族じゃないみたいなのよ」
どれどれ、と言いながら私も窓のそばに近寄る。
険しい顔でお店の前を何度も往復しているその子は、ほんのひと月前に至近距離で見たことのある顔だった。
「あ、あの子……」
「あなたの知り合い?」
「知り合いというか……。セピアくんの行きつけのレストランのウエイトレスさん」
これは私が声をかけたほうがいいのだろうか、と迷っていたら、女の子は意を決したように扉まで歩いてきた。
あわてて、クラレットとお客さまを迎える位置につく。スタンバイすると同時に、扉がスローモーションのようにゆっくりと開いた。
「あの……。こんにちは」
ためらいが滲んだようなドアベルの音と共に、こわばった顔つきの女の子が入ってくる。令嬢の歌うような「こんにちは」とは違う、硬くて低い声。
今日はウエイトレス服ではなく、木綿のシンプルなドレスの上に厚手のジャケットを着ていた。これはこれで素朴でかわいいと思うのに、ぱっと見て貴族ではないと判断されてしまうのはさびしいところ。
「いらっしゃいませ。はじめてのお客さまですよね? お名前を伺ってもよろしいですか?」
さすがと言うべきか、クラレットの対応はいつもと変わらない。その華やかな外見に圧倒されたように、女の子が身を引く。
「あ、えっと、ローズっていいます。それであの、できればそっちの人に接客してもらいたいんだけど」
「えっ」
急なご指名に、少し離れて見守っていた私は面食らってしまった。ローズは横目でちらちらと私を見てくる。
あのときの敵意まじりの眼差しではなく、助けを懇願している子どもみたいだった。
「えーと、私でいいの?」
「そう言ってるじゃん」
苛々した口調で告げるローズを見て、クラレットは気を回してくれたようだ。
「では、お客さまの接客はケイトに引き継いでもらいますね。私はお茶を淹れて参りますので、ごゆっくり」
と言ってキッチンに下がろうとする。
「えっ、ちょっと待って」
ふたりきりにされても困るから引き留めたのだが、「いいからいいから」という顔で目配せされてしまう。オネエの気遣いがこんなときばかりはうらめしい。
クラレットが行ってしまうと、やっとほっとしたようにローズは長い息を吐いた。
「貴族の店ってみんなこんな感じなの? すごく落ち着かないんだけど」
ごく普通の、友達に対するようなトーンで話しかけられたので困惑する。この子のことはもう恨んでないと言っても、どういう態度でいれば正解なのかがわからない。
「えっと、いらっしゃい。今日はドレスを作りに来たの?」
結局無難に、「知り合いがお店に来たときのショップ店員」のモードで攻めてみた。
「いや、あのさ。その前に謝りたいんだ、あたし。あんたに」
意外な展開とストレートな言葉に、面食らってしまった。不機嫌そうな表情と声は、照れ隠しなのだと今気付いた。
なんだやっぱり、悪い子ではないじゃないか。
「なかなか謝りに来れなくて、何回かお店の前まで来たりしたんだけど、いつもそのまま帰っちゃってて……」
ここ最近、お店のまわりで感じた視線はこの子だったのか。
「あのときは、いろいろごめん。あとから風邪を引いたってセピアくんに訊いて、反省してたんだ」
ひと息でそう言って、緊張したように私を見る。
「もういいよ。終わったことだし、気にしてないから」
「本気でそう言ってる? 気にしてないなんて、心広すぎない?」
喜んでくれると思いきや、いぶかしげな顔で見つめられた。
心が広くなったというか、いきなり異世界に飛ばされたことを考えたら、あれくらいは大したことじゃない。と、思う。
「ごめん、そんなあっさり許してくれると思ってなかったから、面食らっちゃった」
「ううん。私でもそう思うだろうし」
「あんた、異世界人だったよね。異世界の人ってみんなそうなの?」
「そういうわけじゃなくて、こっちに来てから信じられないようなことばっかり起こるから、受け入れていかないと生きていけなくなっただけ」
「苦労してるんだね……」
ローズは、眉を下げて憐みのこもった眼差しを送ってきた。意外と情にもろいタイプなのかもしれない。
「まあ、とにかく、許してくれてありがとう。……じゃああたし、もう帰ろうかな」
「えっ、ドレスを作りに来てくれたんじゃないの?」
まだお茶すら飲んでいないのに、まさか謝るためだけにお店に来てくれたのかと驚いた。だとしたら、居心地が悪そうにしていたのも納得だけど。
「だって、ここって貴族が来る高い店なんでしょ? ドレスに興味はあるけど、私じゃ払えないと思うし」
店の内装をぐるっと見回しながら、ローズは残念そうに肩をすくめた。
そうなのだ。私は自分が庶民の立場だから、貴族以外のお客さまにも来て欲しいと思っているのだが、クオリティを重視するとどうしても高価になってしまう。
アッシュは手を抜けるタイプの職人ではないし、お客さまが誰であってもクオリティは下げられないと思うから。
「使ってる生地とかがいいものだから、どうしても値段が張っちゃうんだよね。でも、フルオーダーじゃなくて、持っているドレスのリメイクだったら安くできるんじゃないかな」
「そうなんだ。それなら頼んでみようかな。あたし、この外見だから遊んでるみたいに見えるみたいで、悩んでるんだよね……。セピアくんのときもそうだったし。いいドレスを着たら、ちょっとはお上品に見るのかなって思ったんだ」
ローズの着ている服は上半身がぴったりしていて、大きな胸を強調している。腰からふわっと広がるデザインなので、おしりも実際より大きく見えていそうだ。
生成りのエプロンドレスっぽい素朴なデザインも、ローズのようなタイプが着ると『田舎のセクシーなお嬢さん』になってしまう気がする。
「ねえ、その髪は巻いてるの?」
「そんなめんどくさいことしないよ。地毛なんだ。化粧だって濃くないのに、きつく見られるんだよね」
くるくるとした金髪の巻き毛も、きつめだけど幼げな顔立ちも、コケティッシュに見えてしまう要因だろう。それが彼女の良さだとは思うけれど、自分を変えたいという気持ちもよくわかる。
「じゃあさ、ちょっといいかな」
ローズを姿見の前に誘導して、座ってもらう。「な、なにするつもり?」とあたふたしていたが、私がブラシで巻き毛を梳き始めるとおとなしくなった。
「なにこれ。髪がつやつやしてるんだけど」
「オイルをつけてブラッシングすると艶がでるし、巻き毛も落ち着くと思うから自分でもやってみて。あとは……」
そのままアップにするとショーガールのようになってしまうので、編みこむことにする。頭のてっぺんからぐるっと編み込み、残った髪はみつあみにしてピンでとめる。
「どうかな。ちょっとすっきりさせてみたんだけど」
鏡に映ったローズの顔は、驚きと喜びで紅潮していた。
落ち着いた夫人ふうのまとめ髪だけど、ローズがやると適度に品が加えられてちょうどいい。
「なんか、清楚なお嬢さんに見えない……?」
「うん。気が強いけれど聡明な令嬢って感じかな」
「それ、褒めてるんだよね?」
「もちろん」
くすぐったさと照れが混ざった顔で、ローズが微笑む。
「じゃ、あとはドレスだね。あのさ、ローズは自分でドレスお直しできる?」
「そりゃあできるよ。サイズを直したり、つくろったり。それができないと庶民はやっていけないって」
うんざりした口調のローズの言葉を聞きながら、「思ったとおり」と思って頷く。
「それなら、うちに頼むまでもなくリメイクできると思うよ。まず、今のままだとセクシーすぎるから、上半身はもっとゆとりをもたせて。袖は、肩はふくらませずに手首のところをふんわりさせてね。そうすると手首がきゃしゃに見えるでしょ」
「な、なるほど」
「パニエも控えめなものにして、腰からすっと自然に落ちる感じにしてみて。あと、新しくドレスを作るときは濃い色のほうがいいかも」
「濃い色だと派手になりすぎちゃうんじゃないの?」
鏡の中のローズが、不安そうな顔を見せる。
「その人に似合う色を着ていたほうが違和感が少ないんだよ。ローズの場合は落ち葉みたいな深みのある色かな。深緑とか、マスタードイエローとか、オレンジがかった赤とか。全面に使うとうるさくなっちゃう場合は、白や黒の布地と一緒に使うようにしてみて」
「そうなんだ……。今まできつく見えると思って淡い色ばっか着てたよ」
「私も昔は、似合わないのにモノトーンばっかり着てたりしたよ。自分では合う色って意外と気付けないものだよね。好みとかキャラが先行しちゃって客観的に見れないの」
「ふうん……。どこの世界でも女の悩みって似たようなものなんだね」
「そうだよ。ファッションだけじゃなくて、恋愛や仕事に対してもそう。私を見ていればわかるでしょ?」
そう言いながら微笑みかけると、ローズはやっとぎこちなく笑ってくれた。この子の笑顔を見たのは初めてかもしれない。
「なんか……ありがとね。客でもないのにここまで親切にしてもらっちゃって」
「ううん。私も庶民だから、同じ立場の女の子と知り合えて嬉しいんだ。この世界に来てからは、お客さまとしか知り合えなかったから」
エリザベスさまをはじめとして、親しくしてくれるお客さまはたくさんいる。でもやっぱり、『気のおけないお友達』として接するには、店員と貴族、という立場が邪魔をする。
ローズは、お客さまでもないし貴族でもない。私と同じ、普通の女の子だ。だからなのか、こうして話していても気負わずにいられることに、さっきから気付いていた。
「あとはやっぱり職業病かなあ。原石の女の子をかわいくするのってすごく楽しいんだよね」
そう言うと、「原石か……」とローズがぽつりとつぶやいた。
「あたしさ、もう少し自信がついたら、セピアくんにもう一回告白してみるよ。教えてもらったみたいにすれば、あたしも磨かれてマシになれるのかなって思えたから」
「応援してるよ。今のセピアくんとローズなら、お似合いだと思う」
「そ、そうかな」
頬を赤く染めて、拗ねたような顔でうつむくローズを可愛いと思った。
「そういえば、ローズはどうしてセピアくんを好きになったの? 道でいきなり声をかけたって言ってたけど」
目の前にいる、気が強いけど一途な女の子を見ていると、逆ナンのイメージがわかない。レストランで水をかけられたときに『道で声をかけたことには事情がある』と言っていたが、どういう理由なのだろう。
「最初は匂いだったかな」
「匂い?」
「うん。甘くていい匂いがして、どこからだろうって周りをきょろきょろしたらセピアくんがいたんだ。見た目が優しそうで王子さまみたいで、匂いに誘われるようにふらふら~っと近寄ってた。頭がぼうっとしてて、ほとんど無意識だったんだよね」
甘い匂いに誘われた蝶。いつか夢で見たシチュエーションに似ている。
頭がぼうっとする感覚も、この世界に来てから何度も味わったものじゃなかったっけ。
――そう、あの三兄弟のそばにいるときに。
「ふだんはそんな大胆なことしないんだけど、気付いたら話しかけてて。身なりが良くて上品で、私とは住む世界が違うような人なのに、嫌な顔ひとつしないで返事してくれたんだ。中身も優しいんだなって思って、もうその瞬間には恋してた」
好きな人の話をするときの女の子は、すごく素敵な表情になるのはどうしてだろう。夢見るような瞳も、甘さと切なさがにじんだ声色も、見ているだけで私の胸もきゅんと痛む。
「セピアくんに夜会わないか誘われたときに、向こうは遊びだと思ってるって気付けば良かったんだよね。あたし馬鹿だから、喜んで誘いに乗っちゃって」
“夜に会う”“誘い”というのは、きっとそういうことなのだろう。
少し口に出すのがためらわれたが、気になったことをローズに訊いてみることにした。
「あのさ……、甘い匂いをかいだ日って、変な夢を見たりしなかった?」
「変な夢って?」
「その……、セピアくんとキスしたりとか、いちゃついたりとか、そういうような夢」
さすがに壁ドンや床ドンのことは言えなかった。私の言葉を聞いたローズは首をひねる。
「どうだったかな……。見たような気もするけど、どこまでが現実でどこからが夢なのか覚えてないや。ずっと夢見心地みたいな感じだったし」
「そっか……」
「ずいぶん変なこと訊くんだね。そういう夢、見たことあるの?」
ローズの瞳が追及にぎらりと光った瞬間、クラレットがティーセットを持ってきた。
「お茶、お待たせしました。ゆっくりお話はできたかしら?」
天の助けならぬ、オネエの助け。「クラレット、ナイスタイミング!」と抱きつきたいような気分だった。
「あぁ~……。あたし、そろそろおいとましようかと」
「あら、お茶も飲んでいってくださらないの? 三人分淹れたのだけど」
「じゃ、じゃあ、一杯だけ」
ローズは居心地が悪そうに、ぎこちない動作でお茶を飲んでいた。クラレットはあれこれ話しかけていたけれど、相槌を打つので精いっぱい、と言った様子。
宣言通り紅茶一杯でローズは帰っていったのだが、見送るときにこそっと、
「あの人、貴族っぽい上に妙な迫力があるから緊張しちゃったよ。すごい美人だし」
と言われた。
すごい美人、の部分だけクラレットに教えてあげたら喜びそうだ。
そのあと、何回かレストランにひとりで通って、ローズと無事に『庶民の女友達』になれたのは、また別の話。




