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「私とセピアは歳が離れているでしょう。アッシュがお店を継げる年齢になったとき、まだ子どもだったセピアを置いて両親は家を出てしまったの」
クラレットの言葉に、私はカップを口に運ぶ手を止めて驚いてしまった。
「えっ、クラレットたちのご両親って、生きてるの!?」
アッシュに三兄弟でお店を経営していると聞いたとき、てっきりご両親は亡くなっているのだと思っていた。
「まあ、そう思うわよね……。今この国にいないだけで、ちゃんと生きてるわよ。世界各国の衣服や装飾品を研究してくると言って、世界一周旅行に行ってしまったのよね」
「世界一周!? すごいね」
「すごくないわよ。お店を離れてふたりきりでいちゃつく時間が欲しかっただけなのよ、あの人たちは」
クラレットの口調は、身内の恥部を話すときのようだった。急にお店を任されて置いていかれたのだから、不満もいろいろあるのだろう。
私は三兄弟の経営する今のお店が好きだけど、両親への気持ちはそんな簡単に割り切れないということはわかる。
「連絡とかはあるの?」
「数年に一回は帰ってくるわよ。一応、海外のめずらしい生地なんかを大量に仕入れてきてくれるし、助かってはいるんだけどね」
だいぶ自由なご両親なんだな。堅いアッシュを見ていると意外だが、個性豊かな三兄弟のご両親だと思うとそれも納得できるような気がする。
「それまでは仕事がすごく忙しくて、やっとアッシュが手伝えるようになって余裕が持てるかなって思ったときにその仕打ちよ。小さい頃から両親に甘えられず、やっとかまってもらえるようになるかなと思っていたセピアは絶望したでしょうね」
「そうだったんだ……」
今のセピアを見ていると、そんな時代があったことが信じられない。家族の愛情をめいっぱい受けて育ったような、優しさと明るさがある子なのに。
「でも今の話を聞いていると、両親に甘えられなかったのはクラレットとアッシュさんも同じだったんじゃないの? ふたりは大丈夫だったの?」
「私たちには、祖母がいたから」
以前、アッシュに聞いたことがある。祖母がお茶が好きだったから自然と淹れるのがうまくなったということ。
「祖母は私たちをすごくかわいがってくれてね。忙しい両親にかわって私たちを育ててくれたわ。アッシュと私は小さい頃、すごくおばあちゃん子だったのよ」
「そうなんだ。私もおばあちゃん子だったよ」
思わず、自分のおばあちゃんを思い出してしまった。私が異世界に来てしまったのが、大人になってからで良かったかもしれない。おばあちゃんが生きているころだったら、きっと心配のしすぎで心臓が止まっていたと思うから。
「そうなの。お揃いね」
クラレットはやっと、ふっと微笑んでくれたが、すぐに悩ましい顔に戻ってしまった。
「でもね、まだセピアが物心つかない頃に、祖母は亡くなってしまったの。祖父が亡くなってからずっと気落ちしていたし、早くおじいちゃんのところに行きたかったんでしょうね。でも私たちが心配だったから、私とアッシュがしっかりするまでは頑張ってくれたんだと思う。感謝しているわ」
しんみりした空気が、私たちの間に流れた。
「素敵なおばあさまだったんだね……。どんな人だったの? お茶が好きだったっていうのはアッシュさんから聞いたことがあるけれど」
「異世界が大好きで、異世界について書かれた本を集めていたわね。異世界人が着ているような服を真似して作らせて、いつも珍妙な格好をしていたわ。センスはあるから、そんな恰好をしていてもみんな受け入れていたけれど。なんというか、“変わっている”を通り越して個性的すぎる人だったわね」
クラレットが思い出すように言うと、私を見て懐かしむような顔をした。
「どことなく似ているのよね、ケイトに」
「私に?」
「珍妙な格好もそうだけど、気の強いところとか、まっすぐで融通がきかないところとか。全体的な雰囲気っていうのかしらね……」
みんなが慕っていたおばあさまに似ているなんて光栄なことなのだが、ちょっと複雑な気持ちになった。それってつまり私が変わってるってことなのでは。
しかし、そこまで考えてはっと気付いたことがあった。
「……もしかして、セピアくんが私を好きな理由って」
「祖母の面影を追い求めているからだと思うわ。私やアッシュが語って聞かせてあげた祖母の武勇伝に、セピアは理想の女性像を当てはめていたんでしょうね」
ああ、やっぱりと思う。セピアが『年上が好き』と言っていたことや、食事に誘われたときに『優しいお姉さんに甘やかしてほしい』と言っていたこと。『優しくなくてもケイトがいい』という台詞にも、すべて説明がつく。
「あの子がいろんな女性と遊ぶのは、愛情が欲しかったからだと思うわ。いちばん欲しいものは祖母と両親からの愛情だったのに、それに気付かないから短いお付き合いばかり繰り返すことになっていたのよ。駄目な子ね」
口調は叱っているのに、その表情はセピアへの愛情にあふれていた。セピアのことがちょっぴりうらやましくなる。私はひとりっ子だから、クラレットみたいな姉が欲しかった。
「セピアくんは私とおばあさまを重ねて、私の愛情を得たいと思っているの……?」
「そうだと思うわ」
「でもさ、それって……」
なんとなく言いづらくて、言葉に詰まってしまう。クラレットが口の端を片方だけ持ち上げて、私を促した。
「それって、本当に恋なのかな? 家族愛の代替行為なんじゃないの?」
「ああ……。そういう心配なのね」
もう少し苦い顔をされるかなと思ったのだが、クラレットはあっさりとうなずいた。
「男なんて大なり小なり、そういうところがあるわよ。自分の母親に似ている女性を選ぶってよくあるじゃない。セピアはそれが祖母だっただけ。ケイトのことは、本気で好きだと思うわよ」
現代日本でも『男はみんなマザコンだ』なんて極端な言葉があったっけ。クラレットの言葉に、納得せざるを得ない自分がいた。受け入れがたい男性の性質ではあるが、さすがオネエは男性心理にも詳しい。
「じゃあセピアくんは、おばあさまに似てるから私のことが好き、って言うのが恥ずかしかったってこと?」
「そういうことだと思うわよ」
はあ~、と大きく息を吐いて、私はベッドにもぐりこんだ。
「寝る……。なんだか身体が熱くなってきたし」
枕に頭をうずめると、クラレットがあわてて水差しを持ってきた。上半身だけ起こされ、紙に包まれた粉薬のようなものを渡される。
「横になる前に薬だけ飲んじゃってちょうだい。あと、お昼と夕方も一応様子を見に来るから、おとなしく寝ていなさいね」
異世界の薬、と思うと身体に合うのか少し不安だったが、一気に口の中に入れて水で流し込んだ。
「うっ、苦い……」
「大人なんだから、子どもみたいな反応するんじゃないの」
「だって、もとの世界ではここまで苦くなかったし、錠剤が多かったんだもの……」
クラレットは、再び横になった私のおでこの上におしぼりを置いてくれた。ひんやりして気持ちいい。
「熱があるときにする話じゃなかったわね、ごめん。今は何も考えずに治すことだけ考えて」
使った食器をキッチンで洗うと、バスケットにもとどおり詰めてクラレットは一階に降りて行ってしまった。
火照った身体で熱い息を吐きながら、まぶたを閉じる。
クラレットが去ったあとの部屋はしーんとしていて、いつも一人でいるのが当たり前なのに、なぜだか少しさびしかった。




