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仕立て屋王子と魔法のクローゼット  作者: 栗栖ひよ子
第四話 新年のはじまりとセピア色の記憶
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(4)

「セピアくん、お待たせ」


 先に今日の作業を終えたセピアが、店内のソファで待ってくれていた。近くにある暖炉の火がぱちぱちと爆ぜている。

 私が声をかけると、セピアは本に落としていた目線を上げて微笑んでくれた。


「ケイト。お疲れさま」

「ごめんね、最後のお客さまの接客が長引いちゃって」

「全然大丈夫だよ。夕食をとるのにちょうどいい時間だし。じゃ、行こっか」


 セピアは立ち上がると、私の腕を組むように絡めた。


「ちょ、ちょっとそれは」


 身じろぎして離れようとすると、セピアがぎゅっと私の腕を押さえつけた。


「なんで? 男がエスコートするのは当然でしょ?」


 セピアがきょとんとした顔で見つめてくる。

 この世界では、これが普通なのかもしれない。だったらここはセピアに任せておいたほうがいいのかも。


「そっか……わかった」


 私が頷いて身を任せると、セピアは満足そうな顔で微笑んでくれた。


 連れ添って外に出ると、すでに日はとっぷりと暮れていた。石畳の上にオレンジ色の街灯が頼りなげな灯りを落としている。

 そういえば、この世界に来てから夜に出歩くのは初めてだった。電気がないからもとの世界より暗いし、セピアがいなかったら心細くてひとりでは歩けなかっただろう。


「アッシュさんは、私を置いてすたすた歩いていっちゃったから、そういう文化を知らなかったよ」


 歩きながらそう話すと、セピアは白い息をふぅっと吐きだした。


「アッシュは特殊だから。普通はレディにエスコートなしで夜道を歩かせたりしないよ」

「あのときは昼間だったけど……」

「僕だったら昼間だとしても、ケイトのことはしっかりエスコートしていたと思うよ」

「そっか。ありがとう」


 外套越しに組んだ腕から伝わってくる、セピアの体温が心地いい。上質な生地が触れ合う感触も。

 背の高い石造りの建物の背景に浮かぶ、紺色のヴェールとたくさんの瞬く星。ちいさな、木枠の窓からこぼれるランプの光。


「この世界の夜って、こんなに綺麗だったんだね」

「もとの世界は、そうじゃないの?」

「うん。建物の光はもっと明るくて、星なんて見えなかった。道路には乗り物が走っていて、こんなに静かじゃなかったし」


 私の住んでいた地方都市の夜を思い出す。煌々と明るいショッピングモールで遅くまで働いて、電車に揺られてアパートまで戻る。疲れて、電気をつけたまま寝てしまうことも多かったし、夜を楽しむ余裕なんて良かった。


「もとの世界に戻ったら、こんな景色も見られなくなるんだね」


 ひとりごとのようにぽつりとつぶやくと……。


「だったら、ずっとこっちにいればいいじゃん」


 セピアが、いつもとは違う真剣な声で告げた。


「え」


 私より少しだけ背の高いセピアの横顔を見つめると、緊張した面差しをしていた。


「セピアくん?」

「僕、本気でそう思ってるから。ケイトがこっちにずっといてくれるなら、僕が守ってあげるよ」

「それって」


 私に合わせて歩いてくれていた足を止めて、セピアが私に向き合う。


「ずっと僕たちのお店にいて欲しい。僕の恋人になってよ、ケイト」

「え……」


 びっくりして、セピアを見つめ返す。唇をぎゅっと結んでいるセピアは、いつものふわふわした彼ではなかった。

 セピアの緊張が伝わって、心臓がドキドキする。少し怯えたように、でもしっかりと私の目を見て返事を待つ彼に、どう言葉を返していいのかわからなかった。


「セピアくん、私――」


 ためらいながら口を開いたとき、私たちの背後でガランガランとベルを鳴らしながら扉が開いた。


「お客さん! 入らないのかい!? ……あれ、セピアさんじゃないかい。今日も来てくれたのかい?」


 恰幅のいい女性が声をかけてくる。いつの間にか目的のレストランまで着いていたらしい。


「ああ、はい……。どうも、おかみさん……」

「しかも今日は女性まで連れて。これは、いい席に案内しないとねえ。ささ、入っておくれ」


 なんだか気まずい空気のまま、おかみさんについて店内に入る。インテリアのかわりに置かれた樽や、厚みのある木のテーブル、使いこまれたエプロンでぱたぱたと働く従業員たちが、豪快だけどもアットホームな雰囲気を感じさせる。

 労働者ふうの男性たちが談笑しながらお酒を酌み交わしているので、庶民的な、地元民に愛されるお店なのだろう。


「お店の前でする話じゃなかったね、ごめん」


 窓際の一等広い席についたセピアが、自嘲するような声でつぶやいた。


「ううん、私こそ……。驚いちゃってごめん」

「返事はゆっくりでいいからさ。とりあえず今日は食事を楽しもうよ」


 泣きそうにも見えた顔をぱっと明るくして笑うセピアに対して、私だけ神妙な気持ちを引きずることはできなかった。


「……うん、わかった。今日はいっぱい食べちゃうから、覚悟してね」

「もちろん。そのつもりで連れてきたんだから」


 オーダーを取りにきたおかみさんに、シェフおすすめだという子羊のグリル、牛肉のステーキ、温野菜のオリジナルソースサラダ、グリーンピースのポタージュ、前菜の盛り合わせ、ワインなどを注文した。


「調子に乗って頼みすぎちゃった。こんなに食べ切れるかな」

「ここは何を食べてもおいしいし、ふたりだから大丈夫だよ」


 最初にワインと前菜、サラダが運ばれてきたので、ふたりで乾杯する。


「う~ん。フルーティーでおいしい。これってけっこういいワインなんじゃないの?」


 ワインの銘柄はセピアがメニューを見ずに頼んでいたので、詳しいことはわからない。


「まあね。でもこのくらい奮発させてよ。やっとケイトを食事に誘えたんだし」


 照れくさそうなセピアの言葉に、思いがけず胸がきゅんと震えた。

 こんなに男性に大事にしてもらったのは、いつぶりだろう。そういえば告白をされたのだって、ものすごく久しぶりのことだった。元彼のときは、なんとなくの流れで付き合ってしまったから。

 あんな真剣に告白してもらったの、私の人生で初めてだ。しかもこんな美形の、年下の男の子に。

 そう改めて思うと、顔がかーっと火照ってきたのがわかった。


「あれ、ケイト、顔が赤いけど。もう酔っちゃった?」

「う、うん。お酒を飲むの久しぶりだったから」


 手でぱたぱた顔をあおぐ私を、セピアが心配そうな顔で見ている。


「え、そうなの? お水かノンアルコールの飲み物、頼む?」

「ううん、大丈夫」


 こんな状況、素面だったらとても心臓がもたない。早いところ本当に酔っぱらってしまったほうがいいだろう。


「そう……? でもちょうど店員さんが料理運んできてくれたし、ついでに……ッ!?」


 通路のほうを見ていたセピアの顔が、みるみるうちに血の気をなくしていく。

 何事だ?と思って横を向いた瞬間、どん、どん!と音を立てて、テーブルの上に注文したお肉が乱暴に置かれる。

 見上げると、若い女の店員が、私をすさまじい形相でにらんでいた。


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