(2)
「やあ、こんにちは」
この日は女性のお客様は少なかったけれど、ウォルが顔を出した。白いタキシードに黒の外套を羽織っている。
「ウォルさま、お久しぶりです」
クラレットがうやうやしく外套を預かって、入り口にあるコート掛けに着せかける。
「特に用事はないんだけど、頼んでいたドレスの進捗が気になって寄ってしまったよ」
相変わらずの、優雅な発声、余裕のある話し方。大げさな身振り手振りはないのに目を引く舞台役者のようだ。
「新年の贈り物用のドレスですね。順調に仕上がっていますわ。年明けにはじゅうぶん間に合うと思います」
「そう、それなら良かった。毎年たくさん注文してしまってすまないね」
「いえ、毎年ありがとうございます」
進捗を報告したクラレットが深々とお辞儀する。
この世界には、当たり前だけどクリスマスはなかった。そのかわり新年を盛大に祝うらしい。恋人や家族にも新年の贈り物をするらしく、ウォルは毎年たくさんのドレスを注文してくれる――というのはクラレットに聞いた情報。
「やあ、ケイト。元気だったかい? この国の冬には慣れた?」
「はい。もとの世界も同じくらいの気温だったので」
「それなら良かった」
「それにしても、ウォルさまは家族がとても多いんですね。ドレスの数が多かったからびっくりしてしまいました」
微笑むウォルに対し、素朴な感想を口にする。
どうしてこんなにドレスの注文が多いのか、不思議に思っていた。姉妹が多いのか、もしくは叔母やいとこも一緒に住んでいたりするのだろうか。ウォルはすごい貴族らしいから、家もきっと大きいのだろう。
私の言葉を聞いたクラレットが焦った表情で振り向く。
「ちょっ……、馬鹿!」
なぜか小声で叱られてしまった。
「ふふ、そうなんだよ。女性の家族が多いから、大変なんだ」
触れてはいけないことだったのだろうか……と冷や汗を流したのだが、ウォルは愉快そうに私を見つめて微笑んでいる。気分を害したわけではなさそうで、ほっと胸をなで下ろした。
「ついでだから、ケイトに相談があるんだけど」
笑顔のままウォルに話しかけられたが、身構えてびくっとしてしまう。クラレットはまだ、怒った顔でこちらを睨んでいるし。
「は、はい。なんでしょう」
「どうせだったら、夕飯を一緒に食べながら相談させてくれないかな。君の世界の話もいろいろと聞きたいし」
「え……」
同じ日にセピアとウォル、ふたりの男性に誘われるなんて、今日はモテ日なのだろうか。せっかく誘ってもらったけれど、今日はセピアとの先約がある。というかそもそも、お客さんとプライベートで会ったりしても大丈夫なのだろうか?
助けを求めるようにクラレットを見ると、しぶい顔をして首をかすかに横に振った。あっこれは、ダメなパターンだ。
「あの、ごめんなさい。今日は用事があって……」
たまたまセピアと約束していて良かった。嘘の用事で断るのは心が痛むし。
「それは、私の誘いよりも大事な用事?」
ウォルが、まっすぐに見つめてくる。目だけが笑っていなくて、心臓がドキッと音を立てた。なんだろう、この無言の威圧感は。
「えっ……。それは、えっと……」
あわあわしていたら、ウォルがふっと息をはいて、いつもの表情に戻った。
「冗談だよ。困らせて悪かったね」
「いえ……。でも相談でしたら、今聞きます。良かったらソファのほうに……」
まだ少し、心臓がばくばくしている。クラレットも心配そうに私を見ていた。
「それであの、私に相談って……」
向き合ってソファに座り、ドキドキしながら切り出すと、ウォルさまが苦笑するように微笑んだ。
「個人的な相談だから、そんなに緊張しないで。……私はそんなに怖い?」
「そんなこと、ないです。むしろとてもお優しいです……」
お客さまなのに変な気を遣わせてしまったことを、後悔する。私が彼の雰囲気とか、威厳みたいなものに勝手に気圧されているだけなのだ。きっとそれは貴族だからだと思うし、ウォルは何も悪いことをしていないのに。
「そう、それなら良かった。ケイトには嫌われたくなかったから」
「嫌うなんて、そんなこと」
思わず立ち上がろうとする私を、ウォルは「いいんだ」と手で制した。
「私には敵が多いから、誰に嫌われようとふだんは気にしないんだけどね。ケイトに対してはそうじゃないみたいだ。これでも、君のことを気に入っているんだよ」
「それは……、光栄です。ありがとうございます」
自分のことを褒められても、謙遜しないで微笑んでお礼を言うこと。クラレットに教えてもらった大事なことは、ちゃんと守れただろうか。どうして私を気に入ってくれるのだろう、という気持ちは残ったままだけど。
「君は異世界人だからかな、私の周りの女性とは反応が違っていてね」
ウォルの言葉にびくっとして、頭を下げた。
「あの、今までにも失礼があったら申し訳ありません」
「いや、君はそのままでいいんだ。あまり気を負わずに、普通に接してくれるかな。できれば、他のお客さんと同じように」
真摯に頼むウォルを見て、「ああ、そうか」と気付いた。彼は貴族の中でも立ち位置が違うようだから、今まで気さくに話せる人がいなくてさびしかったのかもしれない。私を気に入ってくれたのも、貴族のような振る舞いができないから新鮮だったのかも。
「そういうことなら……、わかりました」
「ありがとう」
頷くと、ウォルはやっとほっとしたように姿勢を崩した。
私たちの間の空気がなごんだタイミングで、クラレットがお茶を運んでくる。クラレットは間の取り方がとてもうまい。オネエの勘というものだろうか。
「ウォルさま、お茶をどうぞ。相談のほうは進みましたか?」
カップを私とウォルの前に置きながら、さりげなく尋ねる。ちらちらと目配せを送ってくるのは、粗相がないか心配してくれているのだろう。
大丈夫、という意味をこめて頷いたら、呆れた顔でため息をつかれた。なぜなのか。
「そうそう、相談だったね。実は新年の贈り物について、身内の女性から無理難題を出されているんだよ」
「無理難題……ですか?」
「ああ。ケイトならいいアイディアを思いつくのではないかと思って」
フロッキープリントの話をした出会いから、ウォルは私を買いかぶりすぎている。でも、期待されるのは店員として素直に嬉しい。
「面白そうですわね。お客さまもいらっしゃらないし、私も同席させてもらってもいいですか?」
「ああ、もちろん」
クラレットが空いているソファに座る。持ってきたカップが三つあったので、最初からそうするつもりだったのだろう。ウォルは、改めて私たちに向かって話し出す。
「新年の贈り物に身に付けるものを贈るのは我が家の習わしなのだけど、ドレスも装飾品もたくさん持っているからいらない、とわがままを言う女性がいてね。その人だけに贈らないわけにはいかないし、なんでもいいから欲しいものを決めてくれ、と頼んだのだけど……」
「けど?」
もったいぶるように間を取るウォルを促す。
「だったら、宝石ではない装飾品をください、なおかつ私にふさわしいものを、と言われてしまった」
「なるほど……」
聞いていて、かぐや姫の『蓬莱の玉の枝』に似ているなと思った。お金持ちの貴族に、不可能な贈り物を要求する姫。
「宝石でなければよろしいんでしょう? レース編みのチョーカーや、石のついていない指輪ではいけないんですか?」
クラレットが尋ねると、ウォルが「そうだね」と頷いた。
「私もそれは考えたんだけれど、彼女は華やかできらびやかなものを好む性質でね。『私にふさわしいもの』という条件には当てはまらないんだよ」
「それは確かに……難題ですわね」
「だろう? 答えの出ないクイズみたいだよ。もしくは、最初から答えなんてないのかな。彼女は私を困らせたいだけなのかもしれないね」
まるでこの状況を楽しんでいるような口調だ。
「ケイトはどう思う?」
しばし、考える。その女性を知らないのでウォルを困らせたいだけ、ということを否定はできないが、解決しなくていい問題ではないだろう。それにその女性だって、新年くらい楽しい気持ちで迎えたいはず。
だったらひとつ、思いついてしまったモノがある。