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仕立て屋王子と魔法のクローゼット  作者: 栗栖ひよ子
第三話 晩餐会のワルツとクラレットの恋
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(3)

 あんなクラレットを見たのははじめてだった。それだけあの男性のことが好きだったんだ。なのに、『君は美形だから自分じゃなくても良かった』だなんて、あの人はちっともわかっていない。


『ケイトは強いから、俺がいなくても大丈夫だろ。あの子は俺がいないと生きていけないって言ってくれるんだ』


 一か月前に元彼に言われた言葉が頭によみがえり、まだ治っていないかさぶたがべりべりと剥がれていく。痛いから、思い出したくなかったのに。


『そんなことない、って……。今更言われても、わからないよ。だったらどうして今まで言ってくれなかったんだよ。俺はずっと、頼りにもされていないって悩んでいたのに』


 言わなくても伝わっていると思っていた。クラレットだってきっとそう。こんなに好きなんだから、いちいち言わなくても相手はわかってくれているって思い込んでいたんだ。


 でもそんなの、間違いだった。あの人のために上達した料理や、どんなに疲れた夜でも連絡を返すこと。デートのときはヒールを履かないことや、土日休みの彼と必死で休日を合わせること。そんなさりげない気遣いより、わかりやすい甘い言葉をあの人は選んだ。


 どうして今日は、思い出したくないことばかり思い出すのだろう。おまけに慣れない場所でひとりぽつんと取り残されてしまった。


 黒服に渡されるまま、料理とお酒をどんどんお腹におさめていく。あまりがつがつ食べては駄目と言われていたのだが、そうでもしないと間が持たない。

 ホールの真ん中のスペースでは若い男女が生演奏にあわせて踊っていたが、一緒に恥をかいてくれるはずの相手さえ、どこかに消えてしまった。

 ワインとローストビーフがおいしいのがせめてもの救いだ。


 エスコートの相手もおらず、壁際で黙々と食べ続ける私に黒服が憐みの目を向けたときだった。


「あっ、ケイト! 見つかってよかったわ。渡したいものがあったの」

「エリザベスさま」


 軽い足取りで、エリザベスさまが近寄ってくる。隣にいる従者が、何やら大きな箱を持っていた。


「あら、クラレットは?」

「あっえっと……。少し酔ったから夜風に当たるって」

「あら……。具合が悪いなら言ってくれれば良かったのに。じゃあ、バルコニーかしら」


 エリザベスさまがバルコニーを見上げながらクラレットを探そうとしたので、遮るように目の前に立った。


「それより、どうしたんですか、その箱」

「ああ、そうだったわ。ケイトに届け物なの。さっき屋敷に届いたんだけど、仕立て屋スティルハートからになっているわ」

「え……なんだろう」


 従者から受け取った箱を開けてみると、大きなサイズのドレスと小さなサイズのタキシードが入っていた。カードが一枚、一番上に載っている。


「エリザベスさま、すみません。このカードって何が書いてありますか?」

「そういえば、ケイトは文字は読めないんだったわね。貸してちょうだい」


 シンプルな白いカードをエリザベスさまに渡す。

 仕立て屋でよく使う単語は見れば分かるようになったけれど、文章となるとまだまだだった。一年間働くつもりなら、もう少し読み書きも勉強しないといけない。


「ええと、『クラレットの我慢が限界になったら役割を交換しろ。アッシュ』……だそうよ」


 エリザベスさまが「どういう意味かしら」と首をかしげる。


「それって……もしかして」


 ドレスもタキシードも、自分がよく知っているサイズに感じた。それはたぶん、気のせいなんかじゃない。

 もしアッシュの狙いが私の考えたとおりなら、クラレットにしてあげられることがあるかもしれない。


「まあ、このドレスも素敵ねえ。タキシードは子ども用かしら」

「エリザベスさま、お願いがあります」


 ドレスを興味津々に観察するエリザベスさまに向き合うと、私は不躾とも思える頼みを口に出した。


 * * *


「クラレット! やっぱりここだった」


 大きな庭に張り出しているバルコニー。そこにひとり、手すりにもたれかかるようにして佇むクラレットがいた。


「ケイト」

「寒くなかったの? 大丈夫?」

「肩や腕がむき出しになっているドレスじゃないんだもの、平気よ。タキシードっていろいろ着込むから意外と暑いのよ」

「そう……」


 いつも通りの口調だけど、いつもより覇気がない。

 どう切り出したものか考えあぐねていると、クラレットはふっ、と笑って上体を起こした。


「ひとりにしてくれてありがと。気が済んだし、もう大丈夫よ。あなたをひとりにしておくわけにはいかないし、そろそろ戻るわ」


 クラレットの差し出してくれる手を取る。夜の闇にぼんやり光る、クラレットの夜明け色のタキシード。このまま、月の光に溶けてしまいそうに見えた。


「大丈夫なんかじゃないくせに……」

「え?」


 クラレットと腕をからめたまま、私はずんずんと歩きはじめた。


「な、何よ。怒ってるの?」


 その言葉には答えず、ひたすら足を進める。


「ちょっと。ホールはそっちじゃないわよ、そっちはお屋敷の人のプライベートスペースで……」


 喧噪を抜けて静かな廊下に出ると、クラレットが焦りはじめた。


「ほらっ、黒服がいるじゃない。怒られるから早く出ないと!」


 廊下を巡回していた黒服は、クラレットを引きずるようにエスコートしている私を見て一瞬ぎょっとした顔になったが、すぐにビジネスライクな微笑みを浮かべた。


「スティルハートさまですね。御所望(ごしょもう)のお部屋はつきあたりを左になっております。いい夜を」


 一礼して去っていく黒服を見つめて、クラレットがぽかんとした顔をしていた。


「なに、今の。どういうこと?」

「いいから、ついてきて」


 おとなしくなったクラレットを引っ張って、指定された部屋に入る。


「ここ……、衣装部屋じゃない」


 開けた先は、従者やメイドが着替える衣裳部屋だった。鏡台と姿見がいくつか、晩餐会用と普段用の衣装がずらっと並んでいる。


「うん。エリザベスさまに頼んで貸してもらったの」

「なんでそんなこと……。ねえ、さっきの黒服、逢引きに使うと思ってなかった!?」

「事情を説明できなかったから、そういうことになってるの」

「冗談じゃないわよ! しかも私、直前で怖気づいた男だと思われたじゃない!」


 さっきの構図は完全にそうだったなあ、と思う。でもクラレットはまだいい。私なんて、怖気づいた男をむりやり引っ張っていくやる気のある女だと思われたのだから。


「ごめん。エリザベスさまは事情をわかっているから、安心して」

「事情って――」


 従者の人に頼んでおいたドレスの箱が、テーブルの上に載っている。


「な、何それ。勝手に開けていいの?」

「いいの。私たちのドレスだから」

「……どういうこと」


 いぶかしむクラレットの前で、ドレスをばさっと広げた。


「これって――」


 首もとと肩をさりげなく隠した、真紅のドレス。私の着ている『千枚の葉』と対になるかのように、こちらのドレスは金の糸で裾に模様が描かれている。裾の広がりを抑えたデザインが色っぽい。


「そう、クラレットのドレスだよ。アッシュさん、ちゃんと用意してくれていたんだね。クラレットに着せてやってくれって」


 これは、クラレットのスタイルを惹き立てるためのドレスだ。色も、形も、模様さえもクラレットに映えるように計算し尽くされている。


「テーマは『秘めた緋色』だって。アッシュさんはクラレットのこと、誰よりも理解しているんだね。このドレスを見たらわかるよ」


 そしてこのテーマもきっと、クラレットの恋を指しているのだろう。

 早く着たところが見てみたくてうずうずしているのに、クラレットは自分の腕を抱くようにして唇をかんだ。


「……いいわよ、そんなの。もうこの恰好で来ちゃったんだし、今更……」

「元彼に、誤解されたままでいいの?」


 うつむいたまま「仕方ないじゃない」とつぶやくクラレット。こんなに聞き分けがいいなんて、ぜんぜんクラレットらしくない。


「私は嫌だよ、誤解されたままなの」

「そりゃ私と恋人同士なんて嫌だろうけど、今日しか会わない人なんだから我慢してよ」 

「嫌なのはそんな理由じゃないよ。クラレットは、真剣に好きだったのに、そうでもないみたいに思われるのって、むかつかないの?」

「それは……」


 口ごもるクラレットをよそに、私だけヒートアップしていく。


「言われなきゃわからないって言うけれど、なんにも言わずに別れるって決めたのはそっちじゃん! なんでこっちの気持ちまで相手に決められなきゃならないのよっ!」


 はあはあと肩で息をしている私を、クラレットが呆気にとられて見ている。


「……なんでケイトが私の別れ方まで知っているの?」

「いや、なんとなく、そうかなって……」


 最後の台詞は、完全に私怨だった。でも、クラレットも一方的に振られたのだと知って胸が痛くなる。さっきの元彼とのやりとりを見ていたら、なんとなくわかることだったけれど。


「俺じゃなくても良かったんだろとか、何もわかってないよ……。そう思って自分が被害者になりたいだけじゃん……。クラレットは今でもこんなにつらそうなのに」

「ドレスを着たからって、事態が変わるわけじゃないでしょ。もう向こうには恋人がいるんだから」

「そうだよ、変わらないよ。でも、あの人のためにドレスを着て、あの人のために綺麗になったクラレットを見たら、本当の気持ちに気付いてくれるんじゃないかって思って……」

「都合よく考えすぎよ」


 クラレットが、力なくつぶやく。


 その通りだ。都合よく考えて、クラレットを使って自分の気持ちを清算したいだけなのかもしれない。ここまで連れてきたのだって、私のわがままだった。


「ごめん……。やっぱり、やめておこうか」


 申し訳なくなってうつむくと、頭の上にぽんと手が乗せられた。


「誰がやめるなんて言った?」

「え?」

「あなたがしつこすぎるから、やる気になっちゃったじゃない」


 顔をあげると、クラレットは「しょうがないわね」というふうに笑っていた。


「最後の夜くらい、私の美貌を見せつけて、惜しいことをしたって思わせるのもいいかもね。それくらい、許されるでしょう?」


 クラレットが、タキシードをばさっと脱いでウインクする。


「もちろんだよ!」


 男性と女性の狭間でのウインクは、あやうくて、とても色っぽかった。



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