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仕立て屋王子と魔法のクローゼット  作者: 栗栖ひよ子
第三話 晩餐会のワルツとクラレットの恋
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(2)

 晩餐会当日。私の前に現れたクラレットは、息をのむほどの美青年だった。薄紫色のタキシードに濃紫のクラヴァットとチーフ。この繊細なコーディネートはクラレットではないと着こせないだろう。


「ものすごくかっこいいよ、クラレット!」


 女性だと華やかな美貌なのに、男性になると涼しげな美形になるのがふしぎだ。ふだんカールさせている長い金髪はサイドでまとめ、長いまつ毛に縁どられた紫色の瞳は憂いを帯びている。単に憂鬱なだけかもしれないが。


「お褒めいただき、どうも」


 声までちゃんと男の人になっている。いつもより低い。


「こんなにかっこいいのに、どうして嫌がっていたの?」

「そりゃああなた、すっぴんで人前に出られる? この恰好だとお化粧するわけにもいかないじゃない」

「ああ……。美意識の問題なのね」


 こういう口調を聞くと、ああちゃんとクラレットだと安心する。あまりにも違う男の人みたいで、少し緊張してしまったから。


「じゃあ、行きましょうか」


 店の外に待たせてある馬車に向かおうとすると、クラレットが腕を差し出した。


「えっ、いいの?」

「厳しい特訓に耐えたんだから、きっちりエスコートしてあげるわよ」


 毎日、お店が閉まってからクラレットの淑女講義を聞くはめになった。身のこなしや食べものの取り方、男性に声をかけられたときの返し方なども、みっちり練習させられた。おかげで少しは令嬢っぽい佇まいになったような気がする。


「あなたのドレスも素敵じゃない。アッシュはいい仕事するわね」


 そうなのだ。時間がないにも関わらず、アッシュは私のドレスまで仕立ててくれた。例によってサンプルのサイズ調整をしたものだが。


「うん、すごく可愛い。着こなせているか不安だけど」


 グリーンのシフォンを何枚も重ねたドレスは、『千枚(ミル・)(フィーユ)』というテーマらしい。裾には銀の糸で細かな刺繍が入っていて、シフォンが揺れるたびにきらきらと主張する。

 晩餐会用のドレスは普段使いのものと違って、よりお姫様らしい雰囲気。肩も腕もむき出しになるし、軽い着心地は本当に葉っぱをまとっているみたい。


「馬鹿ね。似合っていないのにドレスだけ褒めるわけないでしょ」


 クラレットが呆れたように私の顏を見る。


「そ、そうなの? あ、ありがとう……」


 ドキッとして、お礼の言葉が不自然にうわずってしまった。


「そうよ。淑女なら、にっこり微笑んで素直にお礼を言っておけばいいの。教えたでしょ?」

「うん、そうだったね」


 クラレットの腕につかまりながら、ふわふわした気持ちで馬車まで歩いた。



 オレンジ色に染まった石畳の上を、がたんごとんと馬車が走る。ふかふかの椅子に座っていても、お尻が痛くなりそう。さっきまで夢見心地だったのに一気に現実に戻されてしまった。


「ねえ、クラレット……。お屋敷まで、馬車でどれくらいかかるの?」

「そうねえ。さっき夕陽が落ち始めたから、暗くなるまでには着くわよ」


 それってだいぶ先なのでは、と身体をもぞもぞさせると、クラレットがおかしそうに微笑んだ。


「だいぶつらそうね」

「仕方ないじゃない、向こうには馬車なんてなかったんだし……」

「だったら、私の膝の上に乗りなさいよ」


 向かいに座ったクラレットが、トラウザーズに包まれた脚をぽんと叩く。


「ちょっと、その恰好でそういう冗談やめてよ」

「うぶねえ。こんなときくらいあなたをからかって遊びたかったんだけど」

「ただでさえ緊張しているのに……」

「はいはい。つまらないわあ」


 クラレットはため息をついて押し黙り、馬車から外を眺める。さらさらした金髪が顔にかかって、夕陽を受けて輝いている。こうして見ると、アッシュに顔の造りは似ているんだなと思う。女装のときは三人まったく似ていないと思ったけれど、やっぱり兄弟だ。


「なあに、じっと見て。そんなにこの姿が好みだった?」

「違うからっ!」


 神妙にしていたと思うと、私をからかってにやりと笑う。しばらく馬車の中でふたりきりだなんて、心臓に悪すぎる。


 この男性はクラレット、この男性はクラレット……と念じるのに夢中になっていると、お尻の痛みはいつの間にか消えていた。



「クラレット、ケイト! いらっしゃい。来てくれてありがとう」


 屋敷につくと、満面の笑みのエリザベスさまが出迎えてくれた。たくさんの人でざわめく中、『明るい湖畔』をまとったエリザベスさまはひときわ輝いていた。ひいき目を抜きにしても、招待客がみなドレスに釘付けになっているのがわかる。


「お招きいただきありがとうございます」


 優雅に挨拶するクラレットをよそに、私はすでに体力を使い切ってしまった気分だ。


「男性の姿で来るとは聞いていたけれど、一瞬分からなかったわ。どちらの恰好をしても美しいのね」


 クラレットの男装をしげしげと眺めたエリザベスさまが、ほうっと感嘆の息をつく。


「光栄です」

「ケイトも今日は一段と綺麗よ。堅苦しくない会だから、楽しんでいってね」

「はい。ありがとうございます」


 周りを見やると、長身の年配男性と小柄で優しそうな男性が近くで雑談をしていた。雰囲気から察するに、このふたりがきっとエリザベスさまの父親と婚約者だろう。


「お父さま。アーサーさま。こちらが仕立て屋スティルハートのクラレットさんとケイトさんです」


 エリザベスさまが声をかけると、ふたりが振り向いた。


「エリザベスから話はよく聞いているよ。とても優秀な売り子がいると。ケイトさんにドレスの色を決めてもらったと嬉しそうにしていたよ」


 グレーの髪をオールバックにしたダンディな男性が、ひげを撫でながら握手を求めてくる。エリザベスさまの父親らしい、穏やかな雰囲気の人だった。


「ひと目見ただけで、その人に似合う色が分かるそうですね。すごいなあ。今度僕のスーツの色もぜひ見立ててくださいよ」


 婚約者だという男性は終始にこにこ微笑んでいたが、瞳の奥がエネルギッシュだった。控えめなエリザベスさまとはいい組み合わせなのかもしれない。


「いや、そんな……。すごいのは三兄弟のみんななので、私は何も……」


 ふたりが口ぐちに褒めそやしてくれるが、どう答えればいいのか困ってしまう。まだクラレットにフォローしてもらってばかりの新人だし、ドレスの美しさに私の力は何も関係ない。

 ぎこちなく会話を続ける私を、クラレットが笑顔を消して見つめていた。



 広々としたホールは、個人のお屋敷というより結婚式場みたいだ。お酒を配る黒服が何人も待機し、室内楽の生演奏もある。見上げる天井にはイミテーションではないシャンデリアがいくつも下がっていて、眩暈を起こしそう。


「ケイト。前から気になっていたんだけど」


 挨拶という第一関門を突破し、ほっとした気持ちでシャンパンを受け取ると、クラレットが険しい顔で振り向いた。


「あなた、仕事は真面目にやっているのに褒められると困惑するわよね」

「えっ……」


 ホールのざわめきが、一瞬だけ遠ざかった。クラレットの硬い声だけが、やけにはっきりと耳に残る。


「ドレスやお店について褒められたときには素直に受け取っているのに、自分の接客について褒められたときだけ否定するわよね」


 あまりにも直球すぎるクラレットの指摘に、心臓がいやな音をたてる。


「それは……」

「何があったのか知らないけれど、お客さまに言われたことは素直に受け取ってちょうだい。みんな謙遜を求めているわけじゃないんだから。微笑んでありがとう、も言えないなら売り子失格よ」


 踵を返すクラレットに、何も言えなかった。


 店長から言われた言葉が刺になって、自分の心にずっと刺さっていた。それを抜くこともせずにほうっておいたら、どんどん卑屈になっていた。


 それは店長のせいじゃない、自分のせいだ。化膿してしまった心を見てみぬふりしてきた自分のせい。

 そのせいでお客さまやクラレットにいやな思いをさせていたなんて、私はやっぱり、自分のことしか考えていなかった。


「待って、クラレット……っ!」


 その背中を追うと、クラレットはひとりの男性の前で呆然と立ち尽くしていた。


「もしかして、クラレット・スティルハート?」

「……ええ」


 タキシードの似合う、大人の男性がクラレットの名を呼ぶ。クラレットは少しだけ肩をふるわせた。男性の声が、遠慮がちな、だけど優しい響きだったからかもしれない。


「一瞬分からなかったよ。女性の姿でしか会ったことがなかったから」

「そうだったわね」


 男性は、ちらりと私のほうを見やる。あわてて頭をさげたら、複雑そうな顔で微笑まれた。


「新しい人、見つけたんだね」

「あなたもね」


 クラレットの視線を追うと、こちらに向かってお辞儀をする女性がいた。きっとこの男性の恋人なのだろう。


「お互い、それで良かったよ。君は美形だし、何もこんな冴えないオジサンじゃなくても良かったんだろうね。じゃあ、お元気で」


 ちくりとする言葉を残し、男性は去って行った。恋人と腕を組み、親しげな笑みを交わしあっている。


「クラレット、今のって」


 男性の去って行った方向を見つめるクラレットに、遠慮がちに声をかける。


「元彼よ」

「えっ……」

「私に恋人がいたらおかしい?」


 クラレットが悲しげな瞳で微笑む。


「そうじゃなくて。あの人、私のことクラレットの新しい恋人だと勘違いしてなかった?」

「いいのよ、そのほうが」

「でも」


 クラレットはまだ、あの男性のことが好きなんだと思った。いつもは強い眼差しが、力なく揺れている。


「しばらくひとりにしてくれる? 夜風に当たりたいの。 ――ごめんなさい」


 クラレットは顔を隠すようにして早足でどこかに行ってしまった。追ったほうがいいのか迷っているうちに、たくさんの動くドレスとタキシードに埋もれて見えなくなる。


「クラレット……」

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