デジカメ
今年のコスモスも綺麗に咲いている。薄桃色や紫色、白色等見る物を飽きさせない。海沿いの公園で、一人感嘆の溜息をついているのは、山辺優希。
テニスサークルの活動により、小麦色に焼けた素肌。短く切り揃えた髪は海の潮風に撫で付けられている。風に揺れる数千本は咲きほこっているコスモスをうっとりとした眼差しで見つめる。右手には、長年愛用しているデジカメを持ち、時折様々な角度からコスモスを撮影していた。
「やっぱりコスモスが一番好きかな」
デジカメのシャッターを押しながら、つい独り言が先走る。周りの稀有な視線もものともしない。自分の世界に入り込んでいるからだ。
優希は大学三年生であり、趣味は花の観察と撮影。自分のブログにも、今の季節の花について、詳しく書くほど花を愛でている。
一人暮らしの為、沢山の花の管理は大変であるが、それを一切苦にせず、毎日ベランダに飾っている花々の手入れも欠かさない。今は、お気に入りの公園や広場を周り、珍しい花が咲いていないか散策することに夢中である。
「なかなか珍しい花は見つからないものね」
サークルの活動にも定期的に参加。友達との飲み会にもよく行く。しかし、趣味について問われると、なかなか花の観察や撮影について話すことが恥ずかしいと感じていた。
花の愛好家は高齢な方が多いと独断で判断していたからだ。理解のある友達も中にはいるが、一緒に散策を行うまでの仲では無い。
「だから彼氏いないのかな。まあ、いいけど」
デジカメを握りしめ、俯く。視線の先には様々な花であやどられた花壇が眼に入る。デジカメの再生ボタンを押し、今まで撮った花の写真を流し見る。スマートフォンも持ってはいるが、花以外の写真を撮るようにしている。デジカメは花専用の機器として分けて使用している。そのほうが管理がしやすいと考えたからだ。
友人にも写真を見せる時は、スマートフォンのほうからだ。理解のある人にはすぐにデジカメを見てもらうが。
「今日は沢山撮影出来たし、満足。明日からまた大学かあ。嫌だな」
明日からの講義を考え、痛くなった頭を左手でさすりながら、帰路についた。
翌朝、通学途中、必ず近くの公園を横切って通学しているが、公園内のブランコの近くに一輪の見たことの無い花が咲いていることに気付いた。
「あれ?こんなに綺麗な花咲いてたかな」
優希が不思議に思うのも無理はない。毎日、通学で通っている公園。今まで、ブランコの近くには花が咲く気配すら見られなかったので、いつも素通りしていた。
突然、綺麗な花が視野に飛び込んできたのだ。花弁の色は水色。朝顔に近い形をしているが、今まで見たことがない形であり、茎の長さは約五センチ程。薄緑色の茎は、花弁の色を上手く引き立てている。
花に興味が無くとも、足を止め、見ずにはいられない。そのような錯覚に陥るほどであった。
優希はカバンにいつも入れているデジカメを取り出した。初めは正面から、次は斜め上からと角度を変えて、何度もシャッターのボタンを押す。
「講義終わったら、ブログに載せよう」
デジカメで撮った、名も知らない花の写真を再生ボタンを押して一枚一枚確認する。複数の写真の中でも、その花は輝きを放っているかのように見えた。
ふと、違和感に気付く。撮った写真の端には、ブランコが映っているが、座る場所の青い板の部分に、黒いシミのような物が映っている。
新しい時間の写真に切り替える度に、そのシミはまるで、生き物であるかのように形を形成していく。一枚目は丸い点。二枚目は大きな点。三枚目は青い板全体を覆う形……
ついには、ブランコの下の地面にまで、シミは浸食し、花のほうへと影が伸びるように向かっていた。最後の写真は、花にまでシミが覆いかぶさる形になっていた。
そこには、もう輝きは一切見られない。ただただ真っ黒なシミが映っているだけである。
「何これ?デジカメ壊れた?」
デジカメの再生画面から眼を放し、ブランコのほうを見つめる。何も異常は見られない。座る部分の青い板はそのまま、板を吊るす為の錆びた鎖もいつも通りである。
「うーん?」
首を傾げながら、もうこの写真は消したほうがいいかと考え始める。こんなに気味の悪い写真であると、もちろんブログに載せることは出来ない。何より、自分自身気分が悪い。
「もう削除しよう」
諦めて、写真の削除ボタンを押す。通常であれば、削除してよいか確認の画面が表示されるが、何度押してもその画面すら表示されない。削除出来ない。
「え?何で?冗談でしょ」
ブランコのオレンジ色の柵に腰をかけながら、何度も削除ボタンを連打する。やはり消えない。
「もう何!?壊れたのかな」
柵に寄りかかりながら項垂れる。優希の目線が花に移る。
「あれ?色変わった?」
先ほどまで綺麗な水色の輝きを放っていたはずの花が、今では少し薄茶色がかっている。
この短時間の間に、枯れていくような現象に驚く。もう少し、間近で見て確認しようと、片膝をつき、花に顔を近づけた途端、目の前が真っ暗になった。
「は?」
自分の驚いた顔も確認出来ないほどの暗闇。優希は突然、真っ暗闇に佇んでいた。両足が動かない。上半身はかろうじて動かせる。周りを見渡すも、ただただ真っ暗闇が続いているのみ。どちらが上でどちらが下なのかも分からない。理解出来ない。
「いや、いやああああああ!」
がむしゃらに両手を振り回す。どこにも当たる感覚が無い。息苦しさも感じる。汗も噴出している。嫌悪感を感じ、両足に視線を落とす。落としてしまった。
白い手が優希の両足首をつかんでいた。手から先は何もない。何も見えない。
「きゃああああ!」
必死に手を振りほどこうと両足に力を入れる。しかし、力が初めから無いかのように全く入れることが出来ない。
次第に、手が両足首をつかんだまま、先の見えない闇の向こうへ引きずり込むように動き出した。踏ん張れず、前のめりに倒れこむ。
ますます、手の力が増し、引きずり込む力も強まる。優希は抵抗しようと思い、両手の指で暗い空間を精一杯ひっかく。どんどん引きずり込まれる。ひっかき続ける。
ついに、優希の両手の爪はめくれてしまった。痛みに顔をしかめる。次第に抵抗する気力を失い、引きずられるままとなった。跡には、血の付いたひっかき傷が残るのみとなった。
翌朝、通報を受けた警察官が公園を捜索していた。ブランコの近くに行く。
「これは……」
警察官は白い手袋を着け、地面に落ちていたデジカメを手に取った。すぐに、他の捜索隊へ連絡する為に、自分のパトカーへと足を向ける。
ブランコの側にある、茶色く干からびた一輪の花には眼も向けなかった。