「ダークソウル3」 そこに愛は生まれたか
このゲームを好きなのかと聞かれれば、よく分からない。
やり始めた時は、「こんなもんか」という感じだった。
グラフィックには驚いたが、それまでにシリーズでやり尽くされてきたことの繰り返しだと、何体かボスを倒して面倒臭くなったことを憶えている。
また同じ旅でソウルを拾うのかと。
しかし何故だ。
クリアしてからが、本当の地獄(天国?)の始まりだった。
まず、他のゲームをほとんど受け付けなくなる。
五感作用に訴えてくるようなキツい戦いを強いられる中、ローリングというある種『奇跡特攻』の技があるせいで、強い酒のような快感を求めてまたコントローラーを握らされる。
ハードなBOSSであるほどいい。
むしろハード・ゲイでも構わない。(何言ってんだ?)
とにかく、シリーズの「集大成ではあるが、最高傑作ではない」という見事な評があったように、減点がほとんどないゲームなのである。
上手い人はすぐやめていった。
数回BOSSと戦っただけでスイスイ攻撃を避けたり、パリィお手本動画を気軽に上げられるような猛者は、マルチな才能を持った人が小説はなかなか続かないように、(このゲームは8周で敵の強さがストップするため)カンストですぐに飽きてしまう。
ではなぜ、ネットで対戦するでもないのに今もコツコツと周回を重ねる人間がいるのか?
他にソフトはいくらでもあるのに、100周、700周と ーーちなみに作者は31周でまだ赤ちゃん状態であるがーー このゲームをデフォルトのように考えてすぐに戻ってきてしまうのだろうか?
それは勿論、筆者は下手なためである。
いくらやっても難敵との対戦に課題が残るため、「次はもっとスマートに勝ってやる」という、あくなき泥仕合をくり返している。
・・・ときどき神がかった勝利に酔うこともある。
もう一つは、その沈黙に満ちた、遥かなるクオリティである。
『ドラクエ11』が馬鹿売れしたのは、記憶に新しいことだろう。
過ぎ去りし時を~ というあのタイトルの真意と、エンドロールで巡り逢う、時代を超えた郷愁は、心動かさずにはいられない集束を見せられた。
(ちなみに自分は、賛辞ばかり聞いてからやったので、わりと人非人な感想だったかもしれない)
・・・そして同じように、ダークソウル3も、もはやゲームという枠の中で奏でられるより、一編の創造詩として、何度も拙い者たちの背中を鼓舞してきたのである・・・!
動画を観てもらえば、一発で分かるだろう。
上級者は皆、独特なリズムを持って戦っている。
中にはまるで、同じゲームとは思えないような印象を流す強者もいる。
そうなのだ。
なぜ繰り返しこのソフトの虜になるかと言えば、それはプレイ自体がすでに名曲をはらんでいるからなのである。
「ああ、もう一度やりたくなって来たなあ」という思いは、ダークソウルのような作品に限って言うならば、もはや総合芸術とも呼ばれるオペラを再度編み上げるに等しい行為なのだ。(言い過ぎだよ)
・・・まあとにかく、とても素晴らしいゲームだと思います。
色々と細かい所も語りたいけれども、さすがにネットには僕なんかデコピン程度で弾かれる猛者がゴロゴロいますからね。
まだやったことのない人は、ぜひ過疎化していく世界に、足を踏み入れてみて下さい!
他にもどんどん素晴らしい類似作が生まれていますが、この「3」の幾つかのボスへのリスペクト感は、何物にも代えがたいものだと思います!
こんなものを書いておいて、すぐやらなくなってしまうこともあるんですけどね・・・
僕は、知人とこのソフトをやっていて『薄暮の国のシーリス』が戦闘の前後に颯爽と語りだすと、”2”にいたキャラクター「ルカティエル」モードに入った! と笑いながら喜び合います。
(いい歳して何やってんだ・・・)