1:新生活は愉快な仲間とともに
そよ風が頬を撫で、校門に続く坂道の桜並木は今日を祝うようにその枝を揺らす。県下トップクラスの進学校のひとつである県立龍山高等学校の校門には県立龍山高等学校入学式と書かれた看板が立てかけられている。追い越していく人、追い抜く人、キャラメルのブレザーも、灰色の折ってあるであろうスカートも学年別のネクタイも、新入生の保護者であろうおばさんのちょっとどころでなく香る香水だって、教員のワイシャツの柄でさえも、いつも通り激しく主張してくる。本日も晴天なり。この上なく──。
「……憂鬱だ」
入学式といっても、わたしは2年であるからメインイベントはクラス替えぐらいのものである。だがしかし、昨年ぼっちだったのに加えて編入生という無駄に目立つ称号のついたわたしにとってはただの憂鬱な行事でしかない。しかし今日休む、というのもこの一年に尾を引くものであるのは明確で──。と、ぐだぐだと考えているうちに下駄箱に着いた。扉にはクラス分けの発表の紙が貼られ、そこには人だかりができている。もう少し、もう少し視力が良ければこの距離で見えるのに。まあ、裸眼なだけいいか。
「若葉何組になった?」「あー、私6組」「うわ、クラス離れちゃったね」「絶対私、おしゃべりしに行くね!」「うん私も遊びに行くー!」
「お前何組?」「えっと、3組」「お、同じクラスだな!」「おー!今年もよろしく」
ひとつひとつの会話が前後左右、全ての方向から一度に流れこみ、記憶として蓄積される感覚。いつもながらうるさい。これだから人だかりは。
自慢ではないがわたしは物覚えがいいほうだ。これまで見聞きしたものはすべて覚えている。きっとそれが人口の2割は能力者だ、といわれるこの世界でわたしに発現してしまった能力。『勿忘草』。ただわたしの場合処理能力、つまり洞察力はあまり高くないから認識した情報のほとんどは、ちゃんと情報として認識できないうちに記憶として保存されてしまうんだよね。だから重宝しているどころか寧ろ持て余し気味なんだよなぁ。正直、記憶力なんて戦う役にも立たないし。この街の四天王最弱、と謳われる白虎組の白河千秋だって、能力者で、その能力は強いのだろうし。能力のあるなしだけでなく全部ひっくるめた実力が全てを決めるこの街では弱者は強者に怯えるしかない。能力による強さはいくらでもひっくり返せるのだから。
やっと全ての紙を見れる。と思いながら紙を見て、6組であることを確認する。クラスメートの名前、把握。……あれ、6組ってことは教室遠いな、と校内図を思いだし思わずため息をついた。
どうにかこうにか教室までたどりついた時、既に八割が来ていた。
黒板で指示された通りの席に着き、ぼんやりとHRが始まるのを待っていると、不意に女子生徒に話しかけられた。
「ねえ!あたし柏木若葉っていうんだ!名前、なんていうの?」
目の前にある笑顔が眩しい。小柄ではないものの、人懐っこい笑顔の彼女はどこかトイプードルを思わせた。
「わ、わたし?えっと、楮原真澄、です」
「真澄っていうんだね!よろしく!」
「う、うん。こちらこそよろしく。え、えっと……?」
やたらと明るい少女に若干引きつつも名乗られたからには、と自分も名乗った。ここからどうやって会話を繋げればいいんだ?せっかくの友達ゲットのチャンスを逃すわけにはいかないよね!これを逃したら本格的にぼっちになるんじゃ?などとひとりパニックに陥りかけていると黒髪ストレートロングで赤ぶちメガネの優等生といった風貌の女子生徒が半ばあきれたように助け舟を出してくれた。
「柏木さん……楮原さん、困ってるんじゃない?」
「だって仲良くなりたいなーって思ったもん。それと、君もかっしーって呼んでよ」
「だってじゃないでしょ……」
「ちょっとぐらいいいじゃん、シロちゃん」
「シロちゃん?」
「シロちゃんじゃいや?」
「べ、別に……嫌ではないわ。たいていクロちゃんだから新鮮なだけ」
シロちゃんと呼ばれる彼女の名前を聞くタイミングがつかめない。──そういえばクラス分けの紙には黒川雪と書いてあったな。あれ、ユキちゃんじゃないのか。
「ゾハラちゃんは、あたしのことかっしーって呼んでくれるよね?」
「っ、あ、うん」
思わずゾハラ、という呼び名に肩を震わせてしまった。
「あ、あの……ゾハラちゃん、はちょっと……」
やっとの思いで声を絞り出した。怒らせてないといいんだけど……。
「ん、わかったー!じゃあ──そうだなぁ。まっすーはどうだ!」
「……まっすー。……うん、いいと思う」
大して気を悪くした様子もなくかっしーが新たな名前を編みだした。気分を害するどころかこの状況を楽しんでいるように見える。
「そういえば楮原さん、私は名乗ってなかったわね」
「あ、黒川さん。そうだっけ?」
「え?ええ、そうよ」
シロちゃんが一瞬怪訝な顔をした。しまった。これはまずい、なにか言い訳を──。
「あ、ほら、クラス替えの紙の自分のひとつ上にある名前だったからたまたま覚えてたんだよ」
「……そういうことね。改めて、私は黒川雪。よろしくね」
「うん。よろしく……えっと、シロちゃん」
「あ!シロちゃんだけずるーい!まっすー、あたしもー」
「えっと、かっしー?」
「うんうん!よーし、シロちゃんも!」
「柏木さん、もう少し静かにしたほうがいいんじゃない?」
「シロちゃんもかっしーって呼んでくれるまで静まりませーん!」
確かにわたし達は妙に気が合ったのだろう、若干うるさかった。周りの生徒もチラチラと様子を伺い、おい誰かこいつらなんとかしろよ、いや無理だって。だってうるさいことに定評のある、あの柏木さんだよ?話しかけたら最後、巻きこまれる。などと目配せしあっているような気がする。こちとら話しかけるも何も、既に巻きこまれているんですがね。
「いやです」
「シロちゃん!お願い!」
2人の議論はすでに平行線、堂々巡りとなっていた。そこに若い女性がヒールの踵の音を高々と響かせながら教室に入ってきた。
──威圧感半端ない。入口付近からさざ波が引くようにざわめきが引き、教卓の前に立った女性に全員の視線が集まる。
「おはようございます。私はこのクラスの副担任の柘植川巴です。一年間よろしく」
引き続き楮原真澄さんのぼっち脱却への道をお楽しみください。