【13】
笹山家に到着すると、その日もバイトを休んだ笹山くんだけがおり、まだ母上は帰ってはいないということだったので、自分は遠慮なく上がり込んで、とりあえず煙草を一服ふかした。母上はきっとまだ事務所で松本の安否の情報を待っているのであろう。
「松本に関して、当方は重大な情報を得た」ということを笹山くんから母上に連絡してもらい、とりあえずすぐ帰って来るようにと母上に伝えた。
ガタガタガタガタ、ガチャ、という具合に、焦りを全面に押し出して母上が玄関を開けると、その顔にも焦りが滲んでおり、鼻は真っ赤で髪の毛の先からはぽたぽたと雨粒が落ちていた。訊くと、松本の実家での火災で亡くなった遺体の身元は未だ判明していないということだった。自分は母上に落ち着くようにと言ったが、こんな状況においてなかなか落ち着けるわけがない。すると笹山くんが、しょうがないなといった様子で立ち上がり、台所から焼酎を持ち出して母上にストレートで一杯飲ませた。だからと言って母上が落ち着いたわけではないが、ちゃんと正座してテーブルの前に座ったので、自分は笹山くんの機転を褒め称えてから、松本から届いた絵はがきを母上に見せた。
自分は驚いた。なぜなら母上は、自分がたどたどしく解読したこの馬鹿らしいローマ字の絵はがきをすらすら解読しただけでなく、裏の寝転がった仏像の写真を見ても、くすりとも笑わなかったからである。もしかしたら、金ピカのこの仏像が、自分と同じく松本に見えたのかもしれない。
「ああ、良かった。良かったわ。ああ、ああ」
母上は絵はがきを胸に抱きしめながら、松本の安否を知って心から安心したように、また張りつめたものが一気に緩んだように、目から涙を垂らしながら真顔で何度も「良かった」と口にした。母上の肩をさすりながら「ちょっといい? お母さん」と言って絵はがきを優しく受け取った笹山くんも、母上の安堵に同情し、涙していた。やはり裏を見ても笑わなかった。
「あ~あ、お母さんをこんなに心配させて、松本の野郎」
母上に注いだ焼酎のコップを横取りし、一気飲みした笹山くんは、母上同様に無表情で涙を垂らした。
「呼び捨てにしちゃダメよ、真美」
自分もとりあえず、松本がタイランドにいるということを知って安心をしていたのであるが、しかし一方、松本の実家の火災での犠牲者が松本の両親と妹であろうということに考えが及ぶと、焼酎を一気飲みしないではいられなかった。
「松本の野郎、なにも知らねぇんだろうな」
笹山くんは暗く相づちを打った。
「でもなんでだろうね、火事」
「心中なんじゃないかしら」
「なんで?」
「息子が容疑者になっちゃったから、そうしようと……。やっぱり、いくらなんでもそれはないかしら」
「あんな糞ガキをぶん殴って傷害罪になったぐらいで、そこまでするもんかね?」
「そうよね、やっぱりそこまではしないわよね」
「ていうか、松本はもう容疑者になっちゃったのかな?」
「ピアスの親次第だが、どうだろうか」
「謝ってたら被害届出さない感じだったんでしょ? 二葉くんのご両親は」
「どうだろうね。当方がピアスの親なら、松本を同じ目に遭わせるが」
「岡田さんはなんでそういう方向に行くの? 暴力はダメです!」
「真美に説教されてるようじゃあ、どうしようもないわね」
いくら考えても、我々には松本の実家の火事の謎が解けるはずがなかった。
しかし松本が海外にいるという事実は、自分にはなんとなく理由がわかる気がする。金持ちで過保護だという松本の両親が、松本を海外に逃がしたということは、十分に考えられるような気がするのである。きっと店長が訊ねて行った時、松本は金髪モヒカンのまま実家にいたのであろう。それを両親がかばって匿い、そして金の髪の松本に金を握らせ「逃げなさい」とでも言ったのであろう。我々はそのようなことをぼんやり話した。
「金持ちの見栄だろうかね」と自分が言うと、「親心よ」と母上は言い切った。
やがて、笹山くんがぽつりと言った。
「タイだって、お母さん」
この言葉を聞いた時点で、母上の決意はすでに固まっていたようだ。
「そうね。まあ、しょうがないでしょ。行ってくるわ」
母上の決心。その決心の裏には、とても荷の重い任務がある。タイランドのどこにいるかもわからない松本を捜し出し、家族の死という残酷な宣告をし、帰国の説得をし、ちゃんと日本に連れて帰る。しかし母上ならばその重い任務を成し遂げられそうな気がする。いや、母上だからこそ、母親としての、また恋人としての素質によって成し遂げられる気が自分にはするのである。
ああ、しかし自分ときたら、早く松本を引っぱたきたくてたまらない。自分も母上と一緒にタイランドへと出向いてやろうか。あまり考えたくはないが、なんとなく今回の事件は自分も関わっているような気がしてならないのだ。
いや待てよ、自分もタイランドへ行ってしまったら、誰が笹山くんのことを守るのだ? 母上を安心してタイランドへと旅立たせるためにも、誰かが笹山くんのそばにいなくてはならないじゃないか! それは、自分の最大の使命ではないのか? 冷蔵ショーケースに牛乳を突っ込むよりも、もっと崇高な使命ではないのか?
いや、本当のことを言えば『自分は笹山くんを一人にするわけにはいかぬ、自分が笹山くんを守らなければ』という想いが、凄まじい充実感と共に、内臓全体に湧き上がっていたのである。
そして母上は笹山くんを自分に託し、バンコックへと飛び立っていった。
旅立つ前の空港で、「そろそろ真実って呼んであげたら?」と自分に耳打ちをして。




