二回目の『はじめまして』
もしかしてあの人、人間じゃないんじゃないだろうか。
何年か前、俺が働き出す前にあのホームで亡くなったあの人は自分が死んだことに気づかず今もあそこで彼氏になるはずだった人を待ち続けている・とか。
それともあの人は本当は猫か何かで、人間の男を好きになってしまったために魔法使いに姿を変えてもらってその恋を果たそうとしている・とか。
自分で考えて途中から馬鹿らしくなってきた。
そんな乙女チックなことがあってたまるか、あの人はちゃんと人間だ。
この時代、この世界に魔法使いなんて非現実な存在がいるはずない。
もちろん幽霊だっていないはずだ。
だから、あの人は今日もあのホームのあの場所でその人を待っている。
あの人、その人。
ずいぶん他人行儀な呼び方だ、そういえば名前を知らなかった。
考えてみたら俺だってあの人にちゃんとした自己紹介をしていないじゃないか。
最初に名乗るべきだったんだよな、本当は。
今度会ったときに言わなきゃ、そして聞かなきゃ。
名前を知らないと不便なことばかりだ。
特に、名前を呼べないところが。
「そんなに不便かな?」
「不便ですよ、個人を特定できないじゃないですか。」
「する必要がある?」
「人と話すときに『あの人』じゃ誰か分からないし。」
「誰かと話すんだ?」
相変わらずどこか面白がっているようで、それでいてどことなく嬉しそうな声で話す人だ。
俺を見るその人の目は確かに面白がっていた。
「俺にだって話をする友達くらいいますよ。」
「ふうん、そうなの。」
「あなたにだっているでしょ?」
「うん?」
「今日、通勤中っぽいおじさんと話してるの見かけました。」
この人は人間だった。
だって、そうじゃなきゃ俺以外の人と親しげに立ち話なんかしない。
本当に親しいかどうかは知らないけど、考えてみたら一年も毎日のように通いつめていたら、それは確かに顔馴染みの一人や二人くらいできるだろう。
「お兄さん、そういえば昨日はどこにいたの?」
「昨日?」
「おとといもいなかったね。」
唐突に変わった話の方向は予想外に別の目的地を目指しているようだ。
昨日までテストだった、大学の。
中日に一回バイトに来たけどこの人を見かけなかったから、ああ、なんだ。
本当にすれ違いだったんだな。
「俺のこと気にしてくれてるとは思いませんでした。」
「そう? そんなことないよ。」
「言うほど気にしてないってこと?」
「うーん、どうだろう。でも、また話したいなって思ったから、今日会えてよかった。」
やっぱり俺、脈あるんじゃないか?
だから、この人は彼氏を待ってるんだって。
思いながらその笑顔を見返していた。
すぐに目を逸らして線路の向こうを見つめる横顔は綺麗で、透明で、この人は本当に人間なんだろうか。
本日何回目かの同じ疑惑には澄んだ声で答えられた。
「私、アカリ。」
「え?」
「お兄さんは?」
「しゅ、秀。」
「秀くん。」
「はい。」
乗せられるまま名乗ってしまった。
本当は俺から名乗って聞くつもりだったのに、狂わされてばかりだ。
「ふふ、これで名前が呼べるようになったね。」
ベンチを立ったその人――アカリさんは真正面から俺を見返した。
この時もやっぱり、どこか楽しげな表情をしていた。
「ようやく初めましてだね。」