7 彼女は気が付き、お節介を焼く
学内にいる時は、アイリスと常に共にいるものと思わせている私だけれど、実際はそうでもない。
なるべく人目を避けるようにしている所為で目立たないが、それなりに単独行動もしている。
むしろアイリスの益体もないお喋りや突拍子もない行動に付き合わされてばかりだと、時間がいくらあっても足りなくなってしまう。
特に今は時間との勝負ということもあって、授業と授業の僅かな隙間も最大限有効活用するようにしている。
今日は曇り空で、少しだけ肌寒い。
徐々に本試験の日取りも近付いている為か、次の教室へ向かい出す生徒たちも、庭の樹々も、やや精彩を欠いているようにも見える。
「……あら」
人目を避けるようにしているということは、人目を避けたい人間と鉢合わせする可能性が高まるという事でもある。
雑木林へ続く人気のない校舎裏で、不意に目についた光景に私は歩みを止める。
ひとりの小柄な生徒が、声を荒らげた数人の生徒に取り囲まれている。いや、この場合は、吊し上げられていると言う方が正しいか。
責め立てられているのは、学年首席の特待生ロニだ。
やがて彼は持っていた本を取り上げられ、地面に叩き付けられる。
その上でぐりぐりと踏み躙られてしまった本の装飾は、簡略化されているものの見覚えがあった。あの特徴的な表紙は、恐らく『儀典書』だろう。私は軽く眉を顰める。
『儀典書』というのは、大昔の王族が書いたとされる貴族の行うべき儀式や式典、礼儀作法などについて記された指南書だ。
もっとも今となっては内容そのものは随分と時代遅れとなってしまっているが、その文体や文法を含め貴族にとっての基礎教養となっている。
ロニのように貴族の生まれではない者にとっては必須の知識ではないが、それでもこの学院で生きるならば知っておくに越したことはないだろう。
この学院において、身分は不問という建前になっているが、実際は親の爵位を元にした階級社会ががっちり敷かれている。
親の権威を笠に着てあまりに横柄な態度を取ると、同じ位階の生徒からは顰蹙を買うし、目に余るとして上の立場の生徒から粛清を食らうこともある。なので、大っぴらにやる人間は少ないが、逆らえない立場の生徒に横暴を振るう輩がいない訳ではないのだ。
だから、弱小貴族をはじめ、逆らえるだけの力を持たない者たちは、大貴族を中心としたいずれかの派閥に属し、庇護を得る。
それが、この学院、ひいては貴族社会の身の振り方なのだ。
私が嫌々ながらもアイリスの派閥に属しているのも、そうした理由だ。
私はもう一度、男子生徒らを見る。
私の考えとしては、自分よりも力のある者に獲物と目されてしまったら、手の届かない所に逃げるか、より力のある者に庇護を乞うしかない。誰かが見るに見かねて助けてあげたとしても、自らの力で突破口を開けないなら、いずれまた何処かで袋小路に嵌ってしまうだろう。
身分差があり、弱者を救済する仕組みに乏しいこの世界では、自らを助けるしか、救われる方法はないのだ。
だから、本来であればこうした状況に遭遇したら、私は目立たないようにそっとその場を離れる。
下手に口を挟んで標的を自分に移されるのも、見捨てた事に気付かれ逆恨みされるのもごめんだからだ。
だが、詰め寄られているロニの顔を見て、私はふむと考える。
「あのう、すみません……」
「ああん? なんだよ!?」
向こうからすれば、私の顔なんて覚えてもいないだろうが、別にそれは関係ない。
おずおずと声を掛けた私は、口調も荒く返事をされ、ピョンと飛び上がる。そして目に涙を溜めながらも、何とか言葉を振り絞った態で口を開いた。
「あの、ロニさんを先生が探していて……。私も、見つけたら連れてくるように先生から頼まれていて……」
何か試験のことで話があるそうです、と消え入りそうな声で言うと二人の男子生徒が顔を見合わせる。
そういえば彼らは、予備試験の結果発表の場でも一緒にいたなと思い出す。
「チッ、仕方がねえな」
一人が忌々しそうに舌打ちをして、ロニの肩をドンと押しやる。
体格差があるので、中等部生と間違われるくらい背が低く痩せているロニは、大きくよろめく。そもそも、幼少期から今に至るまでの栄養状態がだいぶ違う。力比べになれば、余計に勝てる道理は無いだろう。
ちなみに私の方がロニよりさらに小柄だと言うのは、あまり気にしない。ロニもそうだが、私にも多分まだ成長の余地はある。
「ちゃんと言った通りにしろよ」
「バックれたら承知しねえからなっ」
貴族の生徒たちはなにやら恫喝するような口調でロニに念を押し、何処ぞへ去っていく。
それを確認する間もなしに、ロニは慌てて足跡が着いてしまった本を拾い上げて、大切そうにその胸に抱いた。
私はどこか気落ちした様子のロニを連れて、ちらほらと人の通る渡り廊下が見える庭先の、ベンチの前で来ると足を止めた。
「……ええと、すみません。どの先生からの呼び出しだったんでしょう?」
「ごめんなさい。先生が探していらっしゃるというのは、嘘なの」
おずおずと尋ねるロニに、私はがばっと頭を下げる。
「何だか困ってらっしゃるように見えて……。余計な事でしたら、申し訳ありませんわ」
「いえっ、その、助かりました! だから、お願いですから頭を上げて……っ!」
ロニはわたわたと慌てて、私に頭を上げるように促す。
特待生で平民のロニからすれば、曲がりなりにも貴族階級の女子生徒に頭を下げさせるなんてとんでもない話だろう。私は素直に顔をあげる。
「ロニさん、大丈夫でいらっしゃいます? 私程度ではお役に立てないかも知れませんが、知り合いのお家の方に繋ぎを取ることもできますわ」
「い、いえ。問題ありませんっ」
「……分かりましたわ。でも、困ったことがあったら、いつでも頼ってくださってね」
話を持ちかけてみても、ロニは恐縮するばかりで首を振る。
貴族や裕福な商人などの子弟ばかりの学院に、特待生として平民の彼が乗り込んでいるのだ。警戒はどれだけしても足りないことはないだろう。その気持ちはとても理解できる。
そこで私は、少しだけ手法を変えてみることにする。
「……あのう、頼れと言っておきながらなんですが、実は私の方こそ、ロニさんにご相談に乗って頂きたいことがありまして……」
私は上目遣いに、ロニの胡桃色の目を覗き込んだ。
◆ ◇ ◆
始業にはいささか早い時間。学内には掃除や雑務に勤しむ下働きたちや、お使いに向かう使用人たちとたまにすれ違うばかりで、生徒の姿は殆ど見ない。
「ふ……、んん」
溢れそうになった欠伸を、私は何とか噛み殺す。
この所、だいぶ朝が早いのでついつい眠気に負けてしまいそうになる。
だが、明日からは試験前の自習期間となり、授業がなくなる。これで少しは、時間に余裕が持てるようになるだろう。
授業が始まるまで図書館で自習でもしているか、あるいはもう教室に向かってしまうか。
そんな事を考えながら歩いていた私は、目に止まったそれに思わず顔を顰めそうになる。
(げっ……)
あちらも私に気付いたようで、面白がるような笑みを浮かべ足をこちらに向ける。
来なくて良いと心底思うが、彼は私の目の前に立ち塞がり、癪に触る笑みで挨拶をする。
「おはよう、シャーリン・グイシェント。随分と朝が早いね」
「おはようございます。貴方こそ、早朝から何処かでご用事ですか?」
朝から見たくもないその顔。
私がこんなにも忙しくしている原因の一人、エミール・クレッシェンだった。




