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彼女は絶望に顔を歪めたあいつらの、無様に地を這う姿が見たい  作者: 楠瑞稀
試験のはなし

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6  彼女は遠い目をし、手駒を褒め称える




 判断を早まったかも知れない。


 天頂を越えて、窓からやや斜めに差し込む陽の光は、気持ちの良い朗らかさだった。

 普段のアイリスなら、我慢できずに散歩に行こうだとか、昼寝をしたいだとかそんな益体もないわがままで、こちらを振り回していたことだろう。

 だが、今この時に限っては流石にその余裕も無さそうだ。


(むしろ、余裕がないのは私かも知れないわね……)


 自習用に借りた空き教室で、私はすでに後悔を感じていた。

 目の前には、遠い目をしながら問題を解くアイリスと、それを見守る教師役のテオドール・ヨゼフ。

 試験勝負が決まってから、五日が経った訳だが、状況は思った以上に厳しかった。


 試験勝負の教科分けは、問題なく要望が通った。もっともアイリスに関しては、ブリジッタの一番得意とする教科を、こちらから指定したのだ。異を唱えられることはまずなかっただろう。

 そして他の面子めんつも、担当する教科が確定した。

 ヴィルヘルムが外国語。ルーカスが歴史。テオドールが文法で、私が古典である。

 この分担は、エミールが指定した。どういう意図での組み合わせなのかとヴィルヘルムやテオドールは首を傾げていたが、彼らも特に不満はないようだった。順当なところかな、とは私も思う。


 ちなみに、点数を競い合う相手もすでに決まっていて、私の相手はエドワード・メリルという、ブリジッタの親戚の子爵家嫡男だ。家格を合わせてきたのは、向こうの配慮かも知れない。確か、成績では二十位前後に名前を見かけることが多かったように思う。

 私含めて、ヴィルヘルムたちは勝負に勝ちたいと思えば、それぞれ勉強を頑張ればいいだけの話だ。なんだったら、ヤマの一つや二つ、張ったっていい。

 なので問題は、肝心のアイリスである。


 アイリスに勉強を教えるということは、我々の想像以上の難題だったのだ。



「これは、うん……」


 アイリスの解答用紙に視線を落としたテオドールが、言葉を詰まらせる。


「……少し待ってくれるかな。考えるから」


 精悍さと優しさを合わせ抱いた顔立ちの彼が、困ったように眉尻を下げると、なんだか待てをさせられ続けて途方に暮れた犬のように見える。

 アイリスの取り巻き一向に対しては、基本的に何があっても自業自得としか思わない私であるけれど、今回ばかりはさすがにいい気味だと冷笑して済ます訳にはいかない理由がある。

 のんきな表情で、きょとんとテオドールを見上げているアイリスに関しては、いい加減にしろと言いたいが。


「とりあえず、時間も時間ですし、今日はここまでにして後は自習してもらうのが良いのではないかしら。わたくしたちも、自分の勉強をしなければいけませんでしょう?」

「そうだね」


 アイリスの勉強に付き合っていた私の提案に、テオドールはへにょりとうなずいた。

 窓からの暖かな日差しは、気付けばあっという間に橙色に染まりつつあった。



 ◆   ◇   ◆



 残念ながらというか何と言うか、今日の勉強でもアイリスは目覚ましい成長をみせることはできなかった。

 寮の自室に戻ってきた私は、やれやれと内心ため息を零す。

 まだ教え始めてから五日である為、成果を求めるにはまだ早いという考え方もあるかも知れない。けれど、次の試験までの日数を考えると、あまり悠長にはしていられない。

 何より、我々はアイリスに対して効果的な勉強法を見出せていなかった。

 いっそ、アイリスにやる気がなかったり、勉強から逃げ出していた方がマシだったかも知れない。逃げる余地がないというのもあるが、きちんと机に向かい課題に取り組んでなお、成果が見られないというのは致命的だった。


 もっとも、成長が見られない、といのはいささか言い過ぎかも知れない。

 アイリスが受け持つのは数学だ。テオドールは、アイリスが躓いていてしまった時点までの単元カリキュラムを遡り、問題点を洗い出していった。結果、解き方を理解して、使うべき数式をきちんと当てはめられれば、まだ時間は掛かるものの、なんとか計算自体は解けそうだというのが分かった。

 しかし、実際同様の試験の問題を解かせて見ようとした途端、いきなり手も足もでなくなるのだ。

 これにはテオドールも解決策を見出せず、すっかり頭を抱えてしまっていた。

 今はひたすら数式を解かせているが、このままでは試験勝負に太刀打ちできるどころの話ではないだろう。


 アイリスがまったく勝負にもならないのであれば、さすがに元も子もない。最終的には何らかの形で手を貸さないといけなくなりそうだけれど、少なくとも今は私も私でやらなければならないことが山積みだった。

 思っていた以上に課題が多く、時間が足りない。私は眉間を揉みながら、再度ため息を吐いた。


「お疲れのご様子ですね。お嬢様」


 疲労でちょうど気が散じ始めたのを見計らったかのように、お茶を持ってきたのは侍女のシアだった。

 栗色の長い髪を結った彼女は、静々と部屋に入って扉をしめる。勉強に集中したいから誰も部屋には入らないようにと、侍女たちには命じていた私だけど、シアだけは話が別だ。

 シアは私のためのお茶を淹れた後、懐からおもむろに紙の束を取り出した。


「こちらが、頼まれておりました資料です。少し妙な噂も聞きましたので、簡単にですが追記してあります」

「ありがとう、シア。ここからは、侍女としての振る舞いは無しでいいわ」


 紙を受け取り、私はにっこりと微笑んでシアに告げる。

 そうすると先程までの、まさに侍女の鑑といった振る舞いはどこへやら。シアは雰囲気を一変させ、何処か蓮っ葉な態度で私を見下ろす。

 ちょっとした姿勢や表情で、ここまで変わるものなのかと、私は少し感心する。今後の参考にさせて貰おう。


「全員分は揃わなかったぞ……」

「大丈夫よ。八割方も集まれば、あとは推測できるもの」


 シアに頼んでいたのは、同じ学年の生徒の先日の試験の点数だ。

 シアには他にもいくつかお願いしているけれど、この短期間で求めていた情報をきちんと集めてこれたのだ。実に優秀な手駒であると、私は満足する。


「今までは私ひとりでみんなの試験結果を調べていたけど、今回は間違いなく時間が足りなかったわ。シアが居てくれて、本当に助かるわ」


 私がしみじみとそう告げると、シアは何やら妙な物でも見たかのような視線を向けてくる。

 アイリスじゃないんだから、そんな素っ頓狂なことを言ったつもりはないんだけどな。


「別にお世辞を言っている訳じゃないわよ。使用人や侍女たちから得られる情報は、さすがに私では調べるのに限界があるもの。貴女が手駒になってくれたお陰で、一気に情報網を広げられたのは事実だしーー」

「別にそんな風には思ってねえよ。大体、オレにおべっか使ったって、あんたに得られるもんは何もないしな」


 シアはふんと鼻を鳴らし、そして不意に意地悪そうな笑みをうかべる。


「だいたい、お前の方こそ大丈夫なのか? 聞けば成績を落としたとか言う話じゃねえか。そんな有り様で、本当にオレを満足させる望みを提供できるのか?」


 珍しいシアの冗談に、私は目をぱちくりさせ、ついでにんまりと笑い返す。


「あら、なかなか言うようになったじゃない。でも、安心なさい。多少の失態や想定外は織り込み済みよ。完璧を前提に動いていたら、あっという間に手詰まりになるわ。どんな状況の変化にも対応できるよう、柔軟な糸を幾重にも張り巡らせておくのが、成功の秘訣なの」

 

 まあ、今回は流石に想定外過ぎて、内心かなり狼狽してしまったが。それはあえて言わないでおく。


「同時に頼んでいたもう一方についても、進捗を聞かせて貰えるかしら?」


 シアにそう尋ねると、彼女は途端に渋い顔をする。


「そっちは……あまり芳しくない。取っ掛かりを掴むのも時間が掛かりそうだ」

「分かったわ。私の方でも少し考えてみるけど、そちらもそちらで引き続きお願いね」


 私がシアに頼んでいたもう一つの仕事とは、学院の下働きの人たちの調査と情報網の構築だった。


 この学院の敷地には、学生と教師以外にも沢山の働き手がいる。

 例えば、シアのような侍女や側仕えなどの使用人は、生徒の家に雇われて、そこから派遣されている。勿論、学院を通じて雇い入れることも可能だけれど、その制度を利用している人は殆どいない。臨時で活用する機会が、稀にあるかどうかである。


 一方、学院に雇われて学院の雑務であったり、先生方の補助をしている人たちもいる。シアに調査を頼んだのは、この類の人たちだ。


 生徒たちが連れてきている使用人たちは、いわば中流から上流階級の人間だ。

 地方の大きな商家の子女だったり、当人の家に爵位はなくとも貴族の遠戚だったり。場合によっては、本人も初等部の頃は学院に通っていた低位貴族の娘なんかもいる。


 一方、学院に直接雇われている下働きたちは、中流から下流階級の平民ばかりだ。

 勿論、貧民街の住人や身元の怪しい流れ者が雇われることは、まずないだろう。

 基本は王都に住まう平民が、通いで雇われていると耳にしたことがある。

 もっとも、シャーリン・グイシェントは貴族令嬢の端くれ。

 同じ学院に所属する者同士であるにも関わらず、立場の違う彼らとの接点を上手く構築することができずにいた。

 では、同じ学院の働き手同士ならどうかと思ったが、それでも侍女のシアでは下働きとの関わりを持つのに苦労してしまうようだ。

 シアをみくびっている訳ではないけれど、ここは別の視点からの手法も試してみて良いかもしれない。

 そんな事を考えながら、私はシアから受け取った紙面の平民文字に視線を走らせた。





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