黒雪姫
古の太陽系の土星の衛星タイタンに似たこの惑星では、大気上空で太陽風に晒された炭化水素化合物の黒い雪が降る。
気がついたら、あたしはスノーローダーの与圧区画に、機密作業服を着たまま横たえられていて、キャノピーの外に降るその黒い雪を眺めていた。
「う、動かない、何よこれ?」
外骨格の制御ユニットには、まるで反応がなかった。このままでは、動かない箱に閉じ込められているのと同じだ。
「お嬢様、すみません。奥様のご命令には逆らうことができず……すみません、すみません……」
操縦席から声が聞こえた。こいつは、ウチの使用人その三だ。
「あ、あの女!」
あたしは歯ぎしりした。あたしのパパは、この惑星の執政官をしている。あのケバい女は、宇宙放射線病で亡くなったママの後添え、つまりあたしの継母だ。最初から、胡散臭そうなヤツだとは思っていた。
「すみません、スミマセン」
名前も知らない使用人は、スノーローダーを停めると、あたしを担いで、どさっと外に置いた。
「キャー! やめて、やめて!」
あたしは焦った。この惑星は、タイタンと同じく、濃厚な大気をもっているものの、気温が低い。海はメタンとエタンの混合物で、地表の水は、全て氷だ。
つまり、このままで動力が切れたら、一気に内部がメタンやエタンが液化する温度に下がって、お陀仏となる。
「スミマセン! この制御ユニットは、奥様から証拠を求められているので貰っていきます……でも、こっちのコピーで動かせます。逃げて下さい!」
使用人は、あたしの気密作業服の制御ユニットのカードを見せて、ポケットからもう一枚のカードを取り出して差し込んだ。本来、気密作業服は、セットアップされた制御ユニットでしか動かないはずなのだが、そのカードで、通常の起動プロセスが始まった。
使用人は、その様子を見届ける間もなく、そのままスノーローダーに乗り込んで去っていった。
「え、ちょ、待って!」
一人残されて、途方にくれた。目の前には、この惑星の原生植物の奇妙な森が続いている。
「ど、どうしよう……」
――パパがエキゾティック物質鉱山視察の事故で意識不明になってから、あの女は、勝手に執政官代理を名乗ってやりたい放題していた。あたしは、できるだけ抵抗しようとしたのだけど――まさか、あたしの暗殺まで企てるとは思っていなかった。
こうなると、パパの事故さえ怪しく思えてくる。パパには、散々、再婚なんか止めるように言ったのだけど……。
あたしは頭を振った。このまま、ここにいても仕方がない。しかし、ドームシティまで帰るのは論外だ、間違いなく警戒されているだろうから。
同じ理由で宇宙港もパスだ。田舎で鉱山しかないこの惑星には、そもそも宇宙港は一つしかないのだ。警戒されていない訳がない。
「えーっと。たしか、非常用ポートがあったはず」
この森の中には、最初にこの惑星を探索した研究者のチームが使った、非常用ポートという名の簡易的な宇宙港があったはずだ。
マップを呼び出して、その場所を確認して、歩き始める。
周囲は、黒い蔦がねじ曲がったような、針金のお化けのような原生植物が生い茂っていた。あたしは、足下をしっかり確認しながら歩いていく。正直、気密作業服の動力が保つか気が気でなかった。燃料が切れれば、結局はジ・エンドなのだ。
しばらく進むと、前方に建物らしきものが見えてきた。おかしい、まだ非常用ポートまでは大分距離があるのに。
近づくと、それは、半ば朽ちた特徴的な外観の建造物だった。
「そうか、遺跡だったのね」
……この惑星には、古代異星人の遺跡が存在する。異星人は、遥か昔に、あたし達と同じように、鉱山が目当てでこの惑星にやってきたらしい。しかし、当時、異星人同士で行われていた大規模な星間戦争のせいで、この惑星の施設を放棄した――のではないかということが研究で分かっている。
建造物は、まだ稼働しているようだった。量子力学的な自己修復技術を実用化した異星人の超テクノロジーのお陰だろう。あたしは、にやりと微笑んだ。あまりにも不運だったから、揺り戻しの超幸運がきたと思ったのだ。
実は、学校でのあたしの専攻は、異星人の技術一般だ。この惑星は、エキゾティック物質の鉱脈の影響で上空からのスキャンができないから、まだ未知の地域が残っている。あたしは、授業の合間を縫って、そういう地域を探索していた。でも、最近は、未知の遺跡は、もう流石に存在しないだろうなあと、半ば諦め気味だったのだ。
遺跡のセキュリティを解いて、エアロックを開けて内部に入ると、そこには、七つの戦闘用ドローンが鎮座していた。異星人の小型の無人ロボット戦車で、コードネームは『ドワーフ』というタイプのヤツだった。あたしは、その戦闘用ドローンの一つに駆け寄った。
「ふむふむ、状態は凄くよさそうね」
こういった機械の扱いは手慣れたものだ。早速、その戦闘用ドローンを調べると、まだ十分稼働させることができそうだった。主電源を入れて初期化すると、ドローンの人工知能が異星人語で話しかけてきた。
『アナタハ、マスター、デスカ?』
「そうよ、これからは、あたしがマスターよ。あの女をぶっ潰しに行くわよ!」
そうなのだ、ただ逃げるのは、あたしの性格には合わない! こうなったら、とことん反撃してやろうと思った。
他のドローンも次々と起動させ、あたしは最初の一台の上に乗って号令をかけた。
「行くわよ!」
黒い雪の降る中、無人の森を進んでいくと、ドームシティと森との間にある荒野にでた。
そこで、あの女からの通信が入った。
女は、どうやら、警備隊の装甲スノーローダーに乗って、ドームシティの外に出てきていたようだ。
ディスプレイに出た、ケバい顔立ちの女は、歪んだ笑みを浮かべた。
「よく、のこのこと帰ってきたわね。あなたの生命反応か消えないから、おかしいと思って半田のヤツを問い詰めたら、コピーのカードを持っていたっていうじゃないの。たしかに、アイツは、チンケな偽造IDの作成なんかで食っていたヤツだからね。でもあたしに逆らうなんて思わなかったわよ」
「やっぱり、貴方は、カタギの人間ではなかったのね!」
「オーホホホ。だからどうだっていうの? あなたのお父さんには、マインド・コントロールが結局効かなかったから、低酸素症になってもらったわよ。あとは、あなたを始末すれば、晴れてこの星は、あたくし達、ウィッチーズ・ファミリーのものよ! ……きゃっ、何?」
女がべらべらと語るのを横目に、あたしは、戦闘用ドローンに攻撃を指示していた。ドローンの備える百二十五ミリ自由電子レーザー砲は、一撃で、女の乗車する装甲スノーローダーの外壁を焼いていた。
慌てて、女の周囲の他の装甲スノーローダーからミサイルが発射されるのが、もう肉眼でも見えていた。
しかし、戦闘用ドローンが、ミサイルを全てレーザー砲で撃破する。
「こんなへなちょこ、ドワーフの敵じゃないわ!」
地球人の技術は、まだ異星人の超テクノロジーには及ばないのだ。
「ちっ。でも、これでお前も終わりさ!」
火の手が上がり、煙のもうもうと立ちこめる車内から、女が何か操作をした。
「え?」
すると、あたしの機密作業服のヘッドアップディスプレイに、大きな赤い丸印の警告サインがでた。
次の瞬間、大きなぼんという音とともに、冷気が侵入してきた。あの女、制御ユニットをハッキングした? それで、この服の非常弁を勝手に開けたの?
機密作業服の風防の内側が吐息でみるまに凍りつき、雪のような模様が広がっていく。猛烈に寒いと思った側から、感覚が失われていく。
たしか、完全に身体が凍り付いても、ナノマシンで蘇生が可能のはずだ。一瞬、旧地球世紀の童話のことが頭をよぎった。薄れゆく思考の片隅で、誰か、キスで目を覚まさせてくれる王子様がいればいいな、と思った。
オヤスミナサイ……。
(了)
もうちょい仕事が落ち着いたら、連載書こうともくろんでいるのですが……多分、20年前に書いた小説の焼き直しになるかも(苦笑)。