その豆を入れないで!
気がついたら別世界。
ええ、それはまあ良しとしましょう。
しかしこの待遇はよろしくない。
石造りの塔の天辺に監禁なんて、出オチも良いとこでは?
天蓋つきの真っ白なふかふかベッドとアンティーク調の机や本棚に囲まれた円形の部屋。
白いテーブルクロスの下はツヤツヤに磨かれた煉瓦色の猫足テーブルで、もちろん椅子もお揃いで背もたれには赤いクッションがついている。
そっと銀色のフォークをお皿の脇に置いて首を振った。
「これもだめか・・・」
黒縁メガネをかけた20代らしき黒髪の男が軽く額を押さえて呻く。
お皿に残った3粒の小さな丸い豆。
クリームシチューに混ぜて入ってたそれを何食わぬ顔で避けた結果がこれだ。
3つも入れやがって。
そのとき、頑丈で上質な扉を開け放ってダリアンが入ってきた。
クセの強い薄茶の髪につり上がった水色の瞳。
青いエプロンをしてなければただの王子だ。
「くっそ、全部残しやがって!」
お皿の中の3粒の豆を確認してダリアンがテーブルにどん!と両手をついた。
その肩に触れてポンポンと叩く。
そう気を落とさないで、ね?
じっと見つめると、見つめ返してきたダリアンが悔しそうに頷いた。
「絶対他のヤツらにやられるなよ?」
そう言い残して走り去った背中は次回への闘志に燃えている。
「まさかダリアンのを食べてないだろうな!」
ダリアンと入れ替わるように突撃してきたベリエスがお皿を覗き込む。
肩で切り揃えた銀髪とくりっとした水色の瞳。
頭に花柄の三角巾をしてなければただの王子だ。
「今日のおやつ当番は俺だからな!首を洗って待っていろ!」
そう宣言して去っていく背中は闘志が漲っている。
どうも変な習慣のある国にやってきたようで、この小さな緑色の豆を食べるとその料理を作った人物と強制的に婚姻が結ばれてしまうらしい。
そういう目的のこの豆は相手の魔力でできているので食べてしまえばすぐにわかるし、残しても勝手に持ち主の体に戻るというお財布と自然に優しいものだと説明された。
初めて聞いたときは驚いたが、これが事後でなくて良かったとしみじみ思ったものだ。
お皿はもう一人が確認するまで片付けてくれないから、テーブルの上に残したまま本棚に向かう。
今日はどれを読もうかな?
こっちも気になるけど、こっちも気になる。
背表紙を指先で順番に撫でながら本棚の中ほどまで進んで、止まる。
「今日は多いですねぇ。」
のほほんとした穏やかな声に、やっと来たかと振り返った。
お皿を眺めてにこにこしている男はダリアンとベリエスの父親で、この国の王様。
その向こうでお皿を持った黒縁メガネが静かに部屋を出て行った。
「あのね、王様。あの子たちを焚きつけるのやめてくれない?」
長い金髪をさらりと流して、水色の瞳が面白がるように細くなる。
「焚きつけるとは、心外ですね。わたしはただ、異世界より参られたお嬢さんを大切にしておあげなさいと、そう言っただけですよ。」
そう言っただけって・・・絶対嘘だ。
口にしたのはそれだけかもしれないが、態度に何か含みを持たせて言ったに違いない。
でなければどうして27歳のいい大人が中学生くらいの子供たちに求婚されなければならないのか。
しかも将来は美形が約束されたような容姿の王子たちに。
こんな平凡女に求婚するよりハーレムでも作った方が絶対良いと思うよ?
第一、そもそもの元凶はあなただ!王様!
あなたが一週間前に私を拾ってこんなところに閉じ込めたせいで、帰る方法を探しに行きたくても行けないんじゃない!
本棚に並んでるそれらしい本を片っ端から読んでもヒントなんて何もなかった。
残ったのはタイトルからしてロマンス風味な小説かベタな恋愛小説で、その中にヒントがあるとは到底思えない。
それにこの王様のことだから、一冊一冊検閲とかして“安全”なものしか置いてない気がする。
ありえそうだと疲れたため息を吐くと、いつの間にか近くにいた王様に指先を握られて静かに見下ろされた。
「わたしのものなら、良いのでしょうか?」
絡みつく視線に一瞬呆けた頭が、何を言われたのかやっと理解した。
さっと指を引き抜き、慌てて首を振る。
ありえない、こっちで結婚とかありえないから。
本棚沿いに後ずさりながら丁重に断った。
「疲れたか?」
黒縁メガネが話しかけてきて、テーブルに突っ伏したままで頷いた。
最近、食事の回数が増えたかわりに量が激減して何かの意図を感じる。
あ、お腹が空いてたらあの豆まで食べると思ってるのかもしれない。
でもあれってただの魔力の塊だから空腹は満たされないって聞いたし。この黒縁メガネに。
ダリアンたちよりこの部屋で一緒に過ごす時間が長い黒縁メガネは部屋つきの侍女(男だけど)のような存在だった。
わからないことを聞けば何でも教えてくれた。
それこそトイレの使い方から食材まで本当に何でも。
・・・帰る方法は知らないと言われたけど。
おかげで話す回数は自然と多くなり、何だか黒縁メガネが唯一の味方な気がして色々相談とか世間話とかして、私としては仲良くなった気持ちでいた。
だから。
「あーあ、お腹空いたぁ・・・」
おやつを食べたばかりだというのに、もう空腹を感じてそこを擦ると黒縁メガネもじっとそこを見る。
数秒して、黒縁メガネが顔を上げた。
「・・・なら、作ってこようか?」
空腹と彼は味方という感覚で深く考えずに頷く。
それにあれが万一入ってたとしても避ければ済む話なのだ。何も問題はない。
やることもなく突っ伏したままぼんやりしていると、扉を開けて黒縁メガネが入ってきた。
その手に持ったお盆の上からは良い匂いが漂ってきて、その匂いに反応したお腹が痛いくらいきりきりしてくる。
胃潰瘍になったらどうしてくれるんだ、あいつら・・・
テーブルに置かれたのは、小さめに切った燻製肉と野菜がたくさん入ったスープだった。
一匙ずつ冷ましながら口へ運ぶ。
あっさりめの味付けに、肉や野菜、色々な旨味が溶け込んでいる。
どこか懐かしいような、ほっとする味だった。
緑色の豆は1粒も見当たらず、この世界へ来て初めて何も残さずに食べ終わることができた。
久々の満腹感に幸せと安心を感じ、うとうとし始める。
突っ伏して右側を向いていた顔を覗きこまれ、横目で見上げる。
そっと伸ばした右手で、ゆっくりと黒縁メガネを引き抜いた。
現れた瞳の色に一瞬、息が止まる。
その瞳は王様や王子たちと同じ、純血の王族しか持たないという水色。
震える手から男がメガネを抜き取り無言でかけ直す。
「な、な、何で・・・?」
「これでも一応は王子なんでね。」
まさに天地がひっくり返った。
そんな驚きだった。それくらいびっくりした。
驚いただけ、だったはずの視界もひっくり返っていた。
「何で?」
ぽろっと出た純粋な疑問に、上から見下ろす黒縁メガネがかすかに笑う。
「王位継承権は放棄してるからお妃様にはしてあげられないけど、俺にしとかない?」
けっこう合うと思うよ?
そう言いながら近づいてきた唇を慌てて塞き止める。
そんなこんなで、今日も明日も明後日も、きっと空腹に枕を濡らす日々は続くのだろう。