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思い出とビー玉

作者: 遠野義陰

1 謎の女


 くるくる回る。

 視界が回る。

 だんだんと、見えてくる。

 漆黒に咲く大輪の花々。

 ――繚乱する。

「――――」

 目の前の少女が言う。

 静寂が煩くて判らない。

 まるで無声映画のようだ。


  ※※※


 午前七時ベッドの上。目覚めた俺はベッドから緩慢な動作で抜け出すと窓辺まで歩いて行って思いっきり窓を開け放った。途端に吹き込んでくる冷たい風。十二月の北風は身を切るように寒い。こんな北向きに窓のある部屋よく借りたな、と友人の水無月健一は言うけれど俺は結構気に入っている。

 洗面所で顔を歯をシャコシャコ磨いて顔をぐしぐし洗ってキッチンでトーストを焼いてその間にインスタントコーヒーを入れて、チンと焼けたトーストにマーガリンを塗りたくってを齧りつく。食べながらリモコンに手を伸ばしテレビを点けるもあんまり面白いことが無い。いつもどおり。国際情勢の緊迫化と政治汚職と殺人事件と為替や株の取引額、それに芸能ニュースのごちゃ混ぜ、どれをとってもつまらない。

 ただ点いているだけのテレビを眺めながらぼんやりとさっき見た夢のことを考えてみた。俺の記憶が正しければ今年に入って十三回目で、いまは二月。実にいいペースだ。まあそんなのが好調だとしてもなんにも嬉しくない。というかあんな答えの見えない且つ意味深な夢は即刻忘れてもう二度と見たくない。

 カップと皿を流しに持っていったところでチャイムがなる。水を張った桶の中にそれらを投入してから玄関へ向かう。ワンルームのアパートだから直ぐだ。

 チェーンをはずして鍵を開けてノブを回してドアを押す。目の前に立っていたのは見覚えの無いはずなのに知っている女性。クリーム色のロングコートを着た、それはあの夢に出てきた女だった。

「失礼します」女はそう言うと部屋の中まで入ってきてドアを閉めた。「これは大切な話

ですからちゃんと聞いてください」靴を脱いで部屋に上がると、勝手に座布団を敷いてそこに座った。

「ちょっと待てよ。あんた誰だ」俺は訊いた。「そもそも勝手に人の部屋に上がってくるなんて非常識だろ」

「いまは名乗るべきではありません」女は言った。「それにこれは非常時です。常識なんて言っている場合ではないのです」

 そう言って女はコートのポケットからビー玉を一つ取り出した。それを顔の高さに掲げると、「これをよく見てください」

「どうして」

「早くしてください。時間がありません」至極真面目に、且つ緊迫感を孕んで彼女は言った。俺は仕方なくそれに従う事にした。とっととこの面倒ごとから解放されたかったからだ。溜息をつきたいのを堪えながら俺はビー玉を凝視した。これに一体何の意味があるというのだろう? こみ上げてくる疑問。ビー玉は青っぽい感じに濁っていて、ひっくり返った俺の顔を映し出している。しばらくそうして眺めていると急にビー玉の中に意識が引き込まれそうな感覚に陥り、俺は目を閉じた。


2 思い出の街。あるいは忘れ去った記憶のゴミ箱


 目前に広がった光景に唖然とした。そこはさっきまでいた自分の部屋ではなく、どこか見知らぬ田舎町だったからだ。そして俺は見知らぬ民家の門前に立っていた。なんてことはない、ごく一般的な二階建ての民家。じっとその玄関を眺めていると狐面を被った子供が走り出て、俺なんて見向きもせずに横を通り抜けて行った。まるで俺が見えていないみたいだ。そう思いながら俺の足は勝手に子供の家の玄関へと向けて歩みを進めていた。行ってどうするなど判らない。けれどこんな訳の判らないところに来てしまった以上は、家

に帰るためには地元の人の助けが必要だ。

「おじゃまします」と言って中に入るが留守のようで誰もいない。引き返そうかとも思ったが俺の足はまるで何かに吸い寄せられるかのように、民家に上がりこんで廊下を歩き階段を上り、突き当りを右に折れて直ぐの部屋へと、向かっていた。そしてなんの躊躇もなく引き戸を開けた。窓が一つあってそこから吹き込む風がカーテンを揺らしている。足元には沢山のおもちゃが散乱していて、踏み出した最初の一歩で戦隊モノの人形を踏んでしまった。勉強机の椅子に掛けられた黒いランドセルが目に入った。どうやら彼は小学生ら

しい。そう思いながらランドセルを手に取った。途端に、とても懐かしい気持ちに襲われた。急激に目の奥が熱くなって来る。一体何なんだここは?

「それを貴方は、思い出さなくてはなりません」突然背後から投げかけられた言葉。俺は振り返りその声の主を睨み付けた。「貴方にはその義務があります。さあ……もうじき来ます」

「何が?」

「崩壊です」

 その時だった。腹の底から響いてくるような轟音に続いて地響きが襲った。外から悲鳴が聞こえた。俺は慌てて窓の外を見た。


 3 バク


 鼻の長い変な動物。白と黒のコントラスト。それは幼いころ動物園で見たバクとか言う生き物だった。けれど記憶と違うのはゴジラみたいなデカさと、バクが食べているのが町だということだった。

 そいつは長い鼻をぶるぶる振り回しながら手当たり次第に町を食っている。地面ごと、何もかも。バクに食われた部分は真っ白な空白の空間になっていた。それだけじゃない、気がつくと世界に色がなくなって白と黒だけになっていた。「さあ、思い出すのです」背後で彼女が言った。

「早く逃げないと。俺達も食われるぞ!」怒鳴るように言って彼女の手を取った。しかし彼女は頑として動かず、「思い出すのです。そうすれば何もかも解決します」というのだった。「ここが何処で、貴方は何で、どうしてこの場所にいるのか。さあ、今すぐに」

 俺は莫迦らしくなって一人で逃げた。なにを思い出せと言うのか。こんな所俺は知らない。知らないのだから思い出しようがない。走って走って、気がつくといつの間にか赤い鳥居――神社の前まで来ていた。参道には屋台が並び、提灯がつられている。空はくらい。

 遠くの方ではバクの鼻息が聞こえる。どしんどしんと腹のそこに響く振動。奴はこっちに向かって歩きだしたのだ。俺は逃げるように参道を奥へ奥へ走った。そして境内へ繋がる三十段ほどの石段を一気に駆け上がると背後を振り返った。町が真っ白になっていた。バクはおいしそうに俺が走ってきた参道を、まるで蕎麦でも食うようにじゅるりと食べてしまった。気がつけば石段と境内しか残っていなかった。のっしのっしとバクがこちらへ接近する。俺は一歩一歩後退りをする。

 不意に、踵に何かがぶつかった。振り返ると狐面を被った少女が居た。ホオヅキを思わせる赤い浴衣を着ていた。その隣には先ほど走り去っていった狐面の少年が立っている。

 少年は、なにか光るものをこちらへ投げつけた。受け取り確認するとそれはビー球だった。見覚えがあった。ここに来た時と同様、俺はビー玉を凝視した。


 4 思い出のありか。あるいは過去の残骸へ手向ける花


「ビー球にはね、魂が宿るんだって」降り注ぐ月光にビー玉をかざしながらカナちゃんは言った。僕は感心して「そうなんだ」と相槌を打った。今日はお祭りで、僕達は神社の石段の端に腰掛けて参道を見下ろしていた。

「だから、これはゆう君にあげる」そう言うとカナちゃんは僕の手をぎゅっと握ってそのビー玉を渡してくれた。「きっとね、もう直ぐ私はそこに入る事になるから。だから。ゆう君はこれをずっと捨てずに持ってるの。そうしてるといつまでも一緒に居られるでしょ? 

 でもね、もしゆう君が結婚したらね、そうしたらこれを捨てて。そしたらね、私は生まれ変わってゆう君の赤ちゃんになって、また一緒に居られるから」

 はい、と小指を差し出すカナちゃん。「ゆびきり」

 小指を絡めて、「ゆーびきーりげーんまーん」と歌う。僕はなぜだか急に泣き出しそうになった。「ゆーびきった!」その瞬間カナちゃんと僕は切り離された。

 突然カナちゃんが立ち上がった。手を振りながら「おかーさーん」と叫んだ。石段の下にはカナちゃんのお母さんが居て、「じゃ、またね」と笑顔で手を振ってカナちゃんは石段を下りてお母さんのところへ駆けて行った。去り際、小さくなったカナちゃんは一度振り返ると控えめに、僕に手を振った。

 ――その一週間後、彼女は亡くなった。

 事情を知ったのはだいぶ後からで、彼女は生まれた時から重い心臓病を患っていて、十歳まで生きられないと言われていた。お祭りの二日後、突然発作を起して意識不明になった彼女はその後、もう二度と眼を覚ますことなく息を引き取ったらしい。


     ※※※


 頬を伝う涙に気がついた。

 目の前の狐面を被っていた子供たちの素顔があらわになる。それは先ほどの夢の中に出てきた少年と少女。

 そう、俺とカナだ。

「思い出しましたか」女が言った。「ここは貴方の思い出の中。貴方は思い出を失いかけていました。だからバクが現れた。忘れ去られて宙ぶらりんになった思い出を好物とする化け物です。もしあれに全てを喰われていたのならば、貴方は貴方ではなくなってしまっていたでしょう。思い出とは即ち『現在』の自分を構築する上で最も重要な素材です。橋桁のようなものです。もしそれが取り除かれてしまったのならば、貴方という橋は何の抵抗もなさなせないまま、崩壊してしまいます。見てください」

 彼女が指し示す方角。バクの姿が消えてゆく。真っ白だった空間にまた町が出来てゆく。世界に色彩が復活する。

「貴方は最愛の人を失った悲しみで、この記憶を封印してしまった。そしてこの空間を生んでしまった。これは彼女の悲しみなのです

 いつの間にか思い出の俺とカナの姿は消えていた。

 俺は手の中のビー玉を見た。

 ここにカナが居る。

 ――強がりで自分が病気だったことをひたすら隠していた。

 ――玉葱が嫌いで人参が大好きだった。

 ――猫が好きで、撫でようとして近づいては何時も追い返されて泣いていた。

 数え上げればきりが無いほどの、カナとの思い出が一気にあふれ出して、俺は泣いた。

声を上げて、地面を叩きながら。

 俺は、忘れていた。

 こんなに大切をモノを。

 こんなに大切な事を。

「ごめん」両手で包み込んだビー玉に向かって俺は囁く。「ごめん。ほんとごめん。忘れててごめん。これからは絶対に忘れないから。絶対に約束を守るから。だからごめん」

 涙と鼻水で顔はグズグズ。けれどそんなことはどうでもいい。俺は心の底から謝罪の言葉を囁き続けた。

「さあ、帰りましょう」女が言った。「貴方は思い出しました。だから、元の場所に戻りましょう。いつまでも過去に浸っている訳にはいかないのですから。人間は生きている以上、『いま』を見詰めなければならない。過去はその為の、いわば後方支援のようなものです」

 ――さあ、いまを生きるのです。

 女の声が頭の中に響いた。


     5 いま


 気がつくと女が来た時の体勢のまま、俺は座布団の上に座っていた。けれど女の姿は何処にも見当たらない。女が居たはずの場所に座布団が敷かれて居ない。まるで初めから居なかったかのように、彼女の痕跡は見当たらなかった。

 俺は手の中のビー玉をじっと見詰めてからそれをズボンのポケットにしまった。

 まずは墓参りだ。

 長い間地元には帰っていないし、丁度いい機会だ。ついでに実家にも帰ろう。それでカナん家に行って仏壇で拝ませてもらおう。

 俺は清々しい気持ちでまずは荷物を纏めることにした。

 


         了


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