殺してやる
―――コ ロ シ テ ヤ ル
昴は飛び起きた、ぬめるような冷や汗をかいていた。目覚ましが鳴る前に起きてしまった様だ。
「くそ、嫌な夢を見た」
吐き捨てるように呟いた。
恐ろしい夢だった。しかし、夢の内容が思い出せない。全身に張り付く汗。夢が事実である事を物語っていた。考えても仕方が無いので着替えを始める。
昴は、ねっとりと張り付く下着を脱いで、タオルケットで汗を拭く。腕に鳥肌が立っていた。8月なのに、寒い。
学生服を着る頃には寒さも無く、夢の事も気にならなくなっていた。
「おはよ、お母さん、今日は何?」
まあ―、と驚いた表情で母が振り返る。
「今日は早いのね。揺すっても起きないくせに」
「俺も成長したんだよ」
飽きれ顔の母は続ける。
「毎日、そうならいいのにね」
テーブルを見ながら話す。
「朝ご飯何?」
「目玉焼きにお味噌汁」
シンプルな朝食にがっくりくる昴である。
「のりも付けて」
「戸棚から出して」
朝のワイドショウを見ながら朝食を食べていた。時計を見ると、もう出かける時間だった。昴は鞄を拾い上げ、家を出てバス停へと急いだ。すっかり夢の事は忘れていた。バス停には幼馴染の美咲がいた。
「おはよう―」
美咲はびっくりした顔で振り向く。
「おはよう」
心なしか顔色が悪そうな感じ、気になったので声を掛けた。
「あれ、元気がなさそう?」
「うんん、そんな事無いよ」
「そか」
やがて二人は、やって来たバスに乗り込んだ。混んでいたので、二人ともつり革につかまった。
しばらくすると。
―――コ ロ シ テ ヤ ル
ドキッとする昴。とんでもない声が頭の中で囁いた。誰が言ったのか分からない。気のせいかと思たが、気になって周りを見た、誰かと目が合って思わず離す。そして、隣りの美咲を見た。
美咲は一瞬、困ったような、何か訴えたいような表情でこちらを見たが、すぐに目を伏せてしまった。顔色がさっきより悪そうだった。声を掛けることも出来ず、昴も目を伏せた。
重苦しい沈黙が車内に漂っていた。
バスは何事もないように、西が丘高校前に着き、校門に向かって歩き始める。波打ち際のざわめきの如く、騒がしい登校の風景が。今は小波のように囁きながら登校していた。二人も同じように静かに校門に向かっていた。
―――コ ロ シ テ ヤ ル
息を呑んで立ち止まる二人。間違いなく聞えた。昴は慌てて周りを見渡す。誰が言ったのか確かめようとした。見渡す限り、皆も立ち止まって周りを見ていた。
声の主がわからないため、苛立だっていた。
「くそ、殺してやるって何だ」
思わず、声に出してしまった昴。
美咲がびくっとして昴を見ながら後づさる。
はっと、我に帰った昴は美咲を見た。脅えた表情で昴を見ている。
「ちがう、俺じゃない」
美咲は震えた声で聞く。
「誰が言ったの?」
昴は首を振りながら答えた。
「わからない」
周りを見渡す者。囁くように会話する者。歩き始める者。少しずつ、小波のように囁きながら学校へと移動し始めた。
二人は少し離れて静かに学校へと向かった。
昴はいらいらして考た。
(殺してやるって、なんだよ! 誰が言っているんだ、みんな聞えたみたいだけど。
くそ、美咲は離れて歩いてるし、いったい何なんだ!)
むしゃくしゃする思いで昴は歩いていた。
…
一時限目の授業が始まる。
先生が呟く。
「二等辺三角形の面積は…」
その時また!
―――コロシテヤル! コロシテヤル!
一瞬にして、教室が暗闇に飲み込まれたように静かになる。
(今度は、はっきり聞えた、それも殺意まで伝わってきた)
昴は理解できない感情と、恐怖に襲われた。
一瞬の静寂の後、蜂の巣のような騒ぎになる。
生徒が立ち上がって喚く。
「誰だよ、殺してやるって!」
女生徒が悲鳴をあげる。
「いや―――」
隣りの生徒に聞く男子。
「お前も聞えたのか?」
立って騒ぎ出す者。震えて机にしがみつく者。大声で問い詰める者。会話し始める者。違うと首を振っている者。
「先生!、これは何?」
先生は、黒板にしがみ付き、大きく見開いた目が空中を彷徨っていた。
―――コロシテヤル! コロシテヤル! コロシテヤル!
強烈な殺意と言葉が頭の中に響いてきた。
―――コロシテヤル! コロシテヤル! コロシテヤル!
殺意も声も止まらない。
昴は立つ事も喋る事も出来ずに、机にしがみ付き、湧き上がる恐怖に己を見失いかけた。
(美咲は?)
美咲の事を思うことで、恐怖を押し込めようとする。
震えながら美咲を見る、美咲もガタガタと震えながら机にしがみ付いていた。
雷のような音とともに机が壁に当たる。誰かがカッターを持ち暴れ始めた。
「殺せるもんなら殺してみろ! 俺はやられん」
落雷の如く、机が倒れ散乱する。
「ギャ―――」
切られた肩から、鮮血が飛び散る。
半狂乱で暴れる生徒を見ながら、昴は美咲の事を思った。
(ここは危ない、美咲を連れてここを出よう)
気が狂いそうな殺意と声の中。美咲の事を考えて、正気を保っていた。美咲は教室の隅で震えている。手足が素直に動いてくれない、震える手足に力を込めて美咲の所に這いずって行く。
「美咲! 美咲! ここを出るぞ」
美咲は恐々とこちらを見た、恐怖で顔面蒼白だ。
「ここは危ない、出るぞ!」
小さく頷く美咲。
美咲の手を取って廊下に出る。そこら中で騒ぎが起きている。まともな所は無い。
手足の震えも慣れて来た。だが、殺意の声は徐々に強くなって来る。壁をつたって立ち、ゆっくりと歩き始める。
昴は励ますように美咲に言う。
「家に帰ろう」
美咲は震えながらうなづく。
校舎の外に出ると、いたる所で煙が上がっている、事故だ。
絶望的な状況を理解した。
(狂っているのは、学校だけじゃない)
家まで徒歩で40分。事故や人を避けながら美咲の家に着く。
美咲を家に入るように促すが、震えて離れ様としない。
「一緒に入るか?」
うなづく美咲。
玄関に入り、居間へ行く。そこに美咲の母が倒れていた。
「おかあさん!」
美咲が駆け寄る。母の返事が無い。倒れている床と服に血のりがべったりと付いていた。美咲は母を揺すって叫びつづける。
「おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん」
蒸せるように泣き始めても、やめない。
「おがあさん、おがあさん、おがあざん、おがあざん、ああ―――――――」
美咲を見ていた昴の頭の中に、殺意と声がますます強烈に入ってくる。心の総てに伸し掛かかって来た。
昴は、今見ていることが現実なのか妄想なのか分からなくなった。
(俺は狂っているのか? 目の前にあるのは何だ? 美咲と死体? どうして? 何故?)
美咲がひとしきり泣いた後、美咲の部屋へ引きずって行く。
二人で壁に寄りかかって座った。
話し掛けても、虚ろな瞳の美咲からは返事が無い。
心が暗闇に飲み込まれそうな昴が呟く。
「俺、もう駄目かもしれない」
外からは、事故や火事の音、悲鳴や大声が聞える。
昴は最後の力で、美咲を揺らしながら呼ぶ。
「美咲、美咲、美咲! 美咲!
俺もう、美咲を守れそうに無い、ごめんな」
そして、何も聞えなく、何も見えなくなった。
殺意と声が昴の心を食い尽くしていた。
二人は、その場で折り重なるように倒れた。
そして、動かなくなった。
…
数日後、総ての人間は死亡した。
…
何処からとも無く声が響く。
―――ワレワレニトッテ、不要ナ生物ハイナクナッタ。恐竜ニ続キ、二回目ダ。
植物集合意識の声だった。
これは本の課題から作ったものです。批評お願いいたします。