第11話 名を外すということ
初夏の光が、庭を少しだけ明るくしていた。
風は軽く、
葉は柔らかく揺れている。
足音が一つ。
少し遅れて、もう一つ。
並んで歩く時間は、
季節に関係なく穏やかだ。
午前、書斎に届いた封を開く。
港町からの正式文書だった。
整えられた書式。
簡潔な文面。
新体制の正式発足通知。
私は最後まで読み、
静かに封を閉じる。
そこに、
私の名前はなかった。
以前は、
参考人として記載されていた。
助言者として、
顧問として。
今回は、何もない。
空白。
それは削除ではなく、
不要になった証だと分かる。
それでも、
ほんのわずかに、
胸の奥が静まる。
午後、リナが訪れる。
以前よりも、
迷いの少ない足取りだ。
「正式に移行しました」
彼女は報告する。
「おめでとうございます」
私は答える。
「名前を外しました」
彼女は続ける。
「あなたの名があると、
皆が安心してしまうので」
私は彼女を見る。
「それで良いのです」
言葉は自然に出る。
けれど、
自分の声が少し静かだと感じる。
「寂しくはありませんか」
リナは率直に問う。
私は少し考える。
「寂しいというより……」
言葉を探す。
「軽くなりました」
それは本心だった。
名を掲げられれば、
責任が生まれる。
外れれば、
重さが減る。
私は責任を引き取らないと決めている。
だから、
軽くてよい。
夕方、庭に出る。
足音が重なる。
「外れましたか」
彼が言う。
「はい」
「どう感じますか」
私は空を見上げる。
「正しいと思います」
少しの沈黙。
「そして?」
私は息を吐く。
「少しだけ、静かです」
彼は何も言わない。
並んだまま、
歩き続ける。
夜、書斎で文書を改めて読む。
私の名はない。
それでも、
方針は残っている。
急がないこと。
内部で決めること。
形ではなく、
重心が残った。
私は気づく。
名が外れても、
消えたわけではない。
影のように、
重心は残る。
けれど、
それもやがて薄れるだろう。
それでよい。
私は、
基準であり続けるために立っているわけではない。
答えを渡さない人でいるだけだ。
窓の外に、初夏の月が浮かぶ。
足音が重なった時間を思い出す。
港町。
南の町。
屋敷。
名があっても、
なくても。
並びは変わらない。
私は静かに灯りを落とす。
名を外すということは、
失うことではない。
手放すことだ。
そして私は、
手放したまま立っている。
それが、
今の私の選び方だった。




