第10話 答えを渡さない人
春は、はっきりと庭に根を下ろしていた。
芽吹いた枝は柔らかく、
風はもう冷たくない。
足音が一つ。
少し遅れて、もう一つ。
並んで歩く。
港町も、南の町も、
それぞれの形で続いている。
報せは簡潔で、
決定の共有がほとんどだ。
問いは少ない。
私はそれを、
机の端に整えて置く。
午前、書斎に新しい訪問者が来る。
若い女性だ。
「あなたのようになりたいのです」
真っ直ぐな目。
私は少しだけ首を傾ける。
「どのように、でしょう」
「急がず、慌てず、
周囲に影響を与えられる人に」
影響。
私は少し考える。
「影響を与えようとは、していません」
私は静かに答える。
「答えを渡さないだけです」
彼女は戸惑う。
「答えを、渡さない?」
「はい」
私は机の上の便りを示す。
「皆、自分で決めています」
「私は、止めないだけです」
沈黙が落ちる。
彼女はしばらく考え、
やがて言う。
「それが、難しいのですね」
「はい」
私は微笑む。
「人は、すぐに答えを渡したくなります」
午後、庭に出る。
足音が重なる。
「弟子志願ですか」
彼が言う。
「そのようなものです」
「断られましたか」
「いいえ」
私は少しだけ目を細める。
「答えを渡さない、と伝えました」
彼は小さく笑う。
「それが、あなたの方法ですから」
方法ではない。
選択だ。
夜、机に向かい、
今日の出来事を記す。
「志願者あり」
「答え渡さず」
短い文で十分だ。
私は思う。
婚約破棄の日、
私は距離を選んだ。
取り戻すことも、
証明することもせず。
ただ、
身を引いた。
あの選択が、
今につながっている。
基準にされることもあった。
象徴と呼ばれたこともある。
けれど、
私は中心に立たない。
答えを渡さない。
人が自分で立つための、
余白でいる。
窓の外に春の月が浮かぶ。
足音が重なった時間を思い出す。
港町でも、
南の町でも、
屋敷でも。
並びは変わらない。
距離は伸び、
拠点は増え、
役割は移る。
それでも、
私は急がない。
整わないまま、
動き続ける。
私は、
答えを渡さない人でいる。
それが、
数年かけて選び続けた、
今の私だった。




