第9話 禁呪の炎
夜の平原に、青白い炎が立ち上った。
それは風もないのに揺らぎ、まるで意思を持つ蛇のように砦を睨んでいる。
兵たちは城壁から身を乗り出し、息を呑んだ。
「なんだ、あれは……」
「火なのに、寒い……!」
確かに、炎は熱を放たず、むしろ氷のような冷気を伴っていた。
肌に触れる風は刺すように冷たく、夜の霧を凍らせる。
サラが剣を握りしめ、低く呟いた。
「禁呪〈凍炎〉。王都でも禁じられた術。生者の気を喰らい、炎でありながら凍りつかせる……」
禁じられた術。
その言葉に兵たちがどよめき、恐怖の気配が広がる。
青白い炎が空を這い、砦の壁に触れた。
石が凍りつき、音もなく砕け落ちる。
矢も火矢も届かない。近づくものはすべて凍り、炎に飲み込まれた。
誰もが絶望しかけたそのとき、サラが叫んだ。
「怯むな! 守りはまだある!」
だが、俺の胸は重く沈んでいた。
保存庫の力――物を腐らせず、性質を整える力。
けれど、この炎を防ぐには足りない。
「……待て」
頭の中に閃きが走った。
性質を“整える”。
ならば――炎を取り込めば、どうなる?
俺は城壁を駆け上がり、手を伸ばした。
兵が叫ぶ。
「危ない! やめろ!」
青白い炎が迫る。
俺は全身を震わせながら、手のひらを〈保存庫〉へと通した。
冷気が骨まで凍らせる。
視界が白く染まり、耳鳴りが響く。
だが確かに――炎が沈んでいく感覚があった。
暗い保存庫の底に、炎の塊が吸い込まれる。
次の瞬間。
周囲の冷気が消え、砦の石壁は静けさを取り戻した。
「リオン……今、何をした?」
サラが驚きに目を見開く。
「わからない。ただ……取り込んだ」
保存庫の奥底で、炎が揺れていた。
青白い光は暗闇に溶けず、淡く脈動を繰り返す。
触れれば心臓を凍らせるだろう。
だが、今は静かに沈んでいる。
不思議なことに、その炎はゆっくりと色を変え始めた。
青から白へ。
冷たさが薄れ、わずかに温もりを帯びていく。
「……性質が、整っていく?」
思わず呟いた。
保存庫は炎さえも調律してしまう。
腐敗を止め、旨味を引き立てるように。
なら、炎も――暴威を和らげるのか。
敵陣にざわめきが広がる。
術師たちが叫び、手を振るうが、炎は戻ってこない。
カーヴェル侯の顔が怒りに歪んだ。
「何をした! 術を返せ!」
俺は城壁から声を張り上げた。
「これはもう、お前たちの炎じゃない! 保存庫が預かった!」
兵たちが歓声を上げる。
士気は一気に高まり、剣と盾が打ち鳴らされた。
サラが隣で笑みを浮かべた。
「やはり……あなたの保存庫は、ただの倉庫じゃない。もはや、何でも調える器だ」
その言葉に、胸が熱くなる。
俺はただ静かに暮らしたかった。
けれど、力は否応なく人を惹きつけ、戦を呼び寄せる。
――ならば、使うしかない。
夜明け。
保存庫の奥で、炎は白く穏やかに燃えていた。
その温もりはまるで、未来の灯火のように揺れている。
サラが肩越しに囁いた。
「リオン。次はきっと、王都そのものが動く」
「……だろうな」
「それでも戦うか?」
俺は頷いた。
拳を握り、心に刻む。
「静かに暮らすためなら、どんな炎でも呑み込んでみせる」
灰色の瞳が柔らかく笑う。
その笑みを胸に刻みながら、俺は新しい一歩を踏み出した。
(つづく)




