第6話 白旗の裏
砦の前に立つ塩商会の使者は、昨日までの尊大な笑みを失っていた。
顔はやつれ、衣は土埃に汚れ、背後に控える護衛たちも疲労の色を隠せない。
白旗は風に揺れ、弱々しい影を落とす。
「……取引をしたい」
その声はかすれていた。
砦の兵たちはざわつき、口々に叫ぶ。
「取引だと?」
「今さら命乞いか!」
「奴らに塩を握らせたら、また裏切られる!」
怒声が飛ぶ中、サラは手を上げて制した。
灰色の瞳が冷たく光る。
「我ら辺境守は、力を誇示するために生きているのではない。民を守るために剣を振るう。……話は聞こう。ただし、裏があれば容赦はしない」
使者は小さく頷き、砦の中へと迎え入れられた。
会議室。
卓の上には地図と兵糧表、そして一枚の羊皮紙。
使者はそれを広げ、震える手で示した。
「我ら塩商会は、王都の後ろ盾を持つ。だが、このまま兵糧を失えば、我らも滅ぶ。……保存の術を共有してほしい。代わりに塩を定価で供給する」
兵たちは一斉に息を呑む。
塩の独占を手放すなど、あり得ない要求。
だがその裏に、何かを隠しているのは明らかだった。
サラは目を細める。
「共有とは、どういう意味だ?」
「術を我らに渡せ。方法を。そうすれば争う理由はなくなる」
会議室に緊張が走った。
視線が俺に集まる。
俺は深く息を吐き、首を振った。
「……できない」
「なぜだ!」
「これは俺自身のスキルだ。方法を渡せと言われても、言葉で説明できるものじゃない。保存庫は、俺の中にしかない」
使者の顔色が変わった。
怒りと焦りが混ざり合い、歯を食いしばる。
「では――!」
その瞬間、窓の外で叫び声が上がった。
「敵襲! 敵襲だ!」
会議室が騒然とする。
使者は笑みを取り戻し、低く呟いた。
「裏切ったのは、そちらだ」
砦の外。
霧の中から姿を現したのは、塩商会の増援だった。
黒い外套に身を包み、槍を構えた傭兵団が十数騎。
包囲は解かれていなかったのだ。白旗は罠だった。
「やはり……!」
サラが剣を抜く。
「リオン、兵糧庫を守れ! あそこを奪われれば終わりだ!」
俺は頷き、走り出した。
兵糧庫。
分厚い扉を閉ざし、俺は保存庫を開いた。
麦、肉、魚、野菜。
すべてを奥深くへ仕舞い込む。
目の前から消えていく食糧に、兵士たちは驚きの声を上げた。
「こんなことが……!」
「どれほど入るんだ!」
「限界はまだ見えない。だが全部仕舞っておく!」
扉の外で激しい音が響く。
矢が飛び、剣がぶつかる。
敵は兵糧庫を狙っていた。
俺は布袋を取り出し、中の粉を火に投げ入れる。
煙が立ち込め、鼻を刺す刺激臭が走った。
保存庫から出した香草と唐辛子の混合粉――即席の煙幕だ。
敵兵が咳き込み、足を止める。
その隙に砦の兵が突撃し、叫び声が夜空を裂いた。
戦いは夜まで続いた。
結局、塩商会の兵は退いた。
砦を守り切ったのだ。
だが、捕らえられた使者はなおも笑っていた。
「保存庫があれば、確かに兵糧は守られる。だが王都が黙ってはいまい。商会だけでなく、貴族も動く。……お前は、もう戻れないぞ」
言葉が胸に刺さった。
俺はただ静かに暮らしたかった。
だがもう、保存庫は世に知られた。
放っておいてはくれない。
夜更け。
砦の高台で、サラと並んで空を見上げた。
灰色の瞳が、星の光を映している。
「リオン。あなたはこれからどうしたい?」
「……わからない。だが、保存庫を奪われるくらいなら、戦うしかない」
「なら、私が剣を振るう。あなたは食を守れ」
彼女の声は強く、そしてどこか優しかった。
霧の向こうに、また新しい戦の影が見えていた。
(つづく)




