第5話 兵糧戦の幕開け
夜明けの鐘が三度鳴り終えたころ、砦の外はもうざわめいていた。
塩商会の馬車の列は、霧を割ってこちらを睨んでいる。
数十台の荷車と護衛の兵。商人に雇われた傭兵たちは槍や弓を携え、整然と並んでいた。
「ただの商人じゃないな……」
俺が呟くと、隣のサラが頷いた。
「彼らは金で兵を雇う。数こそ少ないが訓練されている。砦を攻め落とすつもりだろう」
「商人が砦を?」
「塩は金だ。金は権力だ。彼らにとっては城を落とすことも商売の延長にすぎない」
胸の奥が冷えた。
商いのために人を飢えさせ、命を奪う。
そんな理屈は受け入れられない。
砦の会議室では将たちが声を荒げていた。
「籠城するしかない!」
「だが塩がなければ兵糧はもたん!」
「この若造の術で兵糧を持たせられるのか!」
視線が俺に集まる。
重圧に喉が渇いたが、逃げる気はなかった。
「三十日……いや、四十日は持たせられるはずだ」
どよめきが起こる。
サラが続ける。
「保存庫に入れた肉と穀物は腐らない。熟成が進み、味も良くなる。少ない塩で十分に足りる。――兵糧を守る術はここにある!」
将たちは唸り、やがて一人が笑った。
「よかろう。ならば我らは籠城だ。奴らに金の力で砦は落とせぬと知らしめてやる!」
俺は兵糧庫に籠もり、休む間もなく作業を始めた。
麦を袋ごと保存庫に入れる。
干し肉を仕舞い、干し魚を仕舞い、野菜を仕舞う。
取り出すたびに、わずかに色艶が増している気がした。
兵たちは目を丸くし、口々に驚きの声を上げる。
「匂いがしない……」
「腐りかけの魚が、生き返ったみたいだ」
俺は額の汗を拭った。
保存庫の空間は限りなく広い。
それでも、何をどう仕舞うか順序を考えなければ混乱する。
まるで巨大な倉庫の管理人になったようだった。
三日後。
塩商会の軍勢は砦を包囲した。
弓矢が飛び、投石器が唸る。
砦の兵は必死に応戦する。
だが俺の耳に届いたのは、戦の喧騒よりも兵たちの声だった。
「飯が旨い!」
「昨日より力が出る!」
保存庫から出した肉と麦で作った粥や焼き肉。
それは塩が少なくても滋味に満ちていた。
兵たちの顔は明るく、士気はむしろ高まっていた。
「リオン、本当に兵を救っているな」
サラが剣を振り抜きながら笑った。
「俺は飯を守ってるだけだ」
「それこそが兵を守ることだ」
包囲が一週間続いたころ、砦の外で異変が起きた。
商人の馬車から異臭が漂い始めたのだ。
荷の塩漬け肉が腐り、樽が膨れ上がっている。
「まさか……」
俺は呟いた。
塩商会の兵は慌てて荷を捨て、鼻を押さえていた。
大量の食糧が腐敗し、彼らの兵糧は崩壊し始めていた。
砦の兵たちが歓声を上げる。
「奴らの飯が腐ってるぞ!」
サラが剣を掲げ、声を張り上げた。
「聞け! 塩に頼る者は飢える! 保存庫がある限り、我らは負けぬ!」
士気は最高潮に達した。
逆に塩商会の兵は士気を失い、包囲の輪は緩んでいく。
夜。
俺は保存庫を閉じ、深いため息を吐いた。
勝利は近い。
だが胸の奥には、不安も残っていた。
――こんなにも人は塩に縛られていたのか。
俺の力ひとつで、戦の形が変わる。
それは便利であると同時に、恐ろしいことだった。
扉が開き、サラが入ってきた。
灰色の瞳が灯りに揺れる。
「リオン。……あなたはやはり、ただの流れ者ではない」
「俺は静かに暮らしたいだけだ」
「その願いを叶えるために、あなたは世界を変えようとしている」
彼女の言葉に、返す言葉はなかった。
ただ、保存庫の奥に沈む肉の光沢を見つめていた。
翌朝、砦の門前に白旗が掲げられた。
塩商会の使者が、憔悴した顔で立っていた。
「取引を……したい」
兵たちがざわつく。
サラは俺に目を向けた。
「どうする、リオン」
俺は息を呑み、考えた。
復讐か、交渉か。
保存庫の力をどう使うのか。
――答え次第で、この先の世界は大きく変わる。
(つづく)




